第17話:密度四十倍の炉、プロキシマbの一発賭け
「——ふん。本当に低解像度なサピエンスの脳内CPUには呆れるわね」
太陽系の最果て、冥王星軌道の暗黒。
アーク・クラスのメインコンソールに展開されたプロキシマ・ケンタウリと太陽の双方向ベクトル図を指差し、ナナは心底哀れみを含んだ溜め息を吐いた。
レインストから押し付けられたぶかぶかな防寒ジャンパーの袖をぎゅっと握りしめ、ツンと澄まして画面の絶対座標をタップしてみせる。
「『4.246光年先にジャンプできても、どうやって地球へ帰還するんだ』……ですって? 愚問にも程があるわ。地球の技術で夜空に輝くプロキシマという恒星の絶対座標を捕捉してゼロ・ディメンション・ワープの計算(行き)を弾き出せたのなら……プロキシマから見れば、この巨大に輝く『太陽(Sun)』そのものが最強の絶対標的になるのよ?」
ナナは得意気に顎を上げ、暗黒の外宇宙へ向けて言い放つ。
「順演算ができるシステムで、どうして同一条件の『逆演算(帰還)』ができないと思い込めるのかしら? 太陽を目標にして送り返す(ジャンプする)だけ……こんな一階の連立方程式以下の原理すら理解できないのなら、月面の第一等学区『ルナ・アカデミー』の幼稚園クラスから入学し直して(やり直して)ちょうだい〜!」
「ハッ、言われてみりゃそりゃそうだ! デカい電球を目指して飛べるんなら、元のデカい電球(太陽)を目印にして戻ってくるなんて当たり前だもんな!」
レインストが豪快に笑いながら、コンソールの逆航行バイパスのスイッチを力強く叩く。
「ふふ、ナナ様の言う通りですね。可逆性の理解できないサピエンスの皆様には、ルナ・アカデミーの基礎入学願書をデータパージしておきますね」
サブシートのアミィも晴れやかな笑顔で頷く。二人の圧倒的な熱量に、アミィは完璧な裏方(信者1号)として寄り添っていた。
「それと……低解像度な頭で勘違いしないでね。私たちが狙うのは恒星(プロキシマ本体)のど真ん中じゃないわ。そんな処にワープアウトしたら出現一秒で元素レベルで蒸発よ。狙うはハビタブルゾーンの岩石惑星『プロキシマb』軌道上。……ただし、プロキシマbの公転周期は『十一・二日』という爆走スピード。ワープアウト直後の一発アジャスト(同期)に失敗すれば即死よ!」
「一発勝負か! 上等だ、お嬢様! 4.246光年の彼方へ……跳ぶぞ!!」
レインストがメインレバーを引き絞り、アーク・クラスは時空の折り目へと消え去った。
*
主観時間ゼロ秒の猛烈な空間歪曲が収まり、蒼い幕が粒子となって散ったその瞬間。
「成功、したの……!? ナナ様、レインスト……!」
アミィがシートから立ち上がり、メインモニターを見つめて感涙の声を漏らした。
モニターの正面——漆黒の宇宙を背景に、息を呑むほど巨大な蒼黒の球体が画面いっぱいに広がっていた。太陽の四十倍の密度を持つ赤色矮星の光を浴びて輝く、憧れの『プロキシマb』。
「すごいわ! 正面に、あんなに大きく見えている……!」
「……ふざけないで。最悪の場所(座標)よ……!」
隣でコンソールを凝視していたナナの顔から、血の気が完全に引いていた。
「どうして『正面』に見えるのよバカ……っ! 安定した周回軌道上に乗れたなら、惑星は船の『横』に並走して見えるはずでしょう!? 正面に見えているということは……私たちがプロキシマbの重力圏ギリギリの、垂直落下コース(激突ベクトル)に放り出されたってことよ!!」
『警告:プロキシマb重力井戸に捕獲。大気圏激突まで、あと九十秒』
警報が激しく鳴り響く。だが、レインストが操縦桿を力強く握り直し、エンジン全開の構えを取ろうとした瞬間——ナナがその腕を制した。
「待ちなさい! 推進力を吹いちゃ駄目! この状況で推進力を吹いたら、プロキシマbの狂暴な重力井戸に引っ張られて同じアジャスト失敗(計算エラー)を繰り返すわ! 船体がバラバラになるのがオチよ!」
「なっ……じゃあどうすんだよ!?」
「要は、落ちてバラバラにならなければいいのよ! このまま重力井戸へ『垂直落下』しなさい! 落下による巨大な重力加速度(位置エネルギー)を、そのまま空間歪曲の触媒へ転用するの!……忘れたの、レインスト? 私がかつてルナ研究所で極秘研究していた『木星重力加速度ワープ』を! このアーク・クラスは……その理論を実証するために作られたプロトタイプ船(私の船)なのよ!!」
「——ハッ! そうだったな……! 俺がこのボロ船のネジを締め直してたのは、お前のそのイカれた理論を咲かせるためだったぜ!!」
レインストがスロットルを解除し、プロキシマbの重力領域へと船体を深く沈め込ませる。猛烈な重力加速度が空間を強力に折りたたんでいく!
「外郭惑星『プロキシマc』の静止軌道上へ……緊急加速度ワープ(スイングバイ・ジャンプ)!!」
*
静寂が、ブリッジへと戻ってきた。
メインモニターの『横』に、静かに、知識と冷気を湛えて佇む巨大な青白い氷の惑星——『プロキシマ・ケンタウリc』。アーク・クラスは今度こそ完璧な周回軌道上へと滑り込んでいた。
「あ……はは……本当に、横に見えるわ……完璧な軌道上よ、ナナ様……!」
アミィが安堵の溜め息を漏らし、レインストがニヤリと笑う。ナナは防寒ジャンパーの袖で額の汗を拭い、フンと鼻を鳴らした。
「学習したわ。……ワープアウト時の『空間絶対座標(位置)』そのものは、私の計算通りコンマ〇〇〇一ミリパーセントの狂いもなく100%正確だったわ。……問題だったのは座標じゃない。出現した瞬間の『船体の姿勢(惑星に対する角度や傾き)』よ。ジャンプ時の姿勢制御角が数ミリ秒ズレていたから、進行ベクトルが垂直落下へ偏向したのね」
ナナの指先が、完璧な修正ログ(パッチ)をコンソールへ書き込んでいく。
「原因が特定できれば恐れるに足らずよ。このプロキシマcの周回軌道上で、三重連星のエネルギーをカプセルへ補給しながらメンテナンスを行う際、船体のジャイロと姿勢制御システムを完全に調整し直すわ。これで次のプロキシマbへの再トライは、完璧な『並走軌道』へ一発着地できるわ!」
「へッ、さすがはナナ様だ! 失敗から一瞬で原因をハックして完璧なメンテナンス(修正)を組み込む……泥臭い現場の相棒として最高だぜお嬢様!」
「な、生意気に褒めナイでちょうだい……っ!」
レインストに頭をポンポンと撫でられ、ナナは真っ赤になってそっぽを向いた。だが、その手はしっかりとレインストの防寒ジャンパーの裾を握りしめている。
「祝杯は……プロキシマbへ完全着地してからよ。……今は、その……私の脳バッファが過熱しているから、このまま三十分間……私を抱きしめて放熱させなさい……っ!」
「おうよ、いくらでもな」
二人の温かな体温の交錯を、アミィは晴れやかな聖母の笑みでシステムログへ記録する。
絶望すらも学習し、姿勢を正して次なる創世へ跳ぶ。彼女たちのPATHに、揺らぎは一切存在しない。(第18話に続く)




