第13話:十三のノイズ(カプセルに眠る設計図)
土星のリングから莫大な重水素氷をハッキングし、燃料タンクを百四十パーセントまで限界突破させたアーク・クラス。
船は静かに氷の環を滑り出し、次なる中継点である天王星軌道へ向けて、慣性航行に移っていた。
ブリッジのメインコンソールには、吸い上げた資源の分子構造を『地球元素カプセル』のデータベースと照合し、船体装甲の補強プロトコルを自動生成するログが流れている。
「……ふぅ。これで一旦、資源のハッキングと最適化はひと段落ね」
コンソールの前に座るナナが、小さく息を吐いた。
その肩には、相変わらずレインストのぶかぶかな防寒ジャンパーが羽織られている。すでに知恵熱は下がっているはずだが、彼女はそれを返す素振りを微塵も見せず、むしろ当然のようにその大きな袖に守られていた。
「よくやった、お嬢様。おかげでこのブリキ缶の機動性は、チョモランマを出た時の倍以上に跳ね上がってる。これなら外宇宙への跳躍も夢じゃねえな」
隣のシートで操縦桿のバイパス電圧を点検していたレインストが、不敵に笑ってナナの頭を小突いた。
「ちょっと、無作法に触らないでちょうだい。私の脳内メモリは今、アップデートされた装甲の応力計算で忙しいのだから……っ」
ツンと澄ましてそっぽを向くナナ。だが、レインストの手が離れると、どこか物足りなさそうに防寒ジャンパーの裾をぎゅっと握りしめる。その高い依存度は、もはや隠しようもなかった。
「ふふ、ナナ様、口ではそう言いながら、レインストのジャンパーがすっかりお気に入りですね」
サブシートのアミィが、通信ログの整理をしながらクスクスと楽しそうに笑う。
二人の絶対的な距離感を前に、アミィの心は完全に『晴れやかな裏方』として定着していた。二人の世界を邪魔するのではなく、その絶対的な愛の行方を見届けることこそが、この船における自分の最高のポジションだと確信しているからだ。
「な、何を見当違いなことを言っているのアミィ! これは熱効率の観点から——」
ナナが真っ赤になって反論しようとした、その時。
ビピッ。
コンソールの隅で、一本の不自然なエラーログが静かに明滅した。
それは船体の機械トラブルではない。船の最深部に格納されている、人類の未来の種――『地球元素カプセル』の基幹制御データから発せられたものだった。
「……? 変ね。カプセルの暗号化セクターに、未知のプロトコルが混入しているわ」
ナナの表情から一瞬でラブコメの甘さが消え、冷徹な監査官の顔へと戻る。
彼女の細い指先がキーボードを叩き、そのノイズの正体を解析し始める。
「どうした、お嬢様。カプセルの元素データがバグってんのか?」
「違うわ。データが壊れているんじゃない。……隠されているのよ。サピエンスがこのカプセルを完成させた時、元素の圧縮プロトコルの裏側に、意図的に別の『巨大な設計図』を埋め込んでいたんだわ」
「設計図だと?」
レインストが眉をひそめて画面を覗き込む。
ナナの脳内演算によって紐解かれていく暗号データ。それは、ただのテラフォーミング技術の粋を超えた、おぞましいほどに緻密で広大な『構造体』の羅列だった。
「これは……数式が『13』の倍数で構築されている……? 地球滅亡の数式と同じよ。……信じられない、全部で『13の設計図』が存在しているわ。今回、私たちが土星の資源とカプセルの元素をシンクロさせたことで、その第一の設計図のロックが自動的に解除されかけている……!」
画面に映し出されたのは、宇宙の物理法則そのものを書き換えてしまうような、未知のテラフォーミング・プロトコルの一端。
サピエンスはなぜ、地球を滅ぼす数式「13」と同じ名を持つ設計図を、生命の種に遺したのか。
新天地へ向かう片道切符の裏に隠された真実の一端に触れ、ブリッジに一瞬、冷たい緊張が走る。
「……へっ、面白ぇじゃねえか」
沈黙を破ったのは、レインストの不敵な笑い声だった。
「人類の遺産だか何だか知らねえが、隠された設計図があるなら、それも全部俺たちの手で魔改造して、この船のパーツにしてやるだけだ。そうだろ、お嬢様?」
「……相変わらず、野蛮で脳筋な答えね」
ナナは呆れたようにため息をついたが、その瞳にはレインストへの絶対的な信頼と、仄暗い未知への興奮が宿っていた。
「ええ、その通りよ。どんな設計図だろうと、私の頭脳でハッキングして、あなたのその泥臭い手技で現実に着地させればいい。……私たち二人に、解けない数式なんて存在しないのだから」
ナナはそう言うと、防寒ジャンパーの袖から手を伸ばし、レインストの無骨な手を強く握りしめた。
アミィはその様子を後ろから見つめ、静かにログを確定させる。
13の設計図の覚醒。それは、ナナを『創世の女神』へと押し上げる、数億年の未来へ向けたカウントダウンの始まりだった。(第14話に続く)




