第7話 〝こっちにたくさん〟 2/3
入山当日。
栞乃が指定してきた入山ポイントに行くと既に3人の姿があった。
山を背にしている栞乃と千秋は、足もとにリュックサックを置いて、キミの到着を待っていた。
2人ともKキャンプ場の時と同じような服装だ。
長袖の山シャツにトレッキングパンツ。ツバのある帽子をかぶって腰には竹籠をさげてる。
何を勘違いしたのか、和服にもんぺ姿のハルがいた。恥ずかしそうにモジモジしている。
三角巾のように花菱柄の手ぬぐいを頭にかぶり、絣の着物を赤い帯で締めて紺色のもんぺ。
3人とも長靴なのだが、ハルだけが異様に浮いていた。
「どうしたハル? 大昔の服装じゃないか。秋田おばこ?」
ハルは栞乃と千秋に散々いじられていたようで、伏せた顔は火照ったように赤い。
「お婆ちゃんのお下がりでね、これを着ていけって。動きやすいから……」
確かに昔の作業着だから動きやすそうではある。先人の知恵、お婆ちゃんの知恵袋。
その姿は海水浴場で見たサマードレスよりも似合っている。というか、日本の古き良き服装がハルにはぴったりだった。
「それとね、山菜をたくさん採って来てってお願いされて……」
ここまで来るの恥ずかしかったんだ、と言って、ハルは隠すように背負っている大きな竹籠をきみに見せた。
「ハル、いったい何十キロの山菜を採るつもりなんだ? カゴと一緒に家族の期待を一身に背負ってるな」
「あんまり見ないで……」
ハルは頭にかぶった手ぬぐいをキュッと掴み、目深く下ろした。
キミは恥じらうハルから栞乃へと話を変える。
「メールにあった『山菜がたくさん採れるポイント』までどれくらい距離があるんだ?」
「ここから歩いて30分の距離なのだ。お爺に負けないくらいたくさん採ってビックリさせてやるのだ!」
やる気満々の栞乃である。
で、そのポイントに行ってみた。
ワラビ一本生えてなかった。
「うああ! 荒らされているのだ!!」
栞乃が案内した場所は杉の木が間伐された緩やかな斜面で、膝丈ほどに伸びた草が茂っている所だった。
残念なことに、山菜は乱獲されていて食べることのできない雑草しか生えていない。
「みみみみんなで手分けして探すのだ! 草の根分けて探すのだ!!」
栞乃は何もないことに動揺し、早くも焦りの色を露にした。ドカドカと地団駄を踏むその足が土に埋もれる。
すると、ハルが何かを見つけてキミに言った。
「これって食べられるキノコかな?」
ふと目をやれば――
間伐されて残った切株の生え際に、過剰装飾のケバケバしいキノコが二つ三つある。
ハルが木の枝でツンツンすると、傷ついた箇所から白い液体が滲み出た。
「それはヤバいぞハル」
キミは言った。
自然界において、白いものは何かと毒性がある。
玄人でも間違うことがあって、このキノコに毒がなくてもド素人がキノコに手を出すと酷く辛い目に遭う。
「そっかぁ……、じゃあ別を探そう」
ハルは目を皿のようにして足もとに生えているであろう山菜を探す。
キミも、地面を這うように、栞乃と千秋とハルともども絨毯爆撃方式で横一列に並んで山の斜面を登りつつ山菜を探す。
キミは何気なく、千秋の竹籠の中を覗いてみた。
一掴みほどのワラビが入っている。
「ん? 千秋、そんなのいつの間に採ったんだ?」
「ああコレ? このポイントに来る途中に生えてたのをポキポキ摘んだの」
「うわズルいなあ。こっそり採るなんて……生えてたらみんなに教えろよ」
「ふふんだ。こーゆうのは早い者勝ちなの。あ!」
手早く千秋はキミの目の前にあった20センチほどのワラビをポキッと折り、腰に下げた竹籠にヒョイッと入れる。
「ちぇっ、譲る気はまったくないのか」
するとまた千秋が、「あ!」「あ!」「こっちにも!」「そっちにも!」と、次々声を上げる。
かなり目が利くようでワラビをどんどん発見しては竹籠に入れてゆく。
キミはおこぼれにあずかろうとして、千秋にピッタリ張り付いてマークしてみる。が、やはり目の前にあるワラビに気がつかず、千秋に盗られてしまう。
そこでキミは、少し離れた所にいる二人を呼び寄せる。
「おーーい栞乃、ハルー! 千秋が見つけるの上手いぞォー!!」
「ちょっと! なに叫んでるのよ! ライバルが増えちゃうでしょ――」
