第11話:熱のバイパス、甘やかな重力(戦闘後のボーナス)
戦闘を終えたアーク・クラスのプライベート区画は、ひっそりとしていた。
木星軌道を超え、船は土星のリングへと至る長い沈黙の巡航フェーズに入っている。
レインストは、個人個室のベッドに横たわるナナのそばにいた。
額に当てられた濡れタオルを、慣れない手つきで絞って取り替える。
「……ん、ぅ……」
ナナが微かにうめき、長い睫毛を震わせて目を開けた。
いつもの冷徹なエリートとしての威圧感はどこにもない。熱に浮かされたように頬を赤く染め、焦点の定まらない瞳でレインストを見上げている。
「気がついたか、お嬢様。無茶しやがって。一・三秒の光速ラグを脳内でアジャストした上に、電磁誘導の元素最適化なんて曲芸やらかしたんだ。知恵熱で脳ミソが焼き切れてもおかしくなかったんだぞ」
「……レインスト……」
ナナは弱々しく手を伸ばし、枕元に置かれていた、例のぶかぶかな防寒ジャンパーの袖をぎゅっと握りしめた。
「敵は……地球棄却派の駆逐艦は、どうなったの……?」
「お前の計算通り、小惑星と衝突して消え去ったよ。アミィがセンサーを見張ってくれてる。ここらは静かなもんだ。だからお前は、余計な計算なんか止めて寝てろ」
「だめよ……。まだ、やることが……。船内の『地球元素カプセル』の保管状況を確認しないと……。あれは、人類の、未来……」
上体を起こそうとするナナの肩を、レインストが無骨な手で優しく、だがしっかりとベッドへ押し戻した。
「そいつは俺の仕事だ。お前は自分の体のバイパス制御(熱処理)だけ考えてろ」
「……っ、バカね。私の脳の熱は、物理的な冷却じゃ下がらないわ。超演算による脳細胞の活性限界——いわゆる、オーバーロードなのだから」
ナナはぷいと横を向いたが、その耳たぶまで真っ赤に染まっている。
「なら、どうすりゃ下がるんだよ。ルナ・セクターの高度な薬なんて、このブリキ缶には積んでねえぞ」
「……手を、握りなさい」
「あん?」
ナナは防寒ジャンパーの袖から、白く、細い、そして微かに震える指先を差し出した。
「お、お前の手のひらは……無駄に分厚くて、熱いから。……その物理的な接触による、電気的な安心感が……脳の自律神経を安定させ、演算バッファをクリアにする……という、理論的な、処方、よ……」
ツンと澄まそうとしているが、声は震え、その瞳はすがるようにレインストを見つめていた。
宇宙の絶対座標を暴き、新天地での創世を司る「女神」が、いまや一人の技術屋の手がなければ、熱を下げることすらできない。
「へっ……都合のいい理論だな、お嬢様」
レインストは苦笑し、その無骨な手で、ナナの小さく冷たい手を包み込んだ。
男の皮膚の硬さと、確かな熱。
それを受けた瞬間、ナナの顔からふっと緊張の糸が解け、深い安堵の吐息がこぼれた。
「……温かいわ……」
「そりゃどうも。現場の職人は年中体動かしてっからな。熱だけは有り余ってんだよ」
「……ねえ、レインスト。さっき、カプセルから超伝導元素を宇宙空間に放出した時……私は、不思議な『感覚』を覚えたの」
ナナがレインストの手を握り返す。その力が、少しだけ強くなった。
「あの極小の元素たちに、私の脳波(PATH)が直接、噛み合ったような……。まるで、宇宙の物質そのものが、私の思考に合わせて組み変わっていくような、そんな奇妙な……」
レインストの眉がピクリと動いた。
ただの元素圧縮技術であるはずの『地球元素カプセル』。それが、ナナの超天才的な頭脳と、主観時間ゼロの跳躍を経てシンクロした時、何が起きるのか。
それは、この「創世の片道切符」に隠された、もう一つの禁忌の片鱗だったが、今のレインストには知る由もなかった。
「ま、考えすぎだ。お前はただの、ボトルも開けられねえポンコツお嬢様なんだからよ。……ほら、目を閉じろ」
「……ポンコツって、言うな……。……でも、今日だけは……このまま、手を離さないで……」
ナナはそう呟くと、レインストの手を胸元に抱きかかえるようにして、静かに眠りに落ちていった。
その穏やかな顔を見つめながら、レインストは、この華奢な少女が背負う未来の重さを、改めてその掌に感じるのだった。(第12話に続く)




