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第6話 〝サービス券〟 2/3


 皆瀬村の花にちなんで名前を付けたカフェ『キキョウ』。

 村で唯一都会的な雰囲気のあるキキョウは、午前中は医師や保健師や栄養士の人達と妊婦や小さい子どもを連れた母親が集まって子育て教室が催されたり、老人会があったりする。午後は学校帰りの学生が寄り道をし、十八時以降になると未成年者は追い出され、バーと居酒屋とが微妙に混じった(勤め帰りのサラリーマンがウィスキーを飲む横で、焼き鳥と日本酒を注文するお爺ちゃんがいる不思議な)空間になるお店である。

 耳触りのよいドアベルが鳴り、店内に入ると、左側の壁に沿って秋田杉で作られた長いバーカウンターと十五席分のカウンターチェアが目に入る。バーカウンターはL字型で、店内奥にカラオケ機器が置いてある。老人会のある日には、いまにも死ぬんじゃないかという喘ぎ声の演歌や民謡が店内に木霊する。

 右側には2人用の四角いテーブルが並べられ、クリーム色の壁には皆瀬村の風景写真や絵が幾つか飾られていて、間接照明の優しい明かりに充ちたカジュアルなカフェだ。

 カフェの入口右側がガラス張りになっていて、そこからカフェの前を往き交う車や歩行者が眺められる席がある。栞乃の言うお気に入りの席である。




「早く行くのだ! せっかく奢ってくれるのに、お気に入りの席じゃなかったらガッカリなのだ!」


 栞乃は農道を突っ切るほうが早く到着すると言い、ハルと千秋を引っ張って競歩選手みたいに早足でキキョウに向かう。


「待てよ、栞乃には奢らないぞ。千秋もだ。上手く丸め込もうたってそうはいかない」


 キミの財布を狙っている栞乃と千秋にそう言った。


「栞乃ちゃん、そんなに急いだら危ないよぉ」

「どうしてあの席がいいの? 店の奥の席がちょうど良く冷房利いてていいのに」

「窓から外を見るのがいいのだ。車だってそうなのだ」


 栞乃は2人の手をグイグイ引っ張りながら言った。


「もしかして、栞乃……電車乗るとき、先頭車両の運転席脇に立って進行方向みたりする?」

 千秋が尋ねた。


「するのだ。お気に入りの場所なのだ」

「その場所が取られていたら、座席から外を眺める?」

「ちゃんと靴を脱いで、座席に正座して眺めるのだ」

「「あぁ~ぁ……」」


 みんな、栞乃のことが何となく分かってきた。


「バスの場合だと左側の先頭の席がお気に入りでしょ?」

「どっ、どうして知っているのだ!? 取られないように内緒にしてたのだ。路線バスなら、タイヤで一座席高くなった所がお気に入りなのだ!」


 2人の手を離した栞乃は驚いた様子でいる。

 キミは想像してみた。

 電車の長い座席に、靴を脱いでちょこなんと正座する栞乃が窓の外を見ている光景を。

 ひょっとしたら、気を引く建物があれば膝で立つ格好になって額や鼻先を窓に押しつけて、食い入るように見るのかもしれない。


「だから栞乃ちゃんは窓側の席がいいの? あれ? でも、カエ姉の車に乗った時は後ろだったよね?」

「あれは乗り物酔いをするハルに席を譲ってあげたのだ」

「ん? ちょっと待てよ栞乃。帰りも後ろだったじゃないか。ハルに涎を拭いてもらって、」


 言って、キミは分かった。だから後ろだったのかと。

 ハルに涎を拭いてもらえるから後ろ。ちゃっかりしている。




 そんなこんなで、キキョウが見えてきた。

 ショーウィンドウのようなガラス張りから店内が覗ける。

 ドアベルを軽やかに鳴らす栞乃。


「いらっしゃい」と店員さんのあいさつ。


 その後に続いてきみもカフェに入り、栞乃のお気に入りの席に、ふっと目を向けると、テーブルにはメニューと一緒になって『予約席』のプレートが置いてあった。

 栞乃の手から学生鞄がストンと落ちた。


「予約なんて卑怯なのだあ!!」

「店に入って開口一番それかよ。次からは電話予約でもしとけ」


 キミは栞乃の学生鞄を拾い上げる。

 そして、予約席の隣席2席を合わせて4人テーブルを作る。

 椅子に腰を下ろしてキミは、その横に栞乃の鞄を置いた。


「おりりん! どういうことなのだ! いままでこんなの見たことなかったのだ!!」


 栞乃は鳶に油揚げをさらわれた状態で悔しさのあまりギリギリと歯ぎしりを始めた。


「今日は特別なのよ」


 人数分のお冷やを運んでくる織恵おりえさん(栞乃だけがおりりんと呼んでいる)はカエ姉の同級生で、赤ぶち眼鏡をかけた長身痩躯のスレンダー美人。

 キキョウのオーナーである。

 落ち着いた感じでにっこり微笑み、テーブルにお冷やを置いて気配りする。


「ご注文は?」

「全員、かき氷の注文で、俺は南国かまくら」


 パイナップルやキウイやマンゴーやバナナなどの南国フルーツを、雪で作られたドーム型の窯、つまりはかまくらに見立てたシャリシャリの氷でフルーツを包み込み、その上から練乳をたっぷりかけたかき氷である。細かく削られた氷の冷たさに練乳の甘さ、南国フルーツの甘みと爽やかな酸味が口いっぱいに広がるキキョウおすすめの一品だ。


「ん~、冬の虹にしようかな」


 ハルはきみの斜め前の席に座る。

 平たく盛った氷の上に、栗駒高原牛乳で作ったアイスクリームを乗せ、それに七色の虹色ジャムをかけたかき氷である。七色の虹色ジャムは、お店の裏にある畑で栽培してあるメロンや苺やブルーベリーと野菜を加えた手作りだ。口当たりがよく、見た目もお洒落で女性に人気のある一品だ。


