第21話:紅き台地の兆し
大気圏を割る烈熱の摩擦音が、VALKANOR製耐圧EVAスーツの多層耐熱装甲を僅かに振わせる。
「大気密度、想定の1.12倍。主成分は窒素および二酸化炭素——呼吸可能領域への変換速度、予定数値を維持」
レインストの無機質とも言える正確なアナウンスが、コックピットに響いた。彼の装甲の胸元には、固定ベルトで留められたぬるい「ソルティ・カザフ(ドリンク)」のアルミパックが鎮座している。
「レイ、照度計算に0.03秒のズレがあるわ。この惑星の輻射波形を甘く見ないで」
端末のホログラムを高速でフリックするのは、ナナ。
絶対的知性(73K)たる彼女の瞳には、地球を発ち4.2光年の時空を越えた先に広がる未知の惑星表面が映り込んでいた。
「大丈夫だよ、ナナ様、レインスト。アースとルナ船団への『200年未来跳躍プロトクル』は、全パケット欠損なしで到達が確認できてる。200年後の彼らが目を覚ます時、私たちはここに……サピエンスの新たな苗床を完成させておかなきゃ」
アミィは、胸元にソルティ・カザフ(チョコ派)の包装を抱えながら、HAYNSRの精神的継承者として全ログのリアルタイムバックアップを走らせていた。
ズウン、と重厚な衝撃が降下艇のランディングギアを揺らした。
地球を発ってから実時間で4.2年(第1の候補惑星到達・降下完了時点)。サピエンスが初めて足を踏み入れる新天地の台地が、3人の眼前に広がっていた。
「ここが……最初の候補惑星」
「ええ。世界のバグを上書きするための、最初のデバッグポイントよ」
ナナが静かに息を吐き、ハビタブル基盤の自動デプロイ・シーケンスを起動しようとした——その瞬間だった。
——ピキィン、と空間を切り裂く高周波アラートがコックピットに鳴り響く。
『警告:未認証の暗号化プロトコルによる広域磁場干渉を検知。降下地点周辺に先占領域が設定されています』
「……は?」
ナナの眉がぴくりと動く。ホログラムモニターに映し出されたのは、台地の水平線から急速に接近する異質な影。高度な超光年ワープ技術によってのみもたらされる、重力偏向推進の無人自律ドローン群だった。
「待って、このIDシグナル……『ヤクートサピエンス』!? そんなバカな話があるかよ! 滅んだはずだろ、旧アースの絶対権力は!」
レイがVALKANORスーツのバイザー越しに目を見開く。歴史のテキストにおいて、ヤクートはアースの崩壊と共に完全に潰滅したと記録されていたはずだった。
「信じられない……歴史データベースの記録と完全に矛盾してる。どうして彼らが、こんな4.2光年先の星を牛耳ってるの!?」
アミィが端末を叩くが、返ってくるのは無常な拒絶シグナルだけだった。
ヤクートの末裔たちは、ナナたちがアース・ルナへ送信した「200年未来跳躍プロトコル」の超高次元通信を途中で傍受・解読し、独自に超光年ワープ装置を完成させていたのだ。そして、この4.2光年先の最初の候補惑星に先回りして占有し、後から来る者を排除しようとしていた。
「チッ……突っ込んできやがる! ナナ、迎撃するか!?」
レイがVALKANORの耐圧スラスターを焚き、泥臭い現場制御体制に入る。だが、ナナは冷徹にそれを制した。
「駄目よ、レイ。正面から付き合ってる時間なんて私たちにはないわ。全行程で213.2年……200年後のサピエンスとの約束に遅れるわけにはいかないの。ヤクートの相手なんて、直接害を及ぼしてこない限り完全スルーして先を急ぐわ」
「けど、向こうは完全にこっちを『不法侵入者』として消しに来てるぞ!」
「妨害だというなら——0.01秒で排除するだけよ」
ナナの瞳が青白く発光する。
73Kの絶対的知性が、ヤクートのドローン群が張る防衛波形を瞬時に走査した。
「アミィ、HAYNSRの共振周波数を定常波に同期! レイ、敵の射線を3秒固定!」
「了解!」
レイが足場の悪い台地を蹴り、VALKANORの装甲でドローン群の第一波を引きつける。その刹那、ナナの指先が虚空のコードを叩き切った。
「雑なアルゴリズム。そんなポンコツで私の邪魔をしないで——上書き(オーバーライト)!」
HAYNSRのアマテラス粒子励起波形が放出され、接近していたヤクートの無人兵器群が一瞬で沈黙。制御OSを根底から書き換えられたドローン群は、自生空間の岩壁へと相次いで激突し、爆煙へと変わった。
「ふう……一息つく暇もないな。だが、ナナ……なんでヤクートの子孫が生き残ってるんだ? 歴史の教科書どころか、俺たちが受けてきた教育のすべてが嘘だったってことか?」
レイが胸元のソルティ・カザフ(ドリンク)を一口飲みながら首をかしげる。アミィもまた、手元の全ログ記録端末を見つめたまま固まっていた。
「そうよ、レイ。私の記録データベースでも、ヤクートサピエンスは歴史の表舞台から完全に消滅したはずなの。なのに、このシグナルパターンは間違いなくヤクートの血統プロトコル……」
「……ちょっと待ちなさい」
ナナがふと、何かに気づいたように二人の顔を交互に見つめた。
「何だよ、ナナ。そんなじっと見て」
「レインスト、アミィ。……アンタたちのDNAデータを今すぐ解析させて」
「え? DNA?」
突拍子もない指示に首をかしげる二人だったが、ナナの真剣な眼差しに押され、VALKANORスーツの生体センサー経由でDNAシークエンスのアクセス権を許可した。
数秒の沈黙。73Kの並列演算処理が、二人の塩基配列を極限まで照合していく。
そして、ホログラム上に浮かび上がった結果を見て、ナナは静かに息を呑んだ。
「……やっぱりね。そういうことだったのね」
「何か分かったのか?」
「アンタたち……アースサピエンスの生き残りだって言われてたけど、遺伝子のルートを最深部まで遡ったら、『始祖』が完全に一致したわ」
「「え……!?」」
レイとアミィの声が重なる。
「始祖が同じ……って、それってどういうことだよ?」
「簡単に言えば、アンタたちは太古の昔に枝分かれした血統の同族——実質的な『家族』よ。二人揃ってソルティ・カザフばかり好んで、妙に息の合った家族みたいな空気を出してると思ったわ」
ナナはどこか呆れたように、けれどどこか安心したような複雑な表情で息をついた。
(……な、何よ。レイとアミィが男女の愛じゃなくて、遺伝子レベルの“家族”だったからって、べつに私がホッとする理由なんてないじゃない! 私はただ、歴史のバグを解明しただけよ!)
胸の奥で生じた小さな動揺を消し去るように、ナナは軽く咳払いをした。
「マジかよ……お前、俺の生き別れの妹みたいなもんだったのか、アミィ」
「ちょっとレインスト、馴々しくお兄ちゃんぶらないでよ! 誰が妹よ!」
「はいはい、無駄話はそこまで。ヤクートの歴史のバグについては後でじっくり暴いてあげるわ。まずはこの4.2光年の地に最初のハビタブル基盤を構築して、次のTRAPPIST-1e(35.0光年)へのワープに備えるわよ!」
ナナの凛とした声が、静まり返った異星の台地に響き渡る。
敵の影、歴史の偽り、そして自分たちの絆の正体——すべての謎を抱えたまま、3人の新たな開拓の1歩目が、力強く踏み出された。(第22話に続く)




