うなぎおにぎり・八幡巻き
偵察に来た七人は崩れた城門をくぐり、石畳の廊下を進む。窓という窓は割れ、風がひゅうひゅうと音を立てて吹き抜けていた。奥へ進むほどに、粘りつくような重い気配が濃くなっていく。
やがて、開けた一室へとたどり着いた。
白い石造りの広間だった。かつては白亜だったであろう壁は、時を経て灰色にくすんでいる。その奥、一段高くなった場所に、朽ちかけた玉座が据えられていた。玉座の背後の壁には、淡く発光する紋様が浮かび上がっている。その紋様は、あちこちにひびが入っていた。
その紋様の前に先客の影があった。
薄暗い部屋の奥、巨大な魔法陣を見つめるその背中に、シャノンが息をのむ。
「シュトラーフ……!? どうして、あなたがここに……!」
「シャノンか。まさかこんな場所で会うとはな」
振り向いた男の姿に、ダグが警戒を強めて剣の柄に手をかけた。
「知り合いか?」
「ええ……私の育ての親です。シュトラーフ、あなたはここで一体何を?」
「この封印が弱まっているようでな、様子を見に来た」
「封印?その紋様が封印か?」
カイルが紋様を指さし、リタがその紋様をじっと見つめる。やがて、その目が大きく見開かれた。
「私、これと同じ紋章を、幼い頃に見たことがあります」
「幼い頃……?」
「絵本です。魔王と勇者の物語を描いた、古い絵本の中に。魔王の紋章として描かれていました」
「魔王……?」
カイルが眉をひそめて呟いた。仲間たちの間にも、どこか鼻で笑うような半信半疑の空気が流れる。魔王など、子供を寝かしつけるためのおとぎ話に過ぎない。そんなことを言われてもあまりにも現実味がなかった。
「まさか、おとぎ話の悪役が本当に出てくるとでも言うのか?」
「いや、おとぎ話では……」
シュトラーフが口を開きかけた、まさにその時だった。
ズズ……と地鳴りのような音が足元を揺らした。
「な、なんだ……!?」
「これは、まさか?」
全員が思わず身構える。紋様の亀裂から、ひときわ大きな音が響いた。びしり、と何かが割れる音。その亀裂は一瞬で壁全体へと広がり、まるで薄氷のように砕け散った。
ドガァンッ!と轟音が鳴り響き、石壁が内側から勢いよく弾け飛ぶ。激しい粉塵と瓦礫が巻き上がり、視界が白く染まった。
「くっ、なんだなんだ!?」
「みんな、下がれ!」
瓦礫の向こう側から、悪夢のような輪郭がゆっくりと立ち現れる。
人の形をしている。だが、纏う気配は、人のものではなかった。三メートルはあろうかという長身。頭部には、後方へ大きく反り返った二本の角。肩から伸びるのは、黒く艶やかな羽毛に覆われた翼だった。羽根の一枚一枚が所々ちぎれ、破れてはいるが、それでも大きく広げられたその姿は、カラスの王が翼を誇示するかのように禍々しい威容を放っている。全身を覆うのは、鎧でも衣でもない。瘴気そのものが、黒いローブのように体にまとわりつき、輪郭さえ曖昧にしていた。その体の輪郭から滲み出るように、放射状に伸びる無数の黒い筋――複雑に入り組んだインクの染みを思わせるオーラが、絶えず形を変えながら揺らめいている。双眸だけが、その黒の奥で、赤く鈍く光っていた。
「……おいおい、嘘だろ……」
「冗談じゃない……ほんとに魔王かよ……!」
誰かが掠れた声で漏らした。絵本の中の存在だと思っていた恐怖が、圧倒的な質量を持って目の前に君臨している。
その瞬間、魔王から解き放たれたのは、喉元に刃を突きつけられたかのような絶対的な威圧感だった。
あまりの圧迫感に、周囲の空間すら凍りつく。ズシリと目に見えない凄まじい重圧が全身を叩きつけ、肺から容赦なく空気を押し出した。膝が激しく震え、指一本動かすことすら叶わない。呼吸することすら忘れるほどの濃密な死の気配に縛られ、一行はただ金縛りに遭ったようにその場へ縛り付けられていた。
「……ようやく、か」
しわがれた、しかし底冷えのする声が、動くことのできない皆の鼓膜を直接揺らし、広間全体に満ちていく。
「一度は封じられた。だが、今やあやつの力もまるごと、俺のものだ」
双眸が、八人と、玉座の間の入り口に控えるセラフィナの気配までをも見渡した。
「人間、森番、鬼人、竜人……。近くに感じるのは、白銀の竜の気配か」
魔王が、愉快そうに喉を鳴らす。
「今代の勇者パーティ、というわけだな」
(勇者パーティ? 何勘違いしてんだこいつ!)
