第20話:相対論のバグと、200年後の約束
【探査船アーク・クラス 航海日誌ログ】
■ 地球出発時基準経過時間:4.20年(1,533日経過)
■ 現在座標:1つ目の候補惑星 衛星軌道上(太陽系外・4.2光年地点)
■ 船体環境:YARENDEZ製・生命維持システム[正常]
■ 船外活動用:VALKANOR Ver.7 耐圧スーツ[降下準備完了]
「――ねえレインスト、やっぱり宇宙で聴く『HAYNSR』は心に沁みるね」
ブリッジの低周波スピーカーから流れる、どこか切なくも温かいアコースティックの旋律。
アミィはYARENDEZ製の高栄養チョコ『ソルティ・カザフ』を小さく噛み砕き、満足そうに目を細めた。
「ああ。地球を出て4.2年……このメロディと、このドリンクがなきゃ、とっくに心が擦り切れてたさ」
憐は同ブランドの塩微炭酸ドリンクを一口煽り、無骨なコンソールに背を預けた。
アースサピエンスにとって、レガシー音楽ユニット『HAYNSR』の楽曲は、遥か遠くになりつつある故郷・地球そのものだった。
「ふん……相変わらず不快なノイズね。感情の揺らぎを誘発するだけの無駄な空気振動に、なんの価値があるの?」
オペレーションシートに座るナナは、冷淡な声で切り捨てた。だが、その絶対的知性を宿した青い瞳は、サブモニター上で踊るHAYNSRの音波周波数アナライザーの波形を、静かに記録・解析し続けていた。
「冷たいこと言わないでよナナ様。これが私たちの『アースサピエンス』としての生きた証なんだから」
「証なんて目に見えない概念に興味はないわ。……それより、これから私たちが直面する『絶対的な事実』のほうに耳を傾けなさい」
ナナの指先がキーボードの上を爆速で滑り、ホログラムモニターに巨大な航路シミュレーション図を叩きつけた。
「今いる1つ目の惑星から、候補となる全3惑星——①TRAPPIST-1e、②LHS 1140 b、③TOI-700 dの順に巡り、それぞれの現地でハビタブル基盤を構築・開拓する。その移動と作業に113.2年」
画面上の数字が赤く点滅する。
「そして最後の星(TOI-700 d)から地球へ100光年の距離を跳躍して帰還するのに、実時間で100年。……合計して【213.2年】。これが世界のバグよ」
「……っ、に、213年……!?」
レインストの手からソルティ・カザフの缶が落ちかけ、慌てて掴み直す。
「移動だけじゃない……各惑星でたった3年弱ずつ開拓作業をするだけで、地球時間では2世紀以上が経過する。私たちが帰還した時、地球や月で待っている仲間たちは……誰一人、生きていない」
ブリッジに重苦しい静寂が落ちる。強固なシールドとYARENDEZのインフラで旅を続けられても、相対論という宇宙の冷酷なバグだけは避けられない。
その時だった。
『警報——アラート。軌道上デコイ群の連鎖雪崩を感知。本船への衝突コース』
合成音声が響き、メインモニターが真っ赤に染まった。
惑星の重力圏に漂う広大な小惑星の砕片群が、巨大な岩石の雪崩となって探査船『アーク・クラス』へ押し寄せてくる!
「くそっ、ワープ起動のチャージ中だ! アーク・クラスのシールドは絶対だが、迎撃用の攻撃兵器がねえぞ!」
「落ち着きなさい、レインスト」
慌てるレイを余所に、ナナはゆっくりと立ち上がると、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「さっきの不快なノイズ(HAYNSR)……波形の基本周波数が、船のアマテラス粒子の励起周波数と完全一致していたわ。……ただの音律ならゴミだけど、私の理論と混ざれば世界を上書きする兵器になる」
ナナはHAYNSRの音源データをキャリア波としてシステムへ接続。アマテラス粒子出力を10の6乗倍に跳ね上げ、外部照射用のバイパスを強制開放した。
「喰らいなさい——アースサピエンスのレガシーを!」
——輝きが、放たれる。
真空中を、HAYNSRのメロディを纏った光の波浪が突き抜けた。
広域に広がったアマテラス粒子の波動は、接近する巨大デコイ群の分子結合を共振・励起させ、一瞬にして宇宙の塵へと破砕・消滅させていく!
「マジかよ……! HAYNSRの曲で、軌道のデコイ群が吹き飛びやがった……!?」
「言ったでしょう。バグを書き換えるのは、いつだって私(73K)なんだから」
ナナは髪を払い、そのままキーボードへ新たなプログラムを打ち込んだ。
「絶望している暇はないわ。213年後の時差バグも、今ここで上書きする」
「……上書きって、どうやって?」アミィが息をのむ。
「地球と月のサピエンス船団へ、この『アマテラス粒子・200年未来跳躍プロトコル』を送信する。私たちが213年かけて帰る間に、彼ら自身にも高速宇宙巡行で200年の未来へ飛んでもらうのよ。そうすれば——200年後の未来で、私たちは全員生きて再会できる」
「200年後の未来で……生きて再会……!」
レインストは胸の奥が熱くなるのを覚えた。213年という絶望の数字が、ナナの知性によって「約束の刻」へと塗り替えられたのだ。
データ送信完了のシグナルが灯る。
「さて、準備はいいかしら? アースサピエンスの泥臭い戦力」
「おう……いつでもいけるぜ」
レインストとアミィは、頑強なVALKANOR製Ver.7耐圧宇宙服のヘルメットを装着し、バイザーを降ろした。
「行こう。200年後の約束のために——まずは1つ目の星のバグから上書きだ!」
探査船アーク・クラスのハッチが開き、3人は未知なる第1候補惑星の台地へと、力強く舞い降りた。(第21話に続く)