「「なんだってー!」」
ドタバタ走ってくる栞乃とハル。
「千秋の周りに山菜あり! みんなで千秋を囲むんだ!」
栞乃とハルと一緒にキミは、千秋を中心とした半径2メートルを維持して注意深く探す。
この作戦が功を奏したのか面白いほどワラビが採れる。
楽しくなってワイワイ言いながら、千秋の周りを孑孒みたいにワラワラ後追いした。
そうこうしているうちに山の頂上に来て、今度は山の向こう側へ下る。もちろん、体は斜面と向き合う格好でもって下へさがるわけである。
「千秋と一緒にいるとたくさん採れるのだ! ウハウハなのだ!」
「お金を拾っているみたいだぜ……! 銭だ、銭だ、うへへ」
キミは自然と顔がにやついた。
落ち葉や枯れ草の間からひょろりと生えているワラビを見つけては、茎の所をポキッと折って、あれよあれよと竹籠に入れる。
あっという間に竹籠がワラビで満杯になる。
「いっぱいになっちゃったのだ。ハルー、そのカゴに入れさせてほしいのだ」
竹籠の紐を緩めた栞乃は、ハルの背負っている大きな竹籠の中へ、ワラビを勝手に移し替え始めた。
「え……。栞乃ちゃん、えっ、えっ?」
移し替えると、栞乃は再び千秋に纏わりついた。
ハルは重量の増した竹籠を何度も背負い直し、それでも額の汗を拭って、足もとに気をつけながら自分のワラビを夢中で収穫する。
その中身が増えていくにつれて、大きな竹籠を背負っているハルの姿が、まるでドラム缶を担いでいるように見えてきた。
苦しい時に、苦しい、と言えないタイプのハルは損だった。
流石にキミは見兼ねてしまい、
「ハル、それじゃ動きにくいし、重いだろ? 俺が代わりに背負ってやるよ。栞乃も千秋も、自分のカゴが満杯になれば移し替えるだろうからさ。……そのうち押しつぶされるぞ」
と言って、体の弱いハルを気遣う。
キミは腰に下げた自分の竹籠と、ハルの竹籠を交換して、栞乃と千秋に言う。
「このカゴはハルのものだ。それを俺が背負う。だから山を下りたら、ハルと俺に少し山菜を分けろよー」
「ああー、ズルいっ! 人のこと言えないじゃん!」
千秋は体を斜面に向け、手を休めずに文句を言った。
「でもしょうがないのだ。入れ物がないと困るのだ。分けてあげる以上にたくさん採って、お爺を驚かすのだー!」
意気込む栞乃は、両手いっぱいにワラビを摘んでいる。キミもハルも、栞乃に負けてはいられない。
千秋を中心に据えて、栞乃に続いて三つ巴の混戦状態で山菜を採る。
斜面を下って行くと、そこには水が流れていた。2メートル程の幅で、深さはくるぶし程度の浅い小川だ。透き通った水の流れる沢があった。
その周りに、今度はフキが群生している。
フキノトウが生長すると葉柄ができて緑色の大きな葉が特徴の植物だ。
開花するまえの蕾は天ぷらにして食べることができ、また、生長した葉柄も灰汁抜きをして煮物や炒め物にすると美味しく食べられる。甘辛く煮たものは絶品である。
だが、それなのに誰も声を発しない。
みんな我先に飛びついて、山の表面をむしるように黙々と採り始めたからだ。
キミは栞乃と千秋を牽制して、
「ほら、沢水が流れてるぞ! 沢のせせらぎを聞きながら休憩した方が良いんじゃないか? みんな休んでおけって! マイナスイオンがぷんぷんしているぞ」
「何言ってんのよっ! 休憩しているうちに全部自分の物にする気でしょ! 分かってんのよ!」と千秋。
「栞乃、あっちの方がここよりもたくさん生えてるぞ!」
キミは当てずっぽうに指を差してテキトウに言う。
騙された栞乃はフキを採りながら見当違いの方へ向かっていく。既に収穫後のフキの甘辛煮を想像しているのか、垂れる涎を拭っていた。
キミはしめしめとほくそ笑みながら千秋と競り合う。
すると栞乃が大声を上げて、
「たくさんあるのだ!! あ……やっぱり全然ないのだ!」
「栞乃ちゃん、今、言直したでしょ? あやしい!」
とハルが栞乃の所へフキを採りながら向かって行き、
「なにこれぇー、たくさんある!!」
「ぬあっ! デタラメに言ったのに本当だったとは……!!」
キミは千秋と一緒に栞乃のいる所へ駆けて行く。
しかし時既に遅し。
残っているのは、採るに気が引けるほど小さなポショポショした葉のフキしかない。
