第14話:極低温のハッキング(凍えるセンサーと彼女の特等席)
土星の重力スイングバイを終えたアーク・クラスは、太陽系外縁部へと向かう虚空を滑るように進んでいた。
窓の外に広がるのは、星の光すらも凍りつくような、完全な暗黒の静寂。
「——冷える、と思ったら、やっぱりね。外部の環境温度、マイナス二百三十度を突破。船体外壁の一部に、超微細な『窒素氷』の結晶が異常吸着してる。センサー類の冷却ファンが物理的にロックされかけてるわ」
サブコンソールのアミィが、吐き出す息を白く染めながらキーボードを叩く。
太陽の光が極端に弱まるこの宙域では、船内の熱対流システムを常に「魔改造」し続けなければ、外壁から順に凍りつき、電子回路が沈黙してしまう。
「チッ、窒素の氷か。月の洗練されたスマート装甲なら勝手にハジき落とすんだろうが、このブリキ缶の鉄板はそういうお上品な機能が付いてねえ。……お嬢様、お前のその美しい脳みそで、窒素分子の吸着振動数をハックして、一瞬で『融解』させるバイパス信号を弾き出せるか?」
コンソールから太い銅線を引っ張り出し、即席のヒーター回路を手作業で編み上げながらレインストが尋ねる。
「ふ、ふん……。私を誰だと思っているの。窒素分子の格子欠陥に生じる電磁的なノイズなど、私の脳内演算バッファの一コンマ数パーセントでアジャスト可能よ。……でも、その、レインスト」
コンソールを操作するナナの指先は、寒さと脳の疲労で、目に見えて頼りなく震えていた。
いつもの冷徹な監査官としての威圧感はどこへやら、彼女は防寒ジャンパーの襟元をぎゅっと握りしめたまま、その場から一歩も動けなくなっている。
「どうした、お嬢様。指が凍りついてキーが叩けねえか?」
「ち、違うわよ! 私の指先は完璧に動くわ! ……ただ、その、身体が物理的に『極限の低体温』を検知して、運動中枢が省エネモードに移行しようとしているだけよ。つまり……」
ナナは真っ赤になった顔をジャンパーのフードに半分うずめ、上目遣いでレインストを睨みつけた。
「……あなたのその、無駄に高い生命力と、体熱を……私の背後から『密着』させることで、私の指先の同期効率が三〇〇パーセント向上するという、非常にロジカルな結論に達したのよ。だから……早く、しなさい」
「はあ? 要するに、寒くて寂しいから抱きしめてキーボード叩いてくれってことか?」
「抱きしめるなんて、野蛮な表現を使わないで! これは熱力学的な相互補完システムよ!」
ツンと澄まして腕を伸ばすナナ。
レインストは「やれやれ」と小さく笑うと、躊躇なくナナの背後に回り込み、その華奢な身体を包み込むようにしてコンソールに手を伸ばした。
ガシッとレインストの逞しい胸板が、ナナの背中に密着する。
男の圧倒的な熱量が、防寒ジャンパーを透かしてナナの身体へと流れ込んでいく。
「ふあ……っ」
ナナは嬉しそうに、そして安堵したように小さく身をよじり、レインストの体温に完全に身を委ねた。
その白く細い指先を、レインストの無骨な手が上から優しく包み込み、キーへと導く。
「よし、お嬢様。熱は送った。窒素のハッキングPATHを、外壁センサーに通せ!」
「ええ……! 分子振動、同期開始! ——消え去りなさい、氷壁ども!」
ナナの脳波と、レインストの手技が完全に一体となり、アーク・クラスの外壁を覆っていた窒素氷が一瞬で蒸発していく。
モニターの警告が、次々と美しいグリーンへと反転した。
「ハッキング完了! センサーの冷却システム、完全に復旧しました!」
アミィが振り返り、満面の笑みで報告する。
その視線の先では、レインストにすっぽりと抱きか抱えられたまま、満足そうに「ふふん」と鼻を鳴らしているナナの姿。
二人の間に流れる、誰にも邪魔できない絶対的な信頼関係(共犯領域)。
「ありがとう、二人とも。本当に、宇宙一のシステムね」
アミィは誇らしげに、そして晴れやかに笑い、そっとコンソールへと向き直った。
この絶対的な純愛を裏から支える、世界で一番有能な『最初の信者』として、彼女の役割はすでに完成していた。(第15話に続く)