 千秋は檸檬に蜂蜜と白玉もちのトッピング。


「栞乃ちゃんは?」

「窓側のテーブルなのだ」


 織恵さんのために村の大工さんが作ってくれたテーブルはまさに職人の魂が込められており、もともと民家だったのをカフェにリフォームをしてくれた匠の粋な計らいである。


「テーブルはメニューにねーよ」


 栞乃はギリギリ歯を鳴らし、きみの横の椅子にどっかり座ると、


「抹茶! 蜂蜜! 白玉もち! 練乳たっぷりで大盛りなのだ!」

「はいはい」


 頬笑んで注文を取る織恵さん。

 ちなみに、蜂蜜と白玉粉は村の加工施設で瓶や袋詰めされ、土産物屋の棚に並んでいる。


「そう言えば楓から聞いたんだけど……大変な目にあったって本当なの?」


 みんな、肩をビクッとさせた。


「ああ、本当なんだ。へぇー……」

「……俺は死にそうになった。しかも最後は千秋に置いてきぼりを食らわされた」


 ボソっと言ったキミに、キミの正面に座った千秋はフンと鼻を鳴らす。


「さっきも謝ったでしょ。好い加減にしてよね!」


 千秋は長い黒髪を背中へ梳いて流すと腕を組んで椅子に踏ん反り返り、キミをジロリと睨む。


「好い加減って千秋だろ!? パニックに陥ったの一言で済まされる俺の身にもなれよ!」

「だから謝ったじゃん! ごめんね!!」

「ごめんで済むなら警察はいらないだろうが! 夜のトイレに閉じ込められろ!」

「あらら不味いこと訊いちゃった。かき氷食べて頭を冷やしなさい」


 織恵さんは逃げるようにカウンター内へ立ち去った。


「だいたいね、あの状況で背後に足音が迫ってきたら、恐ろしくて誰だって逃げるわよ」

「俺は何度も待てと叫んだろ? 足音が聞こえて、俺の声は何で聞こえねーんだよっ!」

「怖かったんだから仕方ないじゃん! 足音立てないで追ってきてよね!」


 千秋はそう反論し、カフェの外へ視線を逸らした。開き直っている。


「んな、忍者や幽霊みたいなことできるかよ。千秋、腹の中では俺のこと嫌いだろ」

「は? なんでよ」

「まず、千秋の性根が悪い。俺を置いて逃げるのに了承を得ようとしただろ。ストレートに『犠牲になって』と言われるほうが百倍マシだぜ。相当な悪意を感じるね」

「性根が悪いのはそっちでしょ!?」


 テーブルに手をつき、勢いよく立ち上がる千秋は怒気をみなぎらせて冷水が注がれて結露するコップを掴む。

 そして感情をぐっと堪えたような渋い顔を浮かべ、再び腰を下ろした。

 千秋は冷水を一気に飲み干す。

 氷をガリガリ音を立てて噛み砕きながら、


「あの時、話そうと、思ったのは別の事なのっ!」

「だったらそれを言えよ。……いま、俺に水をかけようとしただろ……?」


 どうしていいのか困った様子のハルは、キミと千秋の顔を交互に見て「あの」とか「えっと」と声を漏らすばかり。

 遠慮がちに腕を伸ばすもすぐに引っ込めておろおろする。


「栞乃ちゃん、何とかしてあげてよ」

「ふーん…………………………………………なのだ」


 お気に入りの席を奪われたことにより、栞乃は完全に気が抜けていた。

