第10話 〝永遠の輝き〟 1/2
「暑いね……」と千秋が言った。
初夏。
東北の山間部でも暑いものは暑い。
夜に窓を開ければ山から吹下ろす冷風で寒い日もある皆瀬村なのだが、日が昇れば途端に暑くなる。猛暑日や熱帯夜にならないだけマシと思われたり避暑地だとか涼しいイメージをもたれるけれど、いきなり暑くなっていきなり寒くなるのは心身共にこたえる。
「ねえ、知ってた?」
と千秋は人差し指をたてて、
「常夏のハワイでも雪が降ってスキーが出来るんだよ。ハワイ島のマウナケアっていう4000メートルもある山で、すばる望遠鏡があるところ」
ウンチクを披露して、この上ない笑顔をみせた。
「暑いときにそういうの聞くと無性に腹が立つんだが」
「何よ、自分だってシャベルとスコップのウンチク言ってたくせに」
ふんっだ、と千秋はそっぽを向く。
毎月第一第三土曜日に行われる自主参加とは名ばかりの強制土曜講座を受けて、極暑の太陽が照る中、皆瀬川に沿った道を千秋と一緒に帰宅途中、あまりの暑さに目眩がして汗が噴き出す。今なら泳いでいる鮎ごと皆瀬川の水を飲み干せそうだった。
栞乃は土曜講座の居残りをさせられて、それにハルが付き合っている。
キミは背中にべったり張り付いたシャツの不快感を我慢して、汗を拭って言う。
「暑いな……」
「暑いって言うから暑いのよ」
千秋もこの暑さには顔を火照らせていて、うちわ代わりのハンカチで首もとをパタパタ扇いでいる。
「涼しいなあ、涼しいなあ、涼しいなあ」
「ウザっ」
「なんて言えばいいんだよ……」
キミは無意識のうちに「暑い暑い」と連呼しながら歩いていると、
「あそこって確か……」
何を思ったか、千秋がふっと体を寄せて来た。
「な、なんだよ千秋。くっつくなって、暑いんだから」
「そうだよ、思い出した。あの場所は幽霊が出るんだよ……」
千秋は道外れの空き地を指さしてそう言った。
以前そこには古い民家がぽつんと建っていたが、いつの間にか取り壊されてしまい、今ではどこに玄関があったのかさえ分からず、ただただ夏草生茂る荒れた土地となっている。
「真っ昼間から? それも灼熱地獄に」
寄りすがってくる千秋に、キミは嘆息した。
「こんな時間帯に幽霊は出て来ないだろ。熱中症で2回死ぬぞ」
「だって何人もの人が目撃してるんだよ? あそこに厚着したお婆さんが立ってるって」
「なおさらぶっ倒れるぜ」
キミは鼻で笑った。
「ホントに怖がり症だよな、千秋は」
「怖いものは怖いじゃん!早く行こっ、怖いもん」
千秋は、真面目な顔をして、キミの手をつかんで急かした、まさにそのとき。
ガサガサ――
その荒れた土地から音がした。
「えっ」
千秋の足が止まる。
背丈のある夏草がざわざわと揺れる。
何かがこちらに向かって来る。
「ははっ。きっとタヌキかキツネだろ、もしくはイタチかな?」
とは言ってみたものの、やはり気になるので、キミは立ち止まったまま何が出てくるのかジッと見つめた。
現れるとすれば、道を挟んで数メートルほど前方、道路と夏草の生際だ。
腰の引けた千秋は、手をつないだ状態でキミの後ろに身を隠す。が、キミの肩越しに事を窺う。怖いくせに心の何処かに怖いもの見たさがあるようだ。直視はしたくないけれど顔を覆う手の、指の隙間からこっそり覗き見みたい心持ち。
ガサガサという音が増す。
夏草を掻き分けてどんどんこちらにやって来る。
突然、その中から老婆が現れた。
「――ッ! で、で、でた」
千秋がキミのシャツをギュウッと掴む。一緒に背中の肉も掴まれて激痛が走る。
「イタタタタ、痛! 爪を立てるな!」
「あのお婆さんだよっ!」
「何がだよ!?」
「いま話したでしょ!」
厚着のお婆さん! と千秋はたじろいだ。
キミは老婆のほうへ目をやる。
このクソ暑い中、綿がぶくぶく入って膨れた袢纏を着、布かマフラーかを首に巻いて軍手をしている。軍手は防寒だろう。
「大丈夫か、あの婆ちゃん。ボケて夏と冬が分からなくなったか?」
「幽霊だよ!」
体を揺すってくる千秋の腕には鳥肌がたっている。
「落ち着けって」
尚もキミは老婆を観察する。
今までの経験上、幽霊ならば襲って来るに違いない。
しかし――
中腰の体勢で足もとに視線を落とした老婆は、辺り一面に生茂る夏草を掻き分けているだけで、襲って来たり奇声を発する気配はない。それよりむしろ、困り果てた表情を浮かべ、まるで探し物をしているかのように歩き回っている。
「……本当に幽霊か? 何やっているんだ?」
すると老婆は不意に、キミへ悲しい眼を向けた。
そして、夏草を背にしていた老婆は振り返りざま、その姿をふっと消した。
「消えちゃった……何か探していたみたいだったけど」
「うーん?」
キミは頭を掻いた。
今まで出会ってきた、『お命頂戴仕る』の幽霊とは系統が違う。
「やだなぁもう。一人じゃこの道、怖くて通れないよ……」
