35.受け取り手のいない善意
——ある日の朝、
俺はいつも通りおじさんからシェアクエストを買い取ると、
砦に向けて街を出た。
正門から出て橋を渡りきった場所に、見覚えのある女の子の姿があった。
もうここ何日もずっとだ。
彼女はずっと、
橋の近くで地面を掘り続けている。
彼女を見かける度、
胸の奥をチクリと針で刺したような痛みが走る。
最初は心配して多くの人が集まっていたが、
今はもう…
彼女に救いの手を差し伸べる人は居なかった。
代わりに居たのは、遠くから彼女を嘲笑する連中だ。
彼ら彼女らも、元は心配で見に来ていた人間なのだろう。
しかし、
自分の善意や好意を受け入れて貰えなかった人間は、
相手を貶すことで傷つけられた自尊心を守っている。
時に陰口を叩くだけにとどまらず、
彼女に土を蹴り掛けたり、
後ろから蹴り倒す人間まで現れた。
街の出入り口だ。
多くの人に見られていたであろう。
だが、助けに入る人間は現れない。
それは、
既に何度も試みられた行動だからだ。
助けたところで、状況が改善するわけでもなく。
彼女が行動を改めるわけでもない。
受け取り手の居ない善行は、
彼らの勇気ある行動を
無意味な徒業へと昇華させた。
実際彼女は、攻撃するには格好の的だった。
誰とも喋らず、
人の善意を跳ね除け、
泥にまみれた身なりをした、
ひたすら地面を掘っている変な奴。
彼女が嫌われる対象に変わるのは、
火を見るより明らかだった。
だからと言って俺は、
攻撃していいとも思わないし、
攻撃する奴らに嫌悪感すら覚える。
そして、
まだ一度も助けていないからか、
助けてあげたいという気持ちは健在のようだった。
それでも……
俺は、関わることを拒んだ。
しかし、この日はもう1つ…
彼女の別の1面を見てしまった。
俺は昼食をとりに再び街へ戻ってきていた。
この時間はいつも飲食街が賑わっている。
俺はいつもとは違う店に入る。
誰も居ないような穴場の店の情報を
サカキバラさんから仕入れていたからだ。
飲食街から少し離れた裏路地。
壁と同化した店の入口は、危うく見逃すところだった。
扉を開けて中に入ると、
店内は閑古鳥が鳴いている。
ちょうど1人のプレイヤーが店を出ていく場面に遭遇したが、
他にプレイヤーの姿は見当たらない。
久々に有益な情報を掴めたと浮かれながら店内を見渡していると、
人の気配に気付く。
店の隅、
柱に隠れて薄暗い一番角の席。
まるでお一人様専用かのように
1つだけ存在した小さなテーブル。
そこに座るのは、
今朝見かけた泥だらけの少女。
(なんでここにミサキちゃんが!?……)
彼女は一人さみしく食事を取っていた。
いや、もう食べ終わる頃だろうか、
彼女が手に持っていたのは、白くて硬いあのパンだった。
俺は驚きながらも、自分の座る席を探す。
彼女の席から離れた場所、
しかし、彼女の席が見える位置に自然と座った。
いや、彼女のことが気になりすぎて、
無意識にその席を選んでいた。
注文した品が届くと、
俺は念入りに咀嚼し、
不自然でない程度にゆっくりと食事を続けた。
——数分後
ようやく彼女は白いパンを食べ終える。
しかし今度は、
水を注文しゆっくりと飲んでいた。
別に不思議なことでは無いが、
問題は、水を飲み終えると新しい水を注文していることだ。
彼女は俯いたまま、両手でコップを包み込むように握る。
時折顔を上げたと思ったら、
ウィンドウを開いて何かを確認している。
そうして、再びコップを口に運ぶ。
そして、10分は経過しただろうか。
彼女はまだ水を飲んでいた。
コップの水が無くなると店員のNPCを呼び止め、
表示されたウィンドウから再び水だけを注文する。
この街にある全ての店はメニューの品がほぼ一緒だが、
どの店にも必ずと言っていいほどあるのが、
白くて硬いパンと水だ。
水は、何か1つでも注文すればおかわりは無料と書かれている。
だからと言って、
好き好んで水ばかり飲む人間がいるとも思えない。
俺は彼女の行動が気になり、
自分でも水を頼んでみた。
……ただの水だった。
無味無臭でなんの意外性もなく、
特段冷たいわけでもない。
むしろ少しぬるいくらいだ。
水は気分で味が変わると言うが、
湿気を吸った木材の匂い、
樽や木桶、それに土と潮風の匂いが混じったこの空間は、
有り体に言えば臭く、
お世辞にも心地良い場所とは言えない。
加えて今朝のような出来事で、
彼女の気分は酷く沈んでいるに違いない。
そんな彼女には、
この生ぬるい水がどんな味に感じられているのだろうか。
少なくとも、美味しく飲んでいるようには見えなかった。
次に気になったのは彼女の視線だ。
彼女はウィンドウで何を見ているのだろうか。
彼女は毎回、
ウィンドウを開いてから一度しか画面をタップしていない。
つまり、そこまで複雑な操作はしておらず、
ウィンドウで表示される最初の項目。
つまり、
・[インベントリー]
・[ステータス]
・[パーティ]
・[フレンド]
・[クエスト]
・[オプション]
この内、どれかの項目を押し、
最初に開いたページをずっと眺めていることになる。
彼女の指の動きから、上2つの可能性が高い。
そして彼女はウィンドウの左下を眺めている。
俺は[インベントリー]を開き、
同じく左下に目を下ろす。
そこには、小さくHPバーとMPバー、
そして、空腹度を表した胃袋のマーク、
渇水値を表した雫のマークがあった。
(彼女は渇水値を気にしているのか?)