「これは来年のために残してあるのだ」
そう言って栞乃は、キミが背負っている竹籠にフキをバサバサ移し替える。
山の恵み、山の幸は無尽蔵ではない。全てを採れば来年以降収穫はできない。そのためある程度残しておく必要があり、それがマナーである。
「まあ、根こそぎ採るのは山荒しそのものだからな」
キミは竹籠を背負い直す。
と、栞乃が樹皮に棘のある細い木を見上げている。
「栞乃、なに見てるんだ?」
「タラの木があるのだ。上の方にタラの芽が見えるのだ」
言われて、きみもこの木を見上げる。
触れると被れてしまうウルシに似ているが、ウルシと違って葉に丸みはなくギザギザしている。なにより棘ある。タラの木が自生してあった。
タラの芽は天ぷらにして食べるのが一般的だが、湯がいて胡麻と砂糖と少々の出汁を加えた和え物にすると、タラの芽の程よい収斂味と鼻へと抜ける独特の芳香が癖になるとても美味しい山菜だ。
しかし、栞乃が見つけたタラの芽は葉を広げてしまい、30センチほどにまで生長している。
旬が過ぎていた。こうなるともはや芽とは言えず、鋭い棘が多くて危険。
「あんなの採っても食べられないぞ。口の中に棘が刺さって怪我するから」
「一応確認してみるのだ」
言って、栞乃は両腕を上げて万歳の格好をした。
どうやらキミに体を持ち上げろという合図らしい。
「ほんとに食い意地だけは一人前だな……」
キミは栞乃の両脇に両手を入れて、その体をグッと持ち上げる。
「あ、ダメなのだ」
即、断念する栞乃。
「だから言ったろ?」
「ん、あれ? 誰かいるのだ」
優しく着地させると、栞乃が指を差した。
「あそこにいるのだ」
キミも含めて皆の視線がそちらへ向く。
30メートルほど先の草木の間から、ハルと同じような秋田おばこスタイルで、どろどろに汚れた足袋を履いている小学校3、4年生くらいの女の子がこちらの様子を窺っている。
「こんな山の中にひとりで? 何をしているのかな?」
千秋が言った。
「しかもあの服装……皆瀬村の小学生に流行の兆しか? ハルの親族じゃねーの?」
「ううん、違うよ。知らない子」
ハルは首を振って否定する。
「よく見るのだ! 根曲がり竹を持っているのだ!」
抜け目なく栞乃は、女の子が握っているものを指摘する。
親指ほどの太さで長さが30センチほどの細長いタケノコの根曲がり竹だ。
灰汁がすくなくシャキッとした歯ごたえで、味噌汁や煮物と相性がいい。採取したものを皮付きのまま焼き、皮を剥いて粗塩を振りかけて食べると非常に美味しい山菜である。
「こっちにたくさん」
女の子が根曲がり竹を持った手で手招きをした。
そしてくるりと背を向けて、でこぼこした道なき道を進んでゆく。
「きっと根曲がり竹がたくさんある場所を知っているのだ!」
栞乃は腰に下げた竹籠の紐をぎゅっと締め直し、
「ワラビにフキ、それに根曲がり竹を採って帰れば英雄なのだ! 今日でお爺を越えられるのだ!!」
「一週間は山菜三昧できる!」
「お婆ちゃんに褒められちゃうかも」
涎と目を輝かせる千秋とハル。栞乃に負けず劣らずの熱気がビシビシ伝わってくる。
栞乃は祖父を驚かせるために、千秋は目が利いて山菜を採るのに夢中、ハルは家族の期待を一身に受けている。
そしてキミは、背負っている竹籠の中身をお金に換算してみた。
ワラビとフキは旬が過ぎているけれど、まだまだ美味しく食べることができて、しかも天然物だ。
お店の棚に並べばキロ1000円前後といったところか。
背負っている感じではそこそこの重さがある。樋口一葉が1人と、野口英世が1人ないし2人分だろう。
だが、根曲がり竹となれば話が違う。
数本採ればすぐ一キロになる。さらに今が旬でなおかつ天然物、これを店で買うとキロ1000円から2000千円で、ぼったくれば4000円もいける。
皆瀬村にコンビニはないが、そこで働いて貰える時給金額が、わずか数分で――いや、数十秒で得られるわけである。
「よし! ついて行こう!!」
キミの決断は早かった。
女の子の背中を追って、栞乃達はとっくに走っていた。
「うわっ、しまった! 出遅れ、」
そのとき――
キミはハッと息を呑んだ。