 行き倒れるようにテーブルに突っ伏して、両腕を伸ばしてぐんにゃりしている

 予約席の怒りもどこかに飛んでしまい、放心状態のボケーッとした瞳で千秋を眺めて悲観に沈む。

 ハルは首を傾げて栞乃の肩を揺する。が、応答はなく、当惑を隠せずにキミを見、


「怖い思いをしたのは分かるの。でも、千秋ちゃんの話をきちんと聞いてあげて」

 次いで千秋に、

「千秋ちゃん、言いたいことはハッキリ言うべきだよ。『違う』とか『言えない』の一点張りで逃げているだけじゃ誤解は解けないし、ずっと分かり合うこともできないよ?」


 千秋とキミに、ハルは真剣な眼差しを振って最後に付け加えた。


「ケンカはよくないよ」

「相互理解不可能だな」


 間髪を入れず言ってキミは、汗をかいたコップを傾けて冷水を一口飲んだ。


「だって本当のこと言わねぇんだから、そりゃこっちだって腹も立つさ。俺を置いて逃走したのは事実で、そこからトンズラを決め込んだって考えるだろ? 推測するだろ?」

「どうしてそういう風にこじつけるの!? 感じ悪いわね!」


 かなり御立腹な千秋。キミを睨む眼には一層の苛立ちが滲んでいる。

 とそこへ、織恵さんが注文のかき氷を運んで来た。


「二人ともケンカなんて珍しいわね」


 和やかに頬笑んで南国かまくらを、千秋には檸檬味のかき氷白玉もち蜂蜜かけを置いた。

 南国かまくらはソフトボールよりも一回り大きく、練乳がかけられて白色に輝いている。

 栞乃とハルのかき氷をテーブルに置き、織恵さんは予約席にもかき氷みぞれ味を置いた。


「おりりんー……予約席のお客さん、どーしたのだ。まだ来てないのに溶けちゃうのだ」


 栞乃は頬をテーブルにべったりつけて突っ伏したまま悄気ている。


「今日は終日予約席なの。もしかしたら2人のケンカに耳を攲てているかも」


 織恵さんは不思議なことを言った。


「誰もいないのだ」


 むくりと上体を起こした栞乃は、頬に跡をつけた顔で誰も座っていない予約席をじっと見る。


「分かったのだ! お客さんは透明人間なのだ」

「あはは、そうかもしれないわね」


 予約席の壁側の椅子に腰かける織恵さんはテーブルに頬杖をついて、まるで誰かと向き合うかのように空へ視線を向けた。


「お店をはじめて間もない頃からの常連さん。助一さんっていってね、時代劇にでてくる俳優さんみたいに男前で、みんなは親しみをこめてスケさん、スケさんって呼んでいたわ。仕事が終わればね、よくこの席に座って、友人からの相談とか……まあ愚痴なんだけど、いい聞き役になって、楽しくお酒を飲んでいたのよね」


 苦笑する織恵さんは何処か懐かしそうに目を細めた。


「透けているからスケさんなのだ!」


 白玉もちをもぐもぐする栞乃。かき氷をスプーンでシャッシャとかき混ぜる。

 織恵さんはふふっと笑って、


「常連さんだから、お店にとって良い人だけど……それを別にして思っても格好良くてステキな人よ? 人間ができててね、人生の先輩ってああいう人を言うんだなって、しみじみ考えるわね」

