第19話:軌道上のブリーフィングと、ほろ苦い感謝
「――全センサーデータの走査完了。画面に集中しなさい、アミィたち」
調査船ブリッジに、ナナの透き通った声が響く。
彼女が細い指先で空を優雅に切り裂くと、中央の三次元ホログラムモニターに未知の惑星の全球像が鮮明に浮かび上がった。
青と白が入り混じる美しいマーブル模様。だが、それは地球のような温もりを宿した青では決してなかった。
表層温度は絶対零度(-273℃)に迫る極寒の地。
大気の大半を致死性の一酸化炭素(CO)が占める、命を拒絶する『死の世界』だ。
「赤道帯が青く見えているわね。光学および分光解析データによれば、厚い氷床の下、あるいは地表直下に大規模な液体相――『海洋』が存在する可能性が高いわ」
「海、か……。だが待てよ」
ホログラムを覗き込み、レインストは顎に手を当てて思考を巡らせる。
「画像データの右下――南東の高緯度エリアに巨大な岩盤の応答があるな。あそこなら地盤も硬そうだし、降下時の足場としては一番安全なんじゃないか?」
「不採用よ、レインスト」
ナナは間髪入れずに切り捨てた。その冷徹なまでの即答に、レインストは思わず苦笑する。
「右下の大地に逃げるのは、視野の狭いサピエンスの浅知恵ね。第一に高緯度帯の熱勾配による環境悪化。そして第二に――私たちの最終ミッションに致命的なバグを生むからよ」
「バグ……?」
「この星での調査と永住環境の構築を終えた後、私たちがこの星を脱出する時のことを考えなさい。高緯度の大地に発射台を建設した場合、宇宙空間へ離脱する際の軌道傾斜角はどうなる?」
「ッ……! そうか、赤道面から外れる!」
ハッと息をのむレイに、ナナは当然と言わんばかりに頷いた。
「その通りよ。この星の自転速度を100%回収し、大気圏を最短距離で垂直に突き抜けて宇宙空間へ離脱するためには、発射台は絶対に『赤道直上』になければならないわ。高緯度からの斜め打ち上げは、姿勢制御燃料を浪費する愚策よ。……アミィ、赤道帯の強固な陸地をピンポイントで走査して」
「はい、ナナ様! 赤道直下の地表透過スキャン、開始します……!」
通信席でアミィの指先が目まぐるしく光のキーを叩く。
13Kという超高精度で記録されるログデータの向こう側に、暗い海の縁に引っかかるように存在する、強固な玄武岩質の赤道陸地が鮮やかに浮かび上がった。
「よし、降下地点は赤道直下に決定ね。だが、問題はここからよ」
ナナがホログラムの数値を更新する。
そこに提示された新たな絶望的なデータに、レインストは大きく顔をしかめた。
「表面重力……地球の約一・二倍(一・二G)か」
「ええ。たった二割の増加と甘く見ないことね。この環境でサピエンスがそのまま暮らせば、心臓障害と関節の破壊で数年も持たないわ。地表にそのまま住むなんて選択肢は最初から無いのよ」
ナナは迷いのない手つきで、次々とホログラム上の設計図を組み替えていく。
「だからこそ、火山活動がなく地盤が極めて安定しているこの星の地下深く――ジオ・フロント(地下都市)まで掘り進めるの。地下居住ブロックには、アマテラス粒子による局所重力緩和バイパスと遠心フィールドを組み込み、完璧な『一・〇G』に上書き(オーバーライド)するわ」
「なるほどな……! 地下都市なら重力問題も極寒も解決できるってわけか!」
「それだけじゃないわ」
ナナの口元に、どこか挑戦的な笑みが浮かぶ。
「地表で吹く高密度なCOの暴風……地球の風より重いこの物理風圧を、短翼型タービンでの『風力発電』と、気流に乗って無制限に巡行する『滑空型COドローン』のエネルギー源として全量回収する。……バグや過酷な環境に文句を言うのは愚者のすること。与えられた物理パラメータを使い倒すのが私のやり方よ」
――完璧すぎる論理の展開。
常人なら絶望して立ちすくむ死の世界すら、彼女の圧倒的な知性の前では、ひとつひとつ勝利へと裏返っていくパズルのピースに過ぎないのだ。
「ふう……相変わらず凄まじい計算量だな。頭がパンクしそうだ」
レインストが呆れ混じりの感嘆を漏らし、シートの背もたれに体を預けたその時――
スッ、と目の前に小さな缶と小箱が差し出された。
「……受け取りなさい」
声の主に目をやると、ナナがわずかに頬を朱に染め、視線を逸らしながら二人へそれらを手渡していた。
「これは……『ソルティ・カザフ』か?」
「ええ。かつてアースサピエンスが全世界線に供給していた高機能電解質ドリンク、そして高エネルギーチョコレートよ。……これまで、私の無茶な計算とバグ上書きに文句も言わず付き合ってくれたことに対する、サピエンス流の『お礼』よ。効率的な電解質と糖分を補給して、次の現場に備えなさい」
「ナナ様……! ありがとうございます!」
アミィがパッと花が咲いたような笑顔を見せると、銀紙を丁寧に剥がし、四角いソルティ・カザフ(チョコ)をひとかじりした。
ほろ苦い塩気と、まろやかな甘み。
極限の緊張状態にあった疲れた脳に、その味わいがじんわりと染み渡っていく。
「ふー……生き返る! やっぱり現場の前の気合入れには、冷えたソルティ・カザフのドリンクに限るな!」
レインストも缶のプルタブをパチンと弾き、一気に喉へ流し込んだ。
世界線がどれほど歪もうと、過酷な宇宙の果てに放り出されようと――アースサピエンスが残したこの懐かしい味だけは変わらない。
そして何より、素直になれない絶対的ヒロインが魅せた微かな気配りが、ピンと張り詰めていたブリッジの空気を優しく温めていた。
「よし……! エネルギー補給は万全だ。赤道直下への降下、いつでも行けるぞ!」
「フン、威勢だけは一人前ね」
ナナはフッと小さく鼻を鳴らすと、凛とした表情でメインコンソールに向き直った。
「――赤道直下への降下シークエンス開始。死の世界を、上書きしに行くわよ」
(第20話に続く)