ダグの表情が、一瞬だけ引きつった。
(おれたちゃ、偵察に来ただけだ……!)
カイルも、剣の柄を握る手に力を込めながら、心の中で叫ぶ。だが、その言葉は、口には出せなかった。
(ちくしょう、まじかよ!勇者パーティだなんて思われちまったら、逃がしちゃくれないよな)
「私はイビルイール。魔王と呼ばれる者だ。まさか待ち構えていたとはな。復活の祝いだ……手始めに、貴様らを皆殺しにしてくれるわ!」
魔王イビルイールが叫ぶと同時に、大きく広げられた黒い翼が、鎌のように振り抜かれた。
「――っ!」
カイルが咄嗟に前へ出て、剣を構える。だが、繰り出された一撃は、剣ごと人を紙屑のように吹き飛ばす威力を持っていた。勢いよく弾き飛ばされたカイルは、そのまま後ろにいたダグへ猛烈な勢いで激突する。四本の腕で受け止めようとしたダグの巨躯ですらも止めることができず、背後のヴァルガごと三人は後方の石壁へと激しく叩きつけられた。ヴァルガの手に宿っていた炎は不発のまま掻き消え、砕けた石壁の重い音だけが広間に轟いた。
「がっ……!」
カイルはフル装備の防具のおかげで、かろうじて息はある。だが、指先一本動かせない。二人に受け止められる形になっていなければ、命はなかっただろう。
「カイル! ダグさん!ヴァルガさん!」
リタが悲鳴を上げる。ヴァルガも片膝をついたまま、立ち上がれずにいた。
「もろいな……残るは、か弱い女どもと年寄りだけか」
魔王が、ゆっくりと足を踏み出す。急ぐ様子はなかった。もはや脅威とすら思っていない、という余裕がその歩みに滲んでいた。ルチア、リタ、シャノン、アイリスの四人が、後ずさりながら身を寄せ合う。
その時、魔王が、ふと足を止めた。
「……ん?」
双眸が、すっと細められる。焦点は、この場ではない、遥か彼方へと結ばれていた。
「聖なる剣、か。懐かしい気配だ」
魔王が、息を吸い込む。四人へ向けていた歩みを止めることなく、首だけをわずかに横へ巡らせ、崩れた壁の向こう、森の奥深くへと視線を据えた。
開いた口の奥に、圧縮された黒い光が凝縮していく。放たれた閃光は、玉座の間の壁を粉々に打ち砕き、そのまま峡谷の崖を穿ち、外に広がる森の木々を薙ぎ払いながら、一直線に地平の彼方へと突き進んでいった。
◆◆◆
遠く離れた森の外れ、聖剣を掲げて進軍していた王国軍の前方に、突如として光の道が切り開かれた。
「な……なんだ、あれは――!」
ローガンが叫ぶ間もなく、光は山を貫き、木々を薙ぎ倒しながら、聖剣目掛けて一直線に迫る。
聖剣が眩い光を放ち、迫る奔流を弾き返した。爆風が周囲を吹き荒れる。土煙が晴れた後、聖剣を捧げ持っていた若い勇者は、地に伏したまま動かなくなっていた。
◆◆◆
玉座の間で、魔王が小さく舌打ちをした。
「弾かれたか。……まあいい、後で潰しに行けば済む話だ。ふむ、貴様らは勇者パーティではなかったか。まあ皆殺しには変わりがないがな」
興味を失ったように、魔王は再び四人へと向き直る。先ほどまでの余興のような気配は消え、今度は明確な殺意が、その双眸に宿っていた。
「……来る」
アイリスが、書類挟みを取り落としたまま呟いた。リタが、震える手でルチアの袖を掴む。もう、誰の口からも言葉は出てこなかった。
「――私が」
ルチアが、震える声を絞り出しながらも、一歩前へ進み出た。そしてパーティのみんなを見回して微笑んだ。
「私が、皆さんをお守りします」
両手を掲げ、光を宿そうとした、その瞬間だった。
――みなさん。
震えあがる恐怖の底で、ルチアの頭に浮かんだのは、これまで積み重ねてきた、あの湯気の向こうの光景だった。
