第9話 〝掘られる〟 2/2
放課後、例のタフガイを探してあっちこっち学校を歩き回り、1年生から3年生の教室すべてに首を突っ込んで見まわした。もちろん、廊下を行き来する生徒達や運動部の方も抜かりなくチェックした。が、その姿はどこにもなかった。発見できない。
「くそう……帰りやがったなあの野郎。俺がお宝本を持って来たことになるじゃねーか」
玄関の下駄箱前を、キミはトボトボ歩いた。と、またあの熱い視線を感じた。
ふと目をやれば、下校する生徒の中にきみを見つめるZ君がいた。フーフー言っている。
おそらくは、帰り道を共にして心霊体験を聞き出したいのであろう。
「………………!」
そのとき、きみの脳裏にあるアイディアが閃いた。
彼を、学校に如何わしい本を持って来た主犯にしてしまおうか。
「いやいやいや」
キミは頭を振って、すぐにその考えを消した。何もしていないんだ。そんなことはできない。
タフガイがいないので仕方ない、キミは一人で職員室に出頭する。
職員室に入ると、カエ姉のデスクの周りに栞乃と千秋がいた。
「あはは、言われた通りちゃんと来たのだ! あはははは」
栞乃が指を差してキミを笑う。
「…………」
千秋は顔を赤くしてキミを一瞥する。心配そうな表情で見てきた。
「なんだよ、見せ物じゃねーぞ。罰を受ける俺を楽しみに来たのかよ」
「あはははは、違うのだ。変なモノに目を付けられたのだ」
と、栞乃はキミに言う。
カエ姉はキミから取り上げた雑誌をデスクの上に置くと、
「コレに見覚えある? こういう趣味というか……この方面が好きなの?」
「へ?」
キミは、お宝本を見下ろした。
期待を持たせる表紙は海を背景に、ビーチで肌を露出している男の姿。
男。
ボディビルダーのような厚い胸板をしたマッチョな男2人が砂浜で重なり合っている。抱擁されて下になっている男は、何か大変なことをされているのか目を閉じてキツそうな顔を浮かべていた。表紙には『魅惑の果実をテイスティング』や『×××領域に禁断挿入』と謳い文句が踊っている。
「何だコレ!! 違うよカエ姉!」
キミは叫んだ。
「……受けじゃなくて攻めってこと?」
「ちげぇよ! そもそも興味ねーし! この方面が好きかって? 冗談じゃないっ!」
俺は同性に興味はねえ! 異性に対してだろ普通! と、キミは声を荒げる。
「あはははは、そうだと思ったのだ、あはは!」
腹をよじって笑いこける栞乃。
その後ろで千秋がホッと溜息をついた。
「実は、同じようなことが何度か起きているのだ」
「同じ? 何だよそれ」
栞乃に笑われるキミはぶすっとして尋ねた。
「男子暴行未遂事件が校内で頻発しているのだ」
「女子生徒は大丈夫なのよね。たぶん犯人は男、同性に興味がある」
カエ姉はキミに疑いの目を投げかける。
「言っておくけど、俺じゃないぞ」
「……なら良かった」
カエ姉もホッとしたようで、背中にあった重圧が消えてゆく。
「カエ姉、ひょっとして俺を事件の犯人だと思っていたんじゃ……」
今度はキミがカエ姉に疑いの目をむけたとき、
「騒がしい。何事か」
教頭がやって来た。
禿げた頭頂部に、油気のある横髪を引っ張ってきたバーコードヘアのオッサンである。
「すみません教頭先生。例のが、また出たようで」
「なに」
教頭は身震いして、
「うーん、実のところ、音楽室に誘い込まれてな。先日危ない目に遭った」
「音楽室ですか。………………………………え、教頭先生も?」
「危機一髪の所だった」
カエ姉と教頭の不自然な会話を聞いて、キミは教頭に尋ねた。
「出るって、野郎の正体を?」
「うむ」と教頭は相づちをして喋ってくれた。
「危急の事態から逃れた生徒は皆、体格の良い筋骨隆々の者にヤられそうになったと言う。あれは何かの亡霊か……もしくは天狗の仕業に違いない。いやはや、思い返すだけでも恐ろしい。あァ、恐ろしい」
教頭の言ったことにキミは寒気を感じ、若い男子生徒のみならず禿げオヤジまでをも喰おうとする肉食系、いや雑食系化け物に心底恐怖して、咄嗟にお尻の穴を押さえた。
「早いうちに何か手を打たなければなるまい」
「ええ……被害者が出る前に」
教頭とカエ姉が言った。
もしもあの時、音楽室に向かう途中で、職員室から千秋とカエ姉が出てこなかったら……タフガイに掘られていたのである。
キミはゾッとした。
それからというもの熱い視線を感じなくなった。