渇水値。
要するに喉の渇きを表すステータスだ。
彼女は、何かしらのデバフを受けてしまい、
渇水値が回復しないようになっているのではないか。
そう思ってしまった。
だがその可能性は低いだろう。
MMOとサバイバル要素を組み合わせたゲームは稀であり、
この2つは相性がいいとは言えない。
戦闘や冒険を楽しみたいユーザーにとって、
行動を制限するサバイバルシステムは足かせでしか無いからだ。
だが、このゲームはそこまで硬派でも無さそうだ。
俺達が食うに困っているのは、
主に狩場の奪い合いが原因であり、
金さえあれば空腹に悩まされることはない。
現に、一番安いパンや一杯の水でも
それなりに回復できるからだ。
そんなサバイバル要素がライトなゲームに、
[渇水値が回復しなくなる]
なんてデバフが存在するのだろうか?
そんなことを考えながら、
俺はウィンドウの左下を眺め、
口に水を流し込む。
すると、
視界の中に違和感が、
ごく些細な変化に気付く。
ずっと眺めていた項目が微かに動いたのだ。
渇水値ではない、
それは既に満たされていた。
もちろん、HPでもMPでもない、
それは空腹度だった。
俺は、
今までサバイバルゲームを好んで遊んでいたからこそ、
出来てしまった偏見があった。
サバイバルゲームは、生き残るために
空腹度と渇水値の両方を管理しなければならない。
そこでよくあるのが、
肉を食べると空腹度が回復し、
水を飲めば渇水値が、
そして、果物を食べると両方とも少しだけ回復する。
中でもディストピアを舞台にしたゲームは、
乾パンや軍用の保存食、缶詰や水無しカップラーメンなどが存在する。
乾パンや水無しカップラーメンは、
食べると空腹度が回復する代わりに、
喉が渇いて渇水値が減ったりする。
要するに、
この2つのゲージを管理するのがとてもシビアで、
両方を回復できるアイテムなど果物以外では相当珍しかった。
だがどうだろうか、
その発想に至らなかった。
今、目の前で起きた現象は……
ただの水を飲むだけで……ほんのわずかだが、
空腹度が回復したように見えた。
俺は追加で水を注文し飲み続けた。
やはりそうだ、
彼女は、
パン1つでは足りない空腹度を、
水を飲み続けることで回復していたのだ。
まるで、貧しい家庭の人間が
水道水で空腹を誤魔化すかのように……
しかも、この現象は連続で水を飲んでも意味がない、
この現象にクールタイムが存在するのか、
数回行うと、間隔を開けないと回復しなくなっていた。
彼女は、この現象を自分で見つけたのだろうか!?
あの無駄にゲームの豆知識を教えたがるサカキバラさんとの雑談にも、
こんな情報は出てこなかった。
この事実に驚き、ふと彼女の方に視線を向けると、
彼女と目が合ってしまった。
慌てて視線を逸らす。
(まずい、流石に長く居すぎたか……)
(怪しまれる前に立ち去ろう…)
俺は、水を一気に飲み干すと、
少し待ってから何気ないふりをして席を立つ。
店を出てからも、彼女のことが気になって仕方なかった。
気になると言うよりも、
彼女の状況があまりにも可哀想に思えた。
気さくに話しかけて、
料理の1つでも奢ってあげれば良かった。
そう思うものの、
そんなことを実行に移せるコミュ力も無ければ、
恐らく彼女は俺のことなど覚えていないだろう。
俺も、あそこに居たその他大勢と同じく、
彼女に向けた善意を拒まれるのが怖かった。
その日、日が暮れる前に狩りから戻ると、
彼女がちょうど橋を渡って街へ帰る姿が見えた。
俺は好奇心に逆らえず、
彼女の後を追うことにした。
彼女が立ち寄ったのは、市場にある屋台。
ポーションを売っている美魔女の店とは違い、
普通のおじさんが営んでいる店だ。
並んでいる物品からして石材商だろう。
本来なら、プレイヤーが手に入れた鉄鉱石や、
なんたらライトなどの鉱物を高値で買い取ってくれる店だ。
しかし店主に話しかけた彼女は、
インベントリーから大きな袋を取り出す。
テーブルに置くと、袋の口から数個の石がこぼれ落ちる。
彼女は慌てて拾い上げ、袋に戻す。
それは、
本当にただの石だった。
なんの変哲もない、
道端に落ちているような石。
コウキがゴブリンの気を引くために、
そこら辺から拾って投げていた石にそっくりだ。
店主のNPCがその袋を持ち上げ、
店の奥に置いた。
つまり彼女は、
ただの石を大量に売っていたのか?
