第8話 〝死んだ旅行者〟 2/3
カエ姉の車に乗り込んで、向かう先は奥羽山脈のど真ん中である栗駒山須川岳。
秋田県と岩手県の県境で営業している須川温泉から目と鼻の先にある須川湖の駐車場へ向かう。
車には栞乃とハルが乗っていた。千秋を入れるといつものメンバーで、小旅行の時と同じ顔ぶれによる、天体観測だった。
目的地の駐車場までは、豪雪地域のために冬期は閉鎖となる大湯道路と県道282号仁郷大湯線を走る。秋になるとこの道は、紅葉に染まる鮮やかな栗駒山と温泉とを一緒に楽しもうという行楽客でたいへんな賑わいをみせる。
だが――
今は、静寂する濃い緑が月明かりを浴びているに過ぎない。
栗駒大湯トンネルを過ぎて左折する。と、車のサンルーフから夜空を見上げて千秋が言う。
「月が綺麗ね。空気が澄んでいるからかな?」
「まだまだこれからだよ千秋。望遠鏡で見たら感動するから」
カエ姉は得意げな口調で言った。
「月を見るだけだよな? 別に学校の校庭でも良かったんじゃ」
そう言うキミに、カエ姉は、
「ダメダメッ! 日食と違って、こーゆうのは場所が大事なの。標高千メートル越えないと! 天文ナビという雑誌で紹介してあったから間違いない」
力説する。この文化人、どうやら形から入るタイプのようだ。
そんなこんなで駐車場に到着。
カエ姉は車から天体望遠鏡を降ろすとセッティングを始めた。
「こっちも準備するのだ」
買い物袋とポット型の魔法瓶を取り出して栞乃は、フラットに倒した座席の上に置いた。
「なに持って来たんだ?」
「熱々のお茶に、お団子なのだ」
「栞乃ちゃんがお月見にはお団子だって言って、迎えに行く前にスーパーで買って来たの」
とハルは紫色のタオルケットを羽織った。
流石に標高千メートルともなると、薄着にカーディガンなどの服装では夜の寒さに耐えられず、凍えてしまう。そのため千秋もカエ姉も寒さ対策としてタオルケットを羽織っている。栞乃は毛布だ。
この寒さ、体感温度では湿度も相俟って18度くらい。結構ひんやりとしている。
着の身着のままで来たキミは、
「今だけは栞乃の食い意地が有り難いな……うぅ寒ッ。お茶ちょうだい」
と、栞乃から熱いお茶をもらった、そのときである。
栞乃がニヤニヤ笑って、
「お茶よりもタオルケットに千秋と一緒に包まったほうが暖かいのだ! そうするのだ」
「バッ、栞乃、なにバカ言って! そんなこと恥ずかしくて出来るわけないでしょ!」
ぶわっと顔を赤らめて千秋は、肩に羽織ったタオルケットを翼のようにバサバサさせる。
するとハルがキミに、
「あ、毛布なら余分に持って来てるよ?」
ひょいっと毛布を差し出した。
「お、サンキュー、ハル」
受け取った毛布を羽織ると、
「~~~~~~ンッ!」
恨めしそうにキミを睨んで千秋は下唇を噛んだ。その顔からすぅと紅潮が引いていく。
「な、何なんだよ千秋……こえぇよ」
月下のもとで、闇に浮び出る白肌の千秋が無性に怖い。
何の前触れもなく、ハルが音もなく立ち上がる。
須川湖の湖面を、虚ろな瞳で、ぼうっと眺める。
「どうした? なにかあるのか?」
キミはハルの見つめる先に目をやった。
湖面は暗く、静かに波が揺らいでいる。その中に、取って付けたような月の明かりが白っぽく映っている。夜の須川湖、そのものである。
「ドン、と音がして、体が宙に浮いた……」
ゆらりゆらりと左右に体を動かして、ハルは言う。
「首に下げたカメラが額に当たり、足が夕日に染まる空を歩いた。
また、ドン……という音がした。
その時、足もとに倒れている人間がいた。
それは、自分だった……自分は自分を見下ろしていた。トクトクと流れ出す真っ赤な鮮血が地面に広がって血溜まりを作っているのを、暫くの間、不思議な感覚で眺めた。
夕日の紅と流れる赤は奇妙にも奇麗でいて、悲しい色に思えた。そして気がついた。
自分は死んだんだ。
辺りを見ると、遠くの方に、影も形も判らないほど小さくなって、自分を殺した自動車があった。
ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない」
ハルは、まるで、憑かれたかのように、体を揺らし、空虚な眼差しを湖面に向けて言う。
「ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない、ゆるさない」
「おい、ハル。ふざけてるのか?」
キミはハルの肩をつかんだ。
ハルの顔を見れば、血の気の引いた真っ青なもので額には汗が浮いて出ていた。
「ハ、ハ、ハルが憑依されたのだ!!」
並外れた食い意地の栞乃が、団子を投げ出したかとおもったら涙眼になってハルの腰に抱きついた。
「ハル! ハル! ハル!」
栞乃に激しく揺さ振られ、ハルは体をびくつかせた。
血相を変えた栞乃に抱きつかれたハルは、訝しさと怖さが混じった視線を向けるキミと千秋、口をパカンと開けたカエ姉を見て、混乱した。
「いま何を言ったのか覚えているか? 変なこと言ったぞ……」
キミはハルに尋ねるともなく言った。
「……わからない…………頭がぼんやりして…………」
また体がフラフラとしだして倒れそうだった。
顔色が悪い。
慌てて介抱したキミは、汗を掻いたハルのおでこに手を当てた。
この冷えた夜に、それもタオルケットがあっても寒いのに、手の平に伝わってくるは高熱だ。
「すごい熱だ……! 大丈夫かハル!?」
汗をびっしょりと掻いて、短い間隔で呼吸を繰り返すハルは、その体をキミにあずけてぐったりと凭れる。
「カエ姉、もう帰ろう。なんだか悪い予感がする」
と言う千秋に、カエ姉は神妙な顔をして頷いた。




