うなぎ山椒煮の出汁茶漬け
夕暮れ前のフォレステッジは、いつも通りの穏やかな一日を終えようとしていた。市場の露店は店じまいの支度を始め、家路につく人々の話し声が、石畳の路地にのんびりと響いている。
その静けさを破るように、街の各所に点在する見張り塔から鐘が一斉に鳴り響いた。いつもと違う不規則な連打だった。鐘を鳴らす者の焦りが、途切れ途切れの音から伝わってくる。
「……なんだ、この鳴り方は」
詰め所を飛び出したカイル・ラークウッドは、防柵の方角を見た瞬間、息を呑んだ。
森の奥から、数えきれないほどの魔獣が一斉に押し寄せてきていた。灰色の体毛を持つグレイウルフの群れ、装甲のような硬い体を持つアーマードボア、そして泥にまみれたボグクロウラー――複数種が入り乱れて。夕暮れ前の淡い光の中、地を埋め尽くす魔獣の群れが、急速に街へと迫っていた。
「スタンピードだ!」
「くそっ!急すぎる!なんなんだ!備えができてねえぞ!」
隊員たちが、悲鳴じみた声を上げながら持ち場に走り出す。
スタンピード――森に生息する魔獣群が、縄張りや生態系を無視して大暴走を起こす暴虐の波。普段なら互いに争うはずの種族までもが一望に介し、眼前のすべてを蹂躙しながら押し寄せる大災害である。ひとたび発生すれば防衛線をことごとく食い破り、街ひとつを容易く崩壊へと追い込む。
「南側、魔獣が届くぞ!弓構えろ!」
「北側もだ!数え切れません!」
直後、地響きとともに凄まじい衝撃が街を揺らした。魔獣の群れが防柵へと激突し、北から南まで、ミシミシ、バキバキと、あちこちで凄まじい軋み音が響き渡った。
「おまえら!応戦しろ!破られるなよ!」
カイルは剣を抜き、揺れる防柵へと駆け寄る。崩れかけた隙間から牙を剥いた獣が身を乗り出し、その鼻先を斬りつけて押し返した。だが、退いたかと思えば、すぐ隣の隙間からまた別の一匹がその身をねじ込んでくる。
「瘴気にやられてる魔獣はいねえか。そりゃラッキーだが……くそっ!きりがねえ!」
額に浮かんだ汗を拭う暇もなく、カイルは次の獣へと剣を構え直した。
街を歩いていたダグも、防柵の方角からのすさまじい衝撃音で異変を察知した。駆けつけた先では、崩れかけた防柵に魔獣がひしめき合っている。すぐ側の畑地では、幼い子供を抱えた母親が、腰を抜かしたように地面に座り込んでいた。
「うおおおおおお!!」
母親と子供を庇うように、ダグがその巨体を二人の前へ回り込ませた。四本の腕で、崩れかけた柵の丸太を押し戻す。一体を殴り倒し、また次の一体を押し返す。だが、押し返しても押し返しても、次の獣が防策の隙間へと殺到してくる。
母親は最初、恐怖に強張った顔でダグを見上げていた。しかし、迫る獣を絶え間なく殴り飛ばすその背中に、いつしか怯えの色はなくなっていった。
「――鬼人……!?なぜここに!」
隣の持ち場で防戦していたカイルの部下たちが、思わず声を上げた。手薄になってしまった一角に、巨躯の鬼人が飛び込んできたのだ。
「加勢する!」
ダグが短くそう告げ、丸太を支える力に自分の力を重ねる。隊員たちは一瞬だけ戸惑った顔を見せたが、この非常時にそれを咎める余裕は誰にもなかった。
「……恩に着る!」
隊員の一人が、汗だくの顔でそう返す。