Z君に見られてもそのような感覚はなく、あれはきっとタフガイの視線に違いなかった。
こちらの感知できない場所から獲物をジッと品定めしていたのだろう。
だが、もう視線を感じないのだから安心だ。そう思えば、キミは野郎を捕まえてその正体を暴いてみたい衝動に駆られた。なにせ犯人の疑いを掛けられて被害を被っている。
それから幾日か過ぎた。
学年問わず、最早全校の男子生徒たちはすっかり怯えきっていた。
『犠牲者は俺なのか?』
『浣腸は嫌だ……』
『アイツに取憑いてくれ』
『ちょ、待てよ』
戦慄する校内において一人だけ目を輝かせている男子がいた。超霊能者でその道に精通しているらしいZ君である。
「フーフー」言いながらスポーツタオルで汗を拭う肥満体質の彼は『俺がやらねば誰がやる!』精神で、恐怖のどん底にある皆瀬高校男子生徒を救うために、また己の心霊研究の一環としてタフガイを求めているようだった。キミと辿り着く所は同じでも、その過程や理由付けは随分と違う。
一方女子生徒たちは、自分たちが襲われないと知って高みの見物である。
今日も戦々恐々とした一日の授業が終わり、男子生徒たちは足早に帰宅する。中には部活動を休む者までいて、気の弱い者は学生鞄で穴をガードしていた。
キミは何の手がかりも得られず、下校しようと東階段を下りて、玄関に足を進めたとき。職員室の向こうで、音楽室の方へ歩いてゆく二つの人影を発見した。
一人はスポーツタオルが首筋に見えてZ君だと分かった。もう一人は……。
「あぁ……!」
キミは自らの声を押し殺す。
野郎だ! タフガイだ!
キミは昇降口の壁に身を隠し、二人がどうなるのか観察した。
野郎が音楽室のドアを開け、Z君はエスコートされてその中に消えた。ドアが閉まる。
「………………」
この場合どうすべきかキミは考えた。
今すぐ音楽室へ飛び込んでいくべきか、それとも職員室に知らせにいくべきか……。
「いや待てよ?」
キミはこうも考えた。
彼ならあの野郎を始末できるのではないだろうか?
Z君は超霊能者だ。
自ら言うのだから相当な力がある筈。タフガイを前にして屈する筈はない。今頃音楽室の中では野郎を余裕で打ち負かしている筈で、間もなく彼は廊下に姿を現す筈である。
キミは少し待ってみた。
しかし、待てど暮らせど彼の姿は一向に現れない。
「おかしいなあ……ナニをやっているんだろうなあ」
一抹の不安が湧いて出たので、きみは音楽室のドアに耳をつけて中の様子を窺った。
僅かに声が漏れて聞こえる。
いつも「フーフー」言っているZ君。
だが、「ひぃひぃ」言っているようだった。
「ええ? 何故に『ひぃひぃ』? いったい中でナニをしているんだ?」
どうしてそんな悲鳴みたいな喘ぎ声が聞こえるのか、とんと見当がつかない。
もしかすると聞き間違いではないかと思って、キミはもう一度ドアに耳をつけてみる。
「そんな、やめっ……ひぃひぃ――でんぐり返しは――ひぃひぃ……ひぃひぃ」
やっぱり聞き間違いではないようだ。『ひぃひぃ』言っている。
でも、不思議なことに野郎の声は聞こえてこない。
これでは、Z君がピンチなのか分からない。もしも野郎が、教頭先生が話してくれた亡霊だったら……考えたくはないが天狗だった日には今聞こえているこの声、実は本物のZ君の発する声でなくて妖の音だとすると、霊能力皆無の人間が無闇に飛び込んで行って良いわけがない。
キミはどうするべきか考え、一刻を争うこの状況で一つの決断をした。
今現在音楽室の中でZ君は余裕綽々たる戦いぶりをしている筈なので、彼を驚かせないためにドアをゆっくりと開け、自分の眼で見て確実な判断を下す。状況は九分九厘優勢であろうから、助太刀するのは恐れ多くもZ君の顔に泥を塗るようなことであるからして辞めておく。万が一、天地がひっくり返るが如くピンチであれば、即座に職員室に行って先生方を呼びに行こう、そう決めた。
まず、目視確認の必要がある。
息を止めてキミは、音楽室のドアノブを掴み、ぐうっと力を入れ、ゆっくりとノブを回した。
そしてひたすらゆっくり、ドアをずらすように開ける。
にぱぁ……。
ドアに貼付けてあるゴム製のパッキンが音を立てる。同時に、Z君の激しい息遣いが耳に入って来た。喘いでいるように聞こえる。
凄まじい戦いだ。
「ひぃぃぃ、ひぃぃぃ、ふぅぅぅっ! ひぃぃぃ、ひぃぃぃ、ふぅぅぅっ!」
「ラマーズ法……?」
キミは首を傾げた。