幅の狭まっている沢の水流を女の子が飛び越えた瞬間、水面にその姿が映らない。
角度の違いで目に入らないのかと思ったが、女の子に続いて水流を飛び越えて行く栞乃の姿はしっかりと水面に映っている。
千秋とハルの姿も映る。
「は? ……えっ?」
「こっち。こっちにたくさん」
女の子がくるっと振り向いて、キミを手招きする。
「こっち、こっち」
驚きながらもきみは、経験上、『あの子はこちらの世界の人間じゃない』と悟った。
けれど、悪い魂魄には見えない。
根曲がり竹を持っているのがそう思わせる。仮りに、悪霊だとか怨霊の類いで邪気のあるものだとしたら、栞乃達を呼び止めて引き返せば良い。山を下りれば大丈夫だ、と考えた。
「待てよ、俺も行くよ」
キミは重くなった竹籠を背負って追いかける。
先導する女の子に付いて行く栞乃と千秋の次にキミが入って、一番後ろをハルが走る。
時折、女の子はこちらを振り向いて、
「こっちにたくさん」
物欲を煽ってくる。
どうもそれが安心できるものではない。
キミは一抹の不安を心に感じ、ハルに言った。
「あの女の子、この世の者じゃないぞ」
「えっ?」
ハルは、この人はいったい何を言いだすんだといった表情でキミを見た。
「いやな、さっきのことなんだけど……」
キミは水面に女の子の姿が映らなかった事を話した。
「不安だからさハル。今、俺たちがいる場所から最短距離で山を下りるルートを確認して、いつでも逃げ出せる準備しておいてくれ」
「う、うん? ……………………抜け駆けする気じゃないよね?」
ハルは眉を寄せた。
根曲がり竹が群生しているかもしれない所へ向かっている途中で、キミがみんなを出し抜いて掻っ攫う気でいるんじゃないかとハルは疑っているようだ。
「ちげーよ。こんな山の中に、古めかしい服装をした女の子がいる。しかも1人でだぞ? それだけで十分あやしいのに、ついてこいと言っている。これは何かあるに違いない」
「……そうかなあ? 山菜のあるポイントを教えてくれる親切な女の子に見えるけど」
お婆ちゃんのお下がりを着せられて大きな竹籠を背負わされて来たハルは、あの女の子が何者であれ、山菜が採れればどうでも良いらしい。
「でも、帰り道は大事だからね、調べておくね」
とハルは地図アプリを起動して現在地を確認する。
キミとハルが喋っている一方で、栞乃と千秋はまるで長靴に羽が生えたように颯爽と枝を掻き分けて女の子についてゆく。
「こっちにたくさん」
ぴょんぴょんと跳ねるように女の子は足が速い。
見失いそうになると、女の子はこちらに目線をくれて、手招きする。みんなで追いかけて行く中で、抱いた不安はより増幅した。
すると、女の子は消えるように茂みの中へ入って、次いで栞乃と千秋がキミの視界から消えた。
枯れ葉を踏むカサカサという音がしばらく続き、地面の傾斜が少しずつ下りになっていることに気がついた。
茂みを抜けるとそこは、大きなすり鉢状の地形が広がっていてた。下の方には、くすんだ肌を剥き出しにした岩がごろごろと転がっている。
その隙間から、湯気のような白い煙が勢い良く吹出している。
「おい……これってもしかして」
ヤバいぞ、と思った瞬間、下の方から風がふわっと吹いた。
吹いたというよりも、空気が押し上げられたといった方が近い。と同時に卵の腐ったような異臭が鼻を刺す。
――皆瀬村は温泉地であり、数多くの温泉旅館がある。高温地帯のあちらこちらで温泉の湯気が上がっていて、川底からも温泉が湧出している箇所がある。それと同時に、火山性の有毒ガスも発生する。その殆どは風に押し流されて拡散するが、希に窪地などに滞留して死亡事故が起きている。1997年、青森県で訓練中の陸上自衛隊員が二酸化炭素中毒によって死亡し、秋田県でも硫化水素ガスによる死亡事故が報告されている。たった1メートルほどの小さな窪地にでさえ、そこにガスが溜まっていれば死につながる――
間違いない。
キミは確信して叫んだ。
「有毒ガスだ! 栞乃千秋! 上がってこい!!」
その刹那、奈落の底に吸いこまれるかのように栞乃の体が斜面を転がり落ちた。
千秋が崩れるようにその場に倒れた。
冷たい手で心臓を握られた気持ちかした。目の前で起きたことに血の気が引いた。