みんなで囲んだ、赤ワインの香り立つマトロート。出発の前夜、輪になって啜った、う鍋の澄んだ出汁。
(あの日の味が、まだ舌に残っています)
浮かんだ記憶は、そこで止まらなかった。
ヴァルガが七味を山ほど振りかけたという、とろろ乗せうな牛丼。ダグが疲れた体に流し込んだ、山椒煮の出汁茶漬け。シャノンが目を細めた、うなぎのじゅんじゅん。リタが帳面を忘れて味わった、白焼き重。カイルが数えるように食べた、串焼きの数々。そして、この店に初めて足を踏み入れたあの日、常連の老人と分け合った、艶やかなうな重。
一つ、また一つと記憶が積み重なるたび、ルチアの足元から、金色の光が立ちのぼっていく。光は、ルチアを包みさらに広がっていった。光の中には、あの日の湯気が、あの日の照りが、あの日の料理が星のように点々と浮かんでいる。
「……ん?」
「聖女様……?」
カイルが目を見張る。
「あれ……あの時のう鍋じゃねえか」
ダグが呆然と呟く。
「とろろ乗せうな牛丼?」
ヴァルガも目を丸くした。
オーラが、みるみるうちに拡大していく。まるで、この街で味わってきたすべてのうなぎ料理が、光となってルチアの中に満ちていくようだった。ルチアから発せられる巨大なオーラは、崩れかけた天井を突き抜けるほどの高さまで伸び上がる。
「……何だ、その気配は」
魔王の声から、先ほどまでの余裕が消えていた。踏みしめた石床に、浅く亀裂が入った。
ルチアの瞳には、これまでにない強さが宿っていた。
「――浄化の光」
両手から解き放たれたのは、幾重もの絆と滋養が結晶化した神聖なる閃光だった。魔王が迎撃のために放ったブレスすら一瞬で呑み込み、溢れ出す光の奔流が真っ直ぐに突き進む。玉座の間全体が黄金の輝きに包まれ、魔王の存在を丸ごと覆い尽くした。
「な、なんだこの光は……!? 温かい……だと……!?」
数千年にわたり世界を侵食し続けた漆黒の瘴気。それが、ルチアの放つ光に触れた先から、まるで春の陽気に溶ける残雪のように、じわじわと削ぎ落とされていく。
「我は闇! 世界を統べる魔王イビルイールだぞ! このような光などに……滅ぼされるはずが――!」
魔王が叫び、必死に黒い翼を羽ばたかせて光を払いのけようとする。しかし、光の深層から溢れ出るのは、ただの破壊の力ではなかった。
食卓を囲む人々の笑顔。かぐわしい蒲焼の匂い。一杯の出汁が身体を満たす、優しくも力強い生きる力――。
「ぐ、があああああっ……! 身体が……溶ける……!? いや、満たされていく……だと……!?」
咆哮は、やがて苦悶から困惑、そして抗いようのない脱力へと変わっていく。魔王の身体を覆っていた絶対的な死の気配が、聖なる光の前に洗われて消えていく。
黒く艶やかだった翼は、輝く光の粒子となって一枚、また一枚と夜空へ還るように霧散した。頭部を威圧していた二本の巨大な角も、ビシリと音を立てて砕け、光の渦へと溶け込んでいく。全身にまとわりついていた漆黒の瘴気は、完全に浄化され、一筋の清廉な風となって吹き抜けていった。
「バカな……我が……我が闇が……」
絶叫が消え去り、広大な黄金の奔流がゆっくりと収束していく。激しい光の余韻が去り、静寂が訪れた玉座の間には、まるで嵐が過ぎ去ったかのような穏やかな沈黙が流れていた。
そこに残されていたのは、かつての禍々しい魔王の姿ではない。
崩れた瓦礫の真ん中にたたずむ、拍子抜けするほど小柄で華奢な、一人の女性の姿だった。
「……な、なんだ、あの人は」