崩れかけた丸太の隙間から、また一体、獣が牙を剥いて飛び出してくる。ダグは片腕でそれを叩き伏せ、もう片方の腕で丸太を押し戻し続けた。額には玉のような汗が浮かび、荒い息が漏れる。それでも、隣で必死に槍を突く隊員たちを見て、弱音を吐く気にはなれなかった。
「まだまだ、来るぞ!」
街の中では、辺境伯領庁の役人ベルナルドが、住民たちを広場へと誘導して回っていた。
「落ち着いて、こちらへ!慌てず、順番に!」
汗だくになりながらも、声を張り上げて人の流れを整えていく。生真面目な性分ゆえ、こういう時こそ自分にできることを、と体が勝手に動いていた。
「役人さん、うちの婆さんが、まだ家の中に……!」
泣きそうな声で駆け寄ってきた若者に、ベルナルドはすぐさま頷いた。
「案内してください、一緒に参ります!」
恰幅のいい体を揺らしながら、若者の後を追って駆け出していく。この街の危機に、自分にできることは小さくても、精一杯やり切ろう。そんな思いだけが、彼の足を動かし続けていた。
見張り塔の真下に、ルチアはただ静かに佇んでいた。
かつて街全員に届けた「聖声の福音」だったが、人ではなく魔獣を相手にした場合、エリアを絞りこまざるを得ない。人語を解さぬ魔獣を落ち着かせるにはより力を必要とするためだ。北の一角、荒れ狂う気配。ルチアはそこへ意識の糸を伸ばし、優しく包み込む。
放たれる「聖声の福音」
「――もう、大丈夫です」
一呼吸のうちに、獣の唸り声が静まっていく。だが、安堵する間もなく、別の一角から新たな悲鳴が届いた。
「聖女様、南の柵が崩落寸前です!」
「北の柵にも群れが!」
南を片付けたと思ったら、北から悲鳴が上がる。森側の防柵は頑丈だが、それ以外の方角のものは一段か二段丈夫さに劣る。そちらに回られては厄介だ。南北の頑丈な部分の端を抜けられないように集中して意識を飛ばして鎮めていく。
さらに一度、二度、三度。
鎮めるたびに、わずかな疲労が積み重なっていく。それでも、次の報告が届けば、休む間もなくまた意識を飛ばす。まるで、いくつもの小さな灯火を、片っ端から吹き消して回っているかのような感覚だった。ただし、一つ吹き消すたびに、別のどこかでまた新しい火が上がる。
「規模は?手短に頼みます」
傍らに立つリタが、駆け込んでくる伝令たちを冷静に捌く。戦力にはなれずとも、混乱する情報を瞬時に整理し、ルチアへと的確に繋ぐ歯車となっていた。
「聖女様、情報はすべて私が整理します」
(これは!こんな規模、今までになかった!ルチア様の力がいくら優れていようとも、一人の力でどうにかなる規模を越えている!どうしたらいいの?)
「ありがとうございます、リタさん」
短く答えるルチアの額に、じんわりと汗が滲み始めていた。
さらに一回、二回と沈静化させるたび、ルチアの息が、少しずつ荒くなっていく。掲げた手が、わずかに震え始めた。頬から血の気が引き、額には玉のような汗が浮かんでいる。それでも、次の報告が届けば、体はほとんど反射のように動いた。
「聖女様……?」
リタが異変に気づき、顔を覗き込んだ。
「大丈夫です。まだ、いけます」
そう答える声にも、いつもの張りがない。
「北側、まだ収まりません!」
新たな報告が届く。ルチアは唇を引き結び、再び意識を飛ばそうとした。だが、掲げた手の先が、今度こそはっきりと震えている。
「――このままでは」
リタの声が、初めて硬さを帯びた。
「聖女様の力が、先に尽きます」
(ルチア様お辛そう。ここでルチア様が倒れられたら、この街はおしまいです!)