妊婦が出産時にする呼吸法と似ているけれど、多分これは、Z君が戦闘時に発する掛け声のようなものだろう。そう考えると尚更に戦闘の邪魔は良くない。
良くないが、優勢か劣勢かを見極めなければならないので、キミはドアの隙間から室内を覗き見る。
あいにく音楽室の前にあるドアは外開きで、五線譜入りの黒板と黒光りするグランドピアノくらいしか見えない。Z君は教室の中央辺りで戦闘しているらしく、その活躍を見ることはできない。
「ひぃぃぃ! ぬあっ! その角度は……ッ、あっあっ――んあっ」
ある一定のリズムでZ君の掛け声がはね上がる。
実体・属性・本体、それらを十分に見定める必要性がますます重大になってきた。このアングルでは確認不可だ。キミは後ろのドアから確認するために一旦ドアを閉めようとした。
そのとき――
黒板の横にある縦長の鏡に、Z君の姿が一瞬映った。
また映った。またまた映った。よく映る。
彼は床に背をつけて、伸ばした足を天井に向けてVの字に広げていた。
ブレザーを脱ぎ捨てている。
上半身は捲れ上がったシャツに緩んだネクタイ、下半身は何故か生まれてきた状態だ。
ブリーフを脱ぎ捨てている。
野郎の姿は確認できない。Z君一人だけが、音楽室の中央で見えない何かと戦っていた。
「あっあっ、んあっ……ひっ。んあ……ふぁ、ん……あっあっ……」
「え……ええ?」
キミは眉を寄せた。
霊能関係にも宗派みたいなものがあって、下半身を露出するのが彼の戦闘スタイルなのかと一瞬頭を過った。
「南無阿弥陀仏ー! 南無阿弥陀仏ー!! 南無阿弥陀仏ぅぅぅぅううううう!!」
思い出したようにZ君が唱え出した。
ピンチ、なのか…………?
キミは鏡を凝視する。
すると、Vの字に広げていた足がストンと床に落ちた。
倒したのか!?
キミは手に汗握る激戦を見守る。
そうしたら今度、Z君は体をうつ伏せにして土下座をすると、お尻を高くした。その体勢はなんとなく、昼寝していた猫が前足を出して伸びをするポーズに見えた。
「どうなるんだ? 優勢なのか? それとも劣勢なのか?」
キミは戦いの行く末を案じた。
「はぁはぁはぁ……」
とZ君は苦しそうに呼吸をして、
「誰か……た、た、たす、」
四つん這いで逃げるような素振りを見せたのち、
「助けてくれぇぇぇ! アッーーーーーーーーーーーーーー!!」
Z君は見えぬ暗殺剣にひと突きされて、ア音なのか聞き取れない断末魔の叫びを上げた。
「大変だ! やっぱりピンチだ!!」
大急ぎで先生方の所へ行き、Z君の劣勢を伝えて救援を求めなければならない。
キミは職員室に駆け出した。足をくじいて怪我をしては本末転倒なので可能な限り速く走った。
「カエ姉! 教頭先生!!」
職員室に飛び込んで叫ぶと、先生方が一斉にキミを見た。
「音楽室に亡霊か天狗が現れました! とんでもない状況です!」
教頭先生が飲んでいたお茶を噴いた。
「何! すこぶる危殆に瀕するか!」
「危殆なんてもんじゃないです! 絶体絶命のピンチでした!!」
「どっちに、しても、生徒の、身が!」
キキョウでテイクアウトできるソフトクリームの最後の一口をもぐもぐしてカエ姉はそう言った。
職員室では、生徒が早く帰宅することにかまけて教師全員でティータイムをしていた。
用務員のおじさんまでいた。
だが、キミの知らを受けて、教頭先生をはじめとする先生方が大慌てで職員室を飛び出していく。キミもその後に続いた。
教頭先生が音楽室のドアを勢いよく開け放った。
「や。一足遅かったか」
「やはりそうですか……」
と、きみは、中の状況が薄々分かっているが一応、音楽室を覗いた。
Z君が倒れていた。四つん這いの体勢から腕をだらりと前に投げ出して、背を反ってお尻を高く突上げた下半身は言うまでもなく露出しており、傍らにはブレザーとズボンとブリーフ、そして彼のトレードマークでもある白いスポーツタオルが無惨にもポイ捨てされていた。
遠巻きにZ君を見ると心なしかホッコリした感じだった。仏の顔をしていたのである。
「「南無」」
その安らかな、昇天した表情にみんな心を打たれてZ君に手を合わせた。
この日以降、例のタフガイは姿を消した。新たな被害者はなく、今回の出来事は貎天狗事件と呼ばれて先生方の間で内密に処理された。
内密である為、キミは、先生方から当事件について他言無用と念を押されている。
それ故に、皆瀬高校男子生徒を身を挺して救ったZ君の活躍ぶりを知る生徒はキミ以外にはいない。




