第25話:ハレーの軌道
プロキシマ・ケンタウリbの地下ドームに、聞いたことのない高周波の警告音が乾いた音を立てて鳴り響いた。
「なに……? この周波数帯、プロキシマの磁気嵐ノイズじゃないわね」
ナナの指先が高速でコンソールを叩く。メインモニターに表示された暗号化波形を、73Kの解析プログラムが瞬時に展開していく。
「……送信元は、太陽系・冥王星近傍。地球標準時で約4年前の発信――SOS救難信号よ」
「冥王星から……!? 4年前だって……!?」
VALKANORスーツのメンテナンスの手を止め、レイが身を乗り出した。
アミィもまた、息を呑んでログ端末の画面を見つめている。
「送信IDを照合……最悪ね。地球棄却派(居残り組)よ。月面ルナ研究所から極秘プロトタイプのワープ推進機と船体を勝手に強奪して飛び出し、案の定、空間跳躍の失敗で冥王星軌道付近に挫折・遭難したみたい」
ナナは冷ややかな目で吐き捨てるように言った。ツインテールを払い、腕組みをして深くため息をつく。
「約4年前の信号よ。生存している可能性なんて万に一つもないわ。それに、私たちにはこのプロキシマ拠点の開拓という最優先の使命がある。残された時間を無駄にしてまで、わざわざ太陽系へ引き返して直接助けに行く義理も猶予も、一切ないわ」
「そんな……。でも、ナナ様」
アミィが悲しそうに画面を見つめた。
「もし……もし奇跡的に、コールドスリープか何かで生存者が残っていたら? 私たちと同じサピエンスが、冷たい冥王星の闇の中で助けを待っていたら……何もせずに見捨てるなんて、悲しすぎるよ」
「アミィ、感情論で動くのは危険よ。私たちの試作『ルミナリア・アーク・ドライブ』はプロキシマでの開拓・固定段階。わざわざ往復するなんて物理的に破綻してるわ」
「……ナナ」
レイが静かに立ち上がり、二人の間に割って入った。
「直接助けに行くのは無理だ。それは俺も理解できる。……だが、救難信号の送信元へ『返信』を打ち返すことくらいなら、プロキシマの送信アンテナからでもできるんじゃないか? 生存者がいるか分からないとしても、脱出の『答え』を教えてやるくらいなら……」
「な……っ、なによレイまで! ふん、二人揃って甘いんだから!」
ナナは耳を真っ赤にして視線を逸らしたが、呆れたようにコンソールのホログラムを操作し直した。
「……まったく、バカ二人を乗せていると苦労するわね。……いい? 救難信号の座標を逆探知して、彼らが自力で冥王星軌道から脱出し、地球へ帰還するための『絶対的な航路計算』データだけを送信してあげるわ」
ナナが指し示したホログラム画面に、太陽を中心に描かれた極端な扁平楕円軌道が浮かび上がった。
「ハレー彗星(1P/Halley)の軌道よ」
「ハレー彗星……!?」
「そうよ。約75から76年周期で太陽と太陽系外縁部を行き来する、あの有名な長周期彗星よ。現在のハレー彗星の位置と速度ベクトルを逆算し、その重力場と軌道傾斜角をスイングバイの加速に乗せる。……この計算データを彼らの船のナビに受信させれば、大破した推進機でもハレー彗星の軌道を天然の加速レールとして利用して、自力で地球圏へ戻れるわ」
「誰もが知ってるハレー彗星の軌道を逆算して、地球への帰還ルートを教えるのか……! それなら直接助けに行かなくても、最善の手を打てる!」
レイが感嘆の声を上げると、ナナは「当然よ! 73Kの私を誰だと思ってるの!」と胸を張り、不敵に口元を綻ばせた。
「プロキシマの大電力アンテナから指向性レーザー通信で送信完了。……これであの遭難船が生きているなら、この計算データを受け取って自力で地球へ帰れるはずよ。私たちの義務はこれで終わり!」
「うん……! ありがとう、ナナ様!」
アミィが晴れやかな笑顔を見せ、3人は冥王星への通信送信を終えると、再びプロキシマ地下ドームの開拓作業へと力強く意識を向け直した。
(第26話に続く)