リタは即座に判断した。
「少しだけ、待っていてください」
それだけ言い残すと、帳面を小脇に抱え、路地の方角へと全力で駆け出した。息が上がり、脇腹が痛んだが、足を緩める余裕はない。数字と効率を何より重んじる彼女にとって、今この瞬間、最も早く聖女の力を回復させる手段は、ただ一つしかなかった。
藍色の暖簾を突き破るような勢いで、リタが店に飛び込む。
「店主!聖女様が、エネルギー切れ寸前です!一番早く力になる食事を、今すぐ持ち出せますか!」
おやじは黙って頷くと、奥から大きな岡持ちを担ぎ上げた。
「……炙ってる暇はねえな。たまたまだが作っといてよかった」
短くそう呟き、白飯と出汁の入った土瓶、そして仕込んでおいた具材を手早く詰め込んでいく。普段はカウンターから一歩も動かない男が、今日ばかりは大股で路地を抜け、迷いのない足取りでズンズンと現場へと向かった。すれ違う住民たちが、岡持ちを担いだおやじの勢いに、思わず道を空ける。
「あいよ、待たせたな」
見張り塔の下に到着したおやじは、それだけ言うと、手早く茶碗に白飯を盛り、しっとりとした鰻をのせ、熱い出汁をなみなみと注いでいく。香ばしいいつもの蒲焼とは、見た目も香りもどこか違っていた。
「――さあ、聖女様」
「ありがとうございます、これは?」
「山椒煮の出汁茶漬けだ」
白飯の上に置かれているのは、出汁を含んで柔らかく身を沈めた山椒煮の切り身。濃密なタレを纏った飴色の身に、艶やかな出汁が注がれ、刻んだ生山椒の爽やかな青香が微かな湯気とともにふわりと立ちのぼる。茶碗の中で混じり合うタレと出汁が黄金色に輝き、見るからに食欲をそそった。
鰻の山椒煮とは、醤油とみりん、酒、砂糖、そして生山椒を贅沢に使い、身が崩れ安い鰻をじっくりと煮詰めた品だ。火を通すことで身の芯まで甘辛い旨味が染み込み、豆腐のように柔らかい身からは噛み締めた瞬間にじわっと脂が溢れ出す。そこに山椒特有のピリリとした爽やかな痺れが加わり、重厚なコクを持ちながらも後味はどこまでも軽い。熱々の出汁を注げば、身から溶け出した濃密なタレが出汁の旨味と溶け合い、一口飲むだけで身体の奥底から力が湧き上がるような、極上のスープへと昇華する。
ルチアは震える手で茶碗を受け取り、口へと運んだ。
出汁の熱が喉を滑り落ちていく。噛む力さえ惜しいほど消耗した体へ、さらさらと吸い込まれるように流れ込んだ。ピリッとした刺激が麻痺しかけていた頭を呼び覚まし、腹の底からじわじわと温かい力が満ちていく。
(――ふあぁ……っ! 熱い出汁が、喉から胃まで一気に駆け抜けていきます……! ピリッとした山椒の香りと、驚くほど柔らかい身が……解けていく……!)
心の声が、優しく、しかし確かな歓喜を帯びて周囲に響いた。疲労困憊していた隊員たちが、思わずハッと顔を上げる。
ダグとカイルも、束の間の小休止を得て駆け寄ってきた。そして、店主から茶碗を受け取りそのままかき込んだ。
「うおっ……これは、腹の底まで効くな……!」
ダグが太い喉を鳴らして出汁をすすり、あっという間に一杯を平らげる。カイルも勢いよく平らげて叫んだ。
「すぐ、前線に戻るぞ!」
「おうよ!」
「炙る手間がねえ分、こういう時にはちょうどいいな」
おやじが淡々と土瓶を傾け、次々と椀に出汁を注ぎ足し、周りにいる者たちに配っていく。
ルチアは一杯目をかき込み終えると、すぐに二杯目を求めた。
「……もう一杯、いただけますか」
あいよ。好みでこれも使ってみな」
おやじが差し出したのは、小皿に盛られたおろしたてのワサビだった。二杯目の茶碗を受け取ると、ルチアはちょこんとワサビをのせ、迷わず出汁茶漬けを流し込んだ。
(――はあっ……! ワサビを加えると一気に風味が変わります! ツンと抜ける爽快な辛みのおかげで、二杯目なのにちっとも重くありません! 甘辛いタレと出汁が合わさったスープが、飲むたびに私を力づけてくれます……! 美味しい……なんて、美味しいのでしょう……!)