彼女は続けてインベントリーを開くと、
再び大きな袋を取り出す。
それも一度や二度じゃなかった。
(あれ、全部ただの石!?)
(どんだけ集めてるんだ……)
彼女は今度、
白くて丸い石を数個ほど両手で包むように持ち、
店主の方に差し出す。
店主も優しく両手で受け皿を作り、それを受け取った。
彼女は2種類の石を売ると、
店主にお辞儀をして去っていく。
俺は気になって、急いで街の外へ行く。
手頃な石は無いか辺りを見渡す。
しかし、橋を渡った先は草原で
石はそれほど落ちていなかった。
もちろん、彼女が掘っていた辺りも
ほとんど草と土しかない。
俺は、人が踏み荒らして草木の生えなくなった道を
目を皿にして石を探した。
小さすぎる石はアイテムとしてインベントリーに入らない。
ついにゴルフボールほど石を見つけると、
それはアイテムとして反応し、
インベントリーに格納することができた。
石を数個集めると、石材商まで売りに行った。
店主が眉を潜めた顔で俺の手元を見ては
吐き捨てるように言った。
「兄ちゃん……これはただの石じゃねぇか」
「こんなもんに値段は付けられねぇ……」
「帰った帰った!」
売れなかった。
目の前にポップしたウィンドウにも、
売却価格は0Gと表記されている。
(なぜだ、彼女の石はなぜ受け取ってもらえた…)
考えられる可能性は1つ、
——量だ。
そんなバカなとは思いつつ、
俺はその日、夜になると誰も見ていないのを確認すると、
昼間、彼女が掘っていた地面を自分でも掘り始めた。
めっちゃ疲れる……
両手で20回ほど掘り起こして
ようやく1つ石が手に入った。
もう4~5分ほど掘り続けただろうか、
彼女が売っていた白い石は手に入らない。
だが、
彼女はここより先のフィールドで見たことがない。
手に入れるとしたら、ここで手に入れたとしか思えない。
信じて掘り続けること30分。
あの白い石がようやく手に入った。
ダブルタップをするとウィンドウが表示され、
アイテム名には[綺麗な石]とだけ書かれていた。
「なんだよ……大した物じゃなさそうじゃん」
「いったい何に使えるんだこれ……」
ようやく手に入れた石の名前に拍子抜けしたこともあり、
ある程度の石だけを持ってその日は切り上げた。
——次の日
さっそく石材商まで売りに行った。
試しに石が20個くらい入った袋を渡すと、
昨日と同じく値段は付かなかった。
俺は足りないのだと思い、
25枠しかないインベントリーの1枠。
1枠に重ねて格納できる石の限界値。
50個をそのまま具現化させた。
すると彼女が昨日取り出していたくらいの
大きな袋が現れ、それを店主に渡した。
「兄ちゃん……なんでただの石をこんなに!?」
「よく集めたな~……」
「まぁ、まったく使い道が無いってわけでもないしな」
「仕方ない、兄ちゃんの頑張りに免じて」
「10Gで買い取ってやろう……」
売れてしまった。
ただの石が……
続けて[綺麗な石を売ると]
こちらは1つ20Gだった。
あの時彼女が売った石をざっと計算すると
150G~200G前後……
あの硬いパンを3食分買う金額には届く。
つまり彼女は、
パーティが壊滅してからのここ数週間、
モンスターが怖くて戦うことが出来ず、
モンスターに襲われない街の入口近くで、
誰も競争相手のいないただの石を必死に掘り出し、
自分なりの方法で…
その日の食費を工面していたのか……
風呂に入る金もなく体は汚れ、
宿も取れず疲れは溜まる一方……
通行人は彼女を笑い、
時には暴力を振るわれていたにも関わらず…
それでも彼女は……
生きることを諦めず、
自分で手段を見つけ、
ここまで生き延びてきたのか……
——俺は、彼女を心から尊敬した
最近この街には、
物乞いをするプレイヤーが現れ始めた。
街の入口やギルド前、宿屋や道具屋の前、
いたるところで路上に座り込み、
道行く人にお金をせびっていた。
他にもこの街には、誰かに寄生しようとする人間や、
性別を利用して金を稼ぐ人間が居る……
そんな中、
彼女は……誰にも迷惑を掛けず、
自分の力だけで、今を懸命に生きている。
そんな彼女がどうして鬱憤晴らしの的にされなくちゃならないのか、
考えただけで怒りがこみ上げてくる……
このゲームが始まってから、既に1ヶ月は経っている。
13もの世界が存在するこのゲームで、
第1世界の……
それも始まりの街すら抜け出せていない俺達が、
このゲームをクリアするまでに果たして何ヶ月…
……何年掛かるのだろうか……
その間、
彼女はこの生活をずっと続けるのだろうか。
想像しただけで吐き気を催し、
体中の熱が胸より上に集まってくる。