「俺も愚痴を聞いてもらいたいな、千秋の悪行を洗いざらい暴露するぜ」


 キミは南国かまくらを食べながらそう言った。


「こっちの台詞よ! 置き去りにされたことに、まーだヘソ曲げちゃって!」


 千秋も檸檬シロップのかかったかき氷を口に運び、食べながら怒る。


「あなた達、食べるか怒るか二つに一つにしなさい」


 呆れる織恵さん。と不意に、赤ぶち眼鏡のレンズ越しにキミを鋭い目つきで見て、


「千秋ちゃんのこと嫌い?」

「嫌いじゃないけど、腹立たしい」

「千秋ちゃんはどうなの? 嫌いなの?」

「嫌いじゃない……です。だけど、いくら謝っても許してくれないんです!」


 千秋は指を差すようにスプーンでキミを差し、


「怖くて逃げちゃったのと、その前の話は全然次元が違うのに、それをごちゃ混ぜに捉えて、ずっと怒っているんです!」

「だからさ、その前の話とやらをしろって俺は何度も言ってるわけ」

「そ、そんなこと言えるわけないでしょ!」


 やれやれ、またこれか……

 キミは南国かまくらをがっつく。


「互いに嫌いじゃないんだね。千秋ちゃん、『その前の話』というのはいずれ話せるようになるの?」


 千秋は少しためらった。スプーンを置き、テーブルの下に手を隠して畏まる。

 かき氷の器は空っぽである。


「それは、話したいです。でも……タイミングとか気持ちの問題とか、いろいろあるし」


 だけど絶対話します、と千秋は言った。


「じゃあ後は簡単だ」


 優しげな目つきに変わり、織恵さんはにっこりと落ち着きのある微笑みで、


「スケさん曰く、この場合は『男の方が折れるに限る』ね」

「うぇええー!?」


 きみはスプーンを咥えて吠えた。


 そのとき――

 誰かに右肩をポンと叩かれた。と同時に毒気を抜かれるが如しドクロを巻く鬱憤が消滅し、忽ち暖かく朗らかな心もちが沸と湧いた。


「ねえ、どうしたの?」


 キミの目の前で、千秋が手の平を左右に振っている。


「急にボーとしちゃって大丈夫?」


 キミは突然のことに動揺し、躊躇した。

 すると背後で。

 カフェのドアベルが耳触りのよい軽やかな音をたてた。


「「えぇ?」」


 織恵さんも含めてみんな、入口に目をやる。

 ドアは開かれておらず、人の出入りはない。


「今、肩を叩かれたんだ」


 まあ仲良くな、と飾り気なく愛想のいい感じで。

 気軽でいて気さくに、ポンっと。


「来てたのかな、スケさん。今日、命日だから」


 織恵さんは入口を眺めている。

 懐かしく寂しそうで切ない表情に、嬉しさのある微笑み。

 しばらくの間があった。


「ま、アレだ。俺もムキになってたし、千秋もいつか話してくれるんだろ? これで終わりにようか」


 キミは和解提案する。


「なに、どうしたの? いきなり態度急変で気持ち悪い」


 千秋はゾッとした表情を浮かべ、腕組みをする格好で二の腕を摩ってブルブル身震いした。


「なんだよ! 素直になったらなったで気持ち悪いとか、普通ないだろ!?」

「ハイハイ、そこまで。せっかく仲直りしたんだからそのまま店を出て行って頂戴」


 キミと千秋とハル、それと抹茶白玉もち蜂蜜練乳かけ大盛りを注文した栞乃も、かき氷の入ったその器は空っぽ。

 パンパンっと手をたたいて、お会計を急かす織恵さんは席を立つ。


「ゴチなのだー」

「奢りって言ってたからね!」

「……いいの?」


 栞乃、千秋、ハルがキミを見る。


「たっく……」


 キミは財布を出してレジに行く。

 と、お金の受け皿であるカルトンの上にサービス券が置いてあった。


「前のお客さんのかな?」


 キミは織恵さんに尋ねた。


「あぁ。やっぱり来てたんだ」


 織恵さんはカルトンからサービス券をつかんで言った。


「気前の良い人だったから」

「俺も奢らされちゃったのか。なんか、カッコいいな」


 枚数を数える織恵さんがくすりと笑った。

 見ればサービス券は5枚ある。


「みぞれはお店のサービスだったのに。ホント、憎めない人よね」


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