千秋はキミの手を離すことを知らず、こう言った
「お願いだから、これから一緒に登下校して?」
「エエェ……」
それはそれで怖い話だった。
この場所を通るたび、背中を抓られたんじゃ身が持たない。
早急に幽霊対策を講じる必要が発生して頭を悩ませていると後ろから、プップッ、とクラクションを短く鳴らされた。
見れば車はパッシングで合図して、路肩に停車した。皆瀬村役場の公用車だった。
「2人とも学校の帰り? 良かった良かった」
ウィンドウを開けて言う男性は、役場職員で企画商工課の斉藤さん。分厚いレンズの眼鏡をかけて、お腹の出始めた、コレステロール値が気になる五十代半ばの男性だ。村の広報を作成したり観光事業の仕事をしていて、毎年恒例の夏休みキャンプ教室の企画も担当している。
「「良かった?」」
「ま、とりあえず乗ってよ」
気さくにそう言って、目もとに笑いジワを作る斉藤さん。
言われるがままキミと千秋は後部座席へ乗り込む。
エアコンの利いている車内はまさに天国だった。
「あーぁ、生き返るぅ、地獄を走るオアシスだなあ」
「はははは」
斉藤さんは笑いながら車を発進させる。
「いやぁー、今年もキャンプ教室に参加してほしくてさあ。ほら、一応村が主催するから怪我に備えて保険を掛けなくちゃいけなくてね、サインで構わないから役場まで付き合ってよ」
「怪我なら今さっきしたばかりで……」
キミが背中に手をまわて言うと、バックミラー越しに斉藤さんが、
「どこか怪我でも? 蛇に噛まれた?」
「蛇よりも恐ろしい……」
「なに言ってんのよ」
千秋がキミの太ももを抓って、
「幽霊です。さっきの場所でお婆さんが出て来たのを見てしまって」
すると斉藤さんの表情が曇った。
「トトさんか……まだ成仏できないんだろうなぁ」
「「トトさん?」」
「ああ」と斉藤さんは頷いて、静かに語った。
「今は夏だからね、暑いし思い出せないかもしれないけど、去年の冬は稀に見る大雪だっただろう? 毎年、村では二メートル以上の積雪を観測する。けど、去年は違った。
雨の場合には局地的な集中豪雨とかゲリラ豪雨とか言うけれど、その雪バージョンだ。去年の雪の降りかたは本当にドカ雪そのもの。
平年なら2週間に一度で良い雪下ろしが、何しろあっという間に腰の高さまで雪が積もるもんだから、3日に一度のペースになって、そのうえ、雪下ろし中の屋根からの転落事故が相次いだし……。
さらに除雪作業は間に合わない、年度予算で計上した除雪費が底をついた、補正予算で増額するもそれすら使い切ってしまい、国の補助でやっとのこと凌いだんだ。首の皮一枚の状況とはあの事を言うんだと思ったよ。豪雪地帯で雪になれていると言っても去年は異常だった……」
だからというのは無責任だけど……、と斉藤さんは語気を弱めた。
「お互い、自分の事で手一杯だったんだなぁ。トトさん1人では屋根の雪下ろしが出来なくて、雪の重さに耐えきれず、家が潰れてしまったんだ。その事に、みんな気がつかなかった。春の雪解けで家の一部が出て来て、そこではじめて、潰れていた事が分かったんだ。
トトさん、瓦礫の下敷きになって亡くなっていたよ」
「「…………」」
キミと千秋は顔を見合わせて、何も言えない。
古くから助け合い精神を持って支え合いながら生活している皆瀬村の人々、それと同時に、村は深刻な過疎の村としての一面がある。事実、住民が中心部へと移転している。それは除雪費軽減と、何より命が危ないからだ。村の中で陸の孤島が生まれる。それほどまでに村の冬は厳しい。
車外は肌を焼く暑さ。
しかし、車内では冷房によって汗が冷え、冬を思い起こさせる冷風の寒さが骨身にこたえる。
「でも、トトさんは何が理由で出て来たんだろうなぁ」
と斉藤さんは首をひねった。
「夫が何年か前に亡くなって1人暮らし。身寄りがなく、役場の方で火葬して、夫と一緒の墓に埋葬したんだが……。もしかして誰も雪下ろしをしてくれなくて恨んでいるとか」
「恨んでいるようには見えなかったけど……」
千秋はハッと思い出したように言う。
「そういえば探し物しているようだったよね? 草を掻き分けてさ」
「ああ、確かにそんな感じだった。けど、あそこ草が生えているだけで何もないだろ?」
キミがそう言うと、「探し物?」と斉藤さんが、
「遺品なら役場で一定期間保管する決まりになっているから、トトさんがちゃんと成仏できるように手助けしてやってよ。任せたよ」
「ヘエェ……」
さすが役場職員、管轄外の事柄は無茶振りをしてくる。
だが、このまま放って置くのは良心の呵責に堪えない、というより千秋との登下校に難がある。そして乗り掛かった船だ。最後まで漕いでいくしかない。
「じゃあ、役場でキャンプ教室の保険にサインしたら遺品を探ってみます……」
「うん、そうしよう」
千秋も乗って来た。成仏の手助けをするのにやぶさかではないようだ。




