第24話:クロノスタシスの剥離
グラファイトとチタンが極限まで加圧された地下ドームの気密隔壁が、重厚な減圧音を立てて噛み合わさる。
「気圧、1013ヘクトパスカル。酸素濃度21パーセント。……よし、ヘルメット開放許可」
VALKANORスーツのバイザーを押し上げ、レイは深く息を吐き出した。
バイザー越しではない、生の空気が喉を通る。プロキシマ・ケンタウリb――地球から4.2光年離れたこの無機質な岩石惑星の地下数百メートルに組み上げられた、サピエンスが呼吸できる最初の一歩。第1候補惑星における「地下ハビタブルドーム工区」の一次造成が、たった今完了した瞬間だった。
「お疲れ様、レインスト!」
通信ターミナルからアミィの声が響く。彼女の手元にあるログ端末には、この巨大ドームの構造体データと、外壁補強用に打ち込まれた数万本のチタンアンカーのグラフィックがリアルタイムで明滅していた。
「外壁の歪み、ゼロ。地殻からの微振動も許容値以内だよ。……ここが私たちの『最初の家』になったんだね」
「ああ。現場作業としては、上出来すぎる成果だ。これなら地上でどんな磁気嵐が吹き荒れようと、中のシステムはびくともしない」
レイは胸元の冷却ファンを回しながら、ドーム中央に鎮座する巨大な制御ユニットを見上げた。
つい先刻、ナナの手によって架装が完了した『ルミナリア・アーク・ドライブ』。アマテラス・相転移臨界炉から伸びるバイパスパイプが、淡い青白さを帯びて脈動している。
「ふん、当たり前でしょ。私が設計したナセル構造と相転移炉よ? この程度の地殻圧で破綻するようなヤワな設計は、最初から全部上書きしてあるわ」
ドームの二層デッキから階段を下りてきたのは、腕まくりをした作業ジャケット姿のナナだった。
ツインテールを少し乱し、頬にほんの少しオイルの汚れをつけた彼女は、腕組みをしながらコンソールのデータモニターを見つめている。だが、その眉根が不機嫌そうに小さく寄せられていた。
「……ただ、気圧も構造も完璧だけど、一つだけ気に入らない『バグ』があるわ」
「バグ……? 造成データにエラーでもあったのか、ナナ?」
レイが問いかけると、ナナはコンソールの一角をタップし、ホログラムのグラフを浮かび上がらせた。そこには地下ドーム内に設置された「セシウム原子時計」の計測値と、地上観測センサーが拾う惑星の運動データが重なって表示されている。
「観測データを精査して分かったのよ。この惑星、自転と公転の周期が完全に剥離を起こしてるわ」
「自転と公転の剥離……?」
「そうよ。この星の潮汐固定に近い回転サイクルと、私たちが持ち込んだサピエンスの24時間周期が、地下のセシウム標準時と干渉して微小な歪みを生んでるの。このままだと、ここで長く生活するうちに自律神経系と時間の感覚が徐々に乖離して、システムの同期ミスや生体の代謝異常を引き起こすわ」
ナナはふんと小さく胸を張り、画面のパラメータを素早い手つきで書き換えていく。
「でも安心してちょうだい。73Kの私が、この周期剥離の歪みを完全に補正する同期プロトコルを組んだわ。この地下ドーム内に限っては、地球と同じ時間軸の位相を完璧に上書き(オーバーライト)して維持してみせるから」
「さすがナナ様……! 時間の感覚のズレまで計算して上書きしちゃうなんて」
アミィが感心したように声を弾ませた。レイも安堵の息を漏らし、ナナの頭をそっと撫でようとしたが、「な、何しようとしてるのよバカ! 触るな!」と素早く手を払われた。耳の先端を少し赤くしたナナは、照れ隠しのように言葉を続ける。
「ともかく、これで地下ハビタブルドームの開拓・延命フェーズ1は完全に完了よ! 感謝しなさいよね、私に」
「感謝してるさ、完璧すぎるチーフエンジニア様。……よし、区切りがいい。アミィ、例の『あれ』の準備を頼む」
「ばっちりだよ、レインスト!」
アミィが嬉しそうにコンテナのハッチを開けた。納められていたのは、真空パックされた特製の製菓ろ過セット、冷やされた2種類のフレーバーシロップ、そして炭酸ボンベだった。
「拠点完成の祝杯といえば、これしかないよね。『ソルティ・カザフ』!」
「レインストには、ライムの酸味と粗塩を効かせた清涼飲料炭酸仕立ての『ドリンク派』」
「助かる。現場仕事の後の塩分と炭酸は、魂に染みる」
レイは差し出されたグラスを受け取り、喉を鳴らして一口煽った。強い炭酸と程よい塩気、爽やかなライムの香りが全身の疲れを吹き飛ばしていく。
「そして私とナナ様は……ビターチョコの微粉末と岩塩、ミルクフレーバーを溶かし込んだ『チョコ派』のソルティ・カザフ!」
「甘みと塩分のバランス……うん、悪くないわ。完璧ね」
ナナは一口含み、ホッと肩の力を抜いた。ツンとした表情が緩み、年相応の少女らしい笑みがこぼれる。
「ねえ、レインスト、ナナ様」
アミィが自分のチョコ風ソルティ・カザフを手に取り、ゆっくりとドームの強化ガラス窓へ歩み寄った。
窓の向こうには、プロキシマ・ケンタウリの暗赤色の光に照らされた、荒涼とした赤い砂漠と岩石の地平線が広がっている。
「この厳しい環境の中で、私たちが呼吸できて、こうして冷たいドリンクを飲める場所ができたんだね。……ここから、私たちの開拓が本格的に始まるんだ」
「ああ。まずはこの地下ドームの機能を安定させて、次の工程に備えよう。現場の足場を固めるのが、俺の役目だからな」
「そうね。私が組み上げたシステムと73Kの計算があれば、この拠点での開拓作業で破綻なんて起こさせないわ」
ナナが強気な笑みを浮かべ、自分のグラスをレイとアミィのグラスへと重ねた。
「この星のどんなバグも、全部上書きしてみせるから」
乾いたグラスの音が、地下ドームの中に清らかに響き渡った。
赤く冷たい星の地下で、手作りのソルティ・カザフの味が、彼ら3人の確かな足踏みと開拓の第一歩を祝福していた。
(第25話に続く)