二杯目、三杯目と、いつもは決して大食漢ではないルチアが、猛然と茶碗を空にしていく。頬に赤みが戻り、震えていた手が、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
二杯目を一気に平らげたルチアは、迷わず茶碗を差し出した。
「……もう一杯お願いします」
「あいよ」
「聖女様が、こんなに……」
リタがその様子に驚きを隠せずにいた。
(記録:聖女様、おかわり三杯。エネルギー回復との相関、要検証。
……個人的にも、少し意外だった)
三杯目をかき込んだ瞬間、疲労の底から一気に突き上げてきた幸福感が、ルチアを完全に満たした。
(――んっ、んっんっ! 三杯目だというのにすごいです! 出汁の熱とワサビの爽やかな刺激が、疲れた体の隅々にまでじわじわと火を灯していくようです! こんなに美味しくて、こんなに元気になる食べ物が、この世にあったなんて! まだまだ、いけます……!)
澄んだ声が、その場にいた全員の頭の中に、はっきりと届いた。
「……!?今の……」
疲れ切った顔で座り込んでいた隊員たちが、一斉に顔を上げる。
「聖女様の、あの声……」
「あれだな」
誰かがぽつりと呟いたが、それを深く問い詰める者はいなかった。それよりも、疲労困憊していたはずの体に、じんわりと力が戻ってくる感覚が、全員を奮起させた。
「……なんだか、まだやれる気がしてきたな」
一人の隊員が、剣を握り直しながら立ち上がる。
「俺もだ。あの声聞いてたら、へこたれてる場合じゃねえ気がしてきた」
「私も、まだ動けます」
リタも、空になった茶碗を置いて立ち上がった。
「……聖女様、強いな」
カイルが呟きながら、口元に笑みを浮かべる。
「美味しいです」
ルチアはいつも通り、澄ました一言だけを口にした。それを聞いた全員がほんわかと、しかし力強く手に力を込めた。
やがて岡持ちの中身が底を突く。
「……すっからかんだ」
おやじがぽつりとそう呟き、空になった土瓶を覗き込んだ。その一言に、緊張の張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩んだ。
「ごちそうさまでした――もう、いけます」
ルチアが茶碗を置き、静かに立ち上がった。頬にはすっかり血の気が戻り、瞳には力強い光が宿っている。
目を閉じ、両手をそっと広げる。
防柵の周りをすべて包み込むように、意識を最大限まで押し広げた。
「聖声の福音」
「――大丈夫です。もう、大丈夫です。落ち着いて。森へお帰り」
残っていたすべての魔獣へ、一斉による鎮静の力が届く。防柵に群がっていた獣たちが、次々と唸りを鎮め、森の奥へと引き返していった。
静寂が、フォレステッジに戻ってくる。
「……終わった、のか」
カイルが、崩れかけた柵にもたれながら、大きく息を吐いた。
「ああ。今日のところは、な」
ダグも、破れた外套の袖で額の汗を拭う。
見渡す限りの防柵のあちこちに、崩れかけた丸太や、なぎ倒された荷車が転がっていた。夕暮れの光が、その傷跡をやわらかく橙色に染めていく。隊員たちは疲れ切った顔をしながらも、互いに肩を叩き合い、無事を確かめ合っていた。
柵の修復作業に集まってきた住民たちの中に、先ほどダグに助けられた一角の人々の姿があった。
「……さっきは、助かった。あんたがいなけりゃ、うちの柵、完全に持ってかれてたよ」
老いた農夫が、ダグへとおずおずと声をかける。
「なに、大したこっちゃねえ」
「いんや、大したことだ。……見た目で怖がって、悪かったな」
農夫が深く頭を下げると、周りにいた住民たちも、次々と小さく頭を下げていく。
先ほど腰を抜かしていたあの母親も、子供の手を引きながら近づいてきた。
「あの……さっきは、ありがとうございました。とっさに、娘を庇ってくださって」
「気にすんな。当たり前のことをしたまでだ」
母親の傍らで、子供がおずおずとダグを見上げた。もう遠巻きに角を見つめるだけではなく、恐る恐る小さな手を振ってきた。