カイルが、瓦礫の下から呆然と呟く。
「人間、なのですか……?」
リタも、声を震わせたまま動けずにいた。
その時、シュトラーフが、静かに歩み出た。女性の姿をまっすぐに見つめている。
「……ミルアーネ」
しわがれた声が、静かな玉座の間に響いた。
「三千年前の、勇者パーティの一員だ。……俺も、同じパーティだった」
「あなたが……!?」
シャノンが、目を見開いてその横顔を見つめる。
女性の瞼が、ゆっくりと開く。
「誰?私は?」
「ミルアーネ。私はシュトラーフだ。三千年ぶりだな」
「シュトラーフ!?三千年!?え?えー……老けたわね」
「森の奥をずっとうろついていたのは、こいつのことが気にかかっていたからだ」
シュトラーフが、ルチア達に振り返って静かに続ける。
「封印の奥から、微かにミルアーネの気配を感じていた。……まさか、こんな形で目覚めるとは、思ってもみなかったが」
「一体、何がどうなってやがる?」
ダグが、瓦礫の中で身を起こしながら尋ねる。シュトラーフは困ったように眉を下げた。
「三千年前、我々パーティは魔王を仕留めきれなかったのだ。その時、ミルアーネが一人犠牲となって体に魔王を封じ込め、眠りについた。さきほど封印が破れ魔王が復活した。それを彼女が」
ルチアを指さす。
「完全に浄化し、ミルアーネが目覚めた」
「封印が、劣化していたんですね」
リタが震える手で帳面を構える。
「聖剣が見つかったという話もありましたし……ひょっとしたら、それも関係しているのかもしれません」
「は―そんなことが。私もびっくりよ」
ミルアーネが肩をすくめた。
「……それにしても」
カイルが、ダグの上で身を起こしながら、苦笑した。
「様子を見に来ただけのはずが、まさか魔王に出くわすことになるとはな」
「全くだ」
ダグも笑いながらうなずく。緊張の糸が切れたのか、その場に小さな笑いが広がった。
「カイルさん、ダグさん、動けますか」
ルチアが慌てて駆け寄ろうとすると、カイルが片手を上げて制した。
「大丈夫だ。ダグとヴァルガのクッションのおかげだ」
「クッション扱いとは酷い言い草だな」
瓦礫を払いながら、ヴァルガが苦笑交じりに背中をさする。その下で、ダグも太い腕を動かして身を起こした。
「がはは!無事で何より。壁に突き刺さった甲斐があったってもんだ!」
「セラフィナに、診てもらいましょう。彼女は傷を癒せるわ」
シャノンの提案に、カイルは素直にうなずいた。
◆◆◆
崩れた城門のそばに腰を下ろし、ルチア一行と、ミルアーネ、シュトラーフの九人は、朝方おやじから渡された竹皮の包みを広げた。カイルとダグ、ヴァルガは、まだ本調子ではない体を石段にもたせかけている。
竹皮の中には、三種のうなぎおにぎりが整然と並んでいた。一つ目は、甘辛いタレを滲ませた飯の上に、大ぶりの蒲焼を大胆にのせた圧巻の一品。つややかなタレの照りが食欲をそそる。二つ目は、蒲焼の切り身を大葉とともに頂にのせ、海苔をくるりと巻いた天むす風。三つ目は、細かく刻んだ蒲焼を白飯に満遍なく混ぜ込み、ひつまぶしを思わせる握りだった。
「三種類も作ってくれたのか」
カイルが竹皮を覗き込み、感心したようにつぶやく。
「いただきます」
まずは、蒲焼乗せのおにぎりを一口。大きく頬張ると、ふっくらとした身の豊かな旨味と、甘辛いタレを吸った飯が、疲れた体にじんわりと広がっていく。
(――んっ、ああっ! これです! 戦いのあとの一口が、こんなに心にしみるなんて! 炭火で炙られた身の脂と濃密なタレが、疲れた体の隅々にまで届いていきます……!)