「……ばいばい、おっきいひと」
ダグは面食らったように立ち尽くしていたが、やがて照れくさそうに片手を上げて応えた。
少し離れた場所では、以前ダグと剣を交えかけた際に居合わせた隊員の一人が、仲間たちへ小声で何か話しているのが見えた。
「あの日は肝を冷やしたが……今日、あいつがいなけりゃ、この一角は持たなかったな」
「だな。亜人族だからって、身構えすぎてたのかもしれん」
誰からともなく漏れたその言葉が、疲れ切った隊員たちの間に、静かに広がっていった。
「聖女様、リタさん、お疲れ様でした」
カイルが二人をねぎらうと、リタが小さく息をついた。
「……今日は、記録する余裕もありませんでした」
「それだけ、大変だったってことだ」
ルチアは崩れかけた柵を見上げ、静かに呟いた。
「今日はもう収まりましたが……また、いつ起こるか分かりません」
「ああ。次があるなら、次も、こうやって乗り切るしかねえな」
カイルの言葉に、ダグとリタが揃って頷いた。
「それにしても、聖女様がお代わりを重ねるところ、初めて見ました」
リタがぽつりと呟くと、ルチアは少し照れくさそうに頬に手を当てた。
「今日は、特別です。それだけ、頑張ったということにしてください」
「頑張った、なんてもんじゃねえだろう」
ダグが呆れたように笑うと、カイルも同意するように頷いた。
「それにしても……」
ダグが、修復作業に集まる住民たちを見渡しながら、ぽつりと呟く。
「あんなに普通に礼を言われるとはな。前は、考えられなかった」
「そりゃあ、お前がちゃんと守ったからだろう」
カイルがこともなげに答えると、ダグは少し照れくさそうに鼻の頭をかいた。
「悪くねえな、こういうのも」
空になった岡持ちを担ぎ直したおやじが、それだけ見届けると、何も言わずに路地の方角へと歩き去っていく。
◆◆◆
それから数週間後、辺境伯領庁の一室で、ベルナルドとリタが並んで報告書を差し出していた。
「此度の一件、被害状況と対応記録をまとめました」
「森側防柵の全域同時攻撃は、記録上も前例がございません。防柵の二重化をご検討いただきたく」
辺境伯は分厚い報告書に目を通し、しばらく黙考した後、静かに頷いた。
二人の連名による上奏は、その日のうちに裁可を受け、防柵の二重化が正式に決定する。既存の柵の内側に、もう一列、頑丈な柵を新設するという計画は、さっそく翌日から資材集めが始められることとなった。
いつまた同じことが起こるか、誰にも分からない。それでも、この街は、また一つ、備えを重ねていく。
「加えて、本部より一報が届いております」
控えていた書記官が、遠慮がちに付け加えた。
「此度の規模の異変、念のため視察官を派遣したい、とのことです」
辺境伯は少し驚いた顔をしたが、すぐに了承した。
「構わん。むしろ、しっかり見ていってもらうといい」
そのやり取りを聞いていたリタはあの時のルチアの活躍を思い出した。
(そう、この規模。この街でこれほどのスタンピードが起きたのは初めてです。誰も気付いていないけど、この規模をほぼ被害なく鎮圧できたことなんて王国の記録でも数えるほど。たしか、金級聖女数名や白金級聖女の活躍の記載があったはず。ルチア様は今どれほどの力をお持ちなのでしょうか。すごい方です!)
◆◆◆
その夜、店じまいの支度をしていた鰻屋に、三人分の足音が重なった。
「おやじさん、今日はありがとうございました」
ルチアが、暖簾の下からそっと顔をのぞかせる。カイルとダグも、その後ろから続いた。
「あの山椒煮がなければ、俺たちだけじゃとても持ちこたえられなかったと思う」
「おかげで、まだやれる気になれた」
ダグが太い腕を組み、しみじみと頷く。
「……あいよ」
おやじは空になった土瓶を布巾で拭きながら、短くそれだけ答えた。こちらを向くことのない横顔に、いつもと変わらない静けさが漂っている。
だが、ルチアの反対側の口元は、ほんの少しだけ緩んでいた。
フォレステッジの空は、今日も静かに暮れていった。