続けて、天むす風の一つを手に取る。海苔と大葉の香りが先に鼻を抜け、その奥から、香ばしい切り身の弾力ある食感が現れた。
(――はああ、こちらは、また違う顔です! 海苔と大葉の爽やかな風味が最初に来て、そのあとに鰻の食べ応えが追いかけてきます……! 同じおにぎりなのに、こうも印象が変わるなんて)
静かな城跡に、ルチアの心の歓声が溶けていく。
「……相変わらずで安心するよ、聖女様」
カイルが小さくつぶやき、苦笑する。ミルアーネだけが、初めて聞くその現象に目を丸くしていた。
アイリスはリタやカイルと話をしている最中で気づいていないようだ。
「気にすんな、ミルアーネさん」
ちらっとアイリスに目を向けてから、ミルアーネに向けてダグが答え、外套の下から二対目の腕を伸ばす。四本の腕を巧みに動かし、二つの口へ代わる代わるおにぎりを放り込んでいった。本来の口で豪快におにぎりを頬張り、喉元の口でも絶え間なく味わいながら、二つの口と四本の腕を同時に動かしてもりもりと平らげていく。
『三種類とも、それぞれ美味さの方向が違うな……! このひつまぶし風が一番好きだなっ! どこを噛んでも刻んだ身が弾けて、タレと海苔がご飯と共に!』
少し離れた場所で、瓦礫に腰掛けていたアイリスも、竹皮の包みへとおずおずと手を伸ばした。
「私も、いただいてよろしいでしょうか」
「もちろんです、アイリスさん」
ルチアが柔らかく頷くと、アイリスは蒲焼乗せのおにぎりを、行儀よく両手で持ち上げる。書類挟みは、いつの間にか膝の上へ移されていた。
ひと口かじった瞬間、アイリスの目が大きく見開かれた。
「――美味しいですっ!」
思わず、といった調子の声が、静かな城跡に響き渡る。自分の声の大きさに驚いたのか、アイリスは手で口元を覆い、みるみる頬を赤らめた。
「……失礼しました。少々、取り乱しました。その……美味しいものを食べると、つい」
律儀に弁明するアイリスに、カイルが小さく吹き出した。
「なるほどな。……なあリタ、前にアイリスさんに言ってた『感激のあまり、大きな声を出した』ってやつ、本当にあり得る話だったんだな」
リタの肩が、ぴくりと跳ねた。
「……さあ、どうでしょう。データが一件増えただけです」
リタは澄まし顔で受け流した。
竹皮のもう一つの包みには、八幡巻きが二種、並んでいた。一つは、笹搔きにしたごぼうを鰻の身で巻き、甘辛いタレを絡めて炙り上げたもの。もう一つは、同じごぼうを薄く伸ばした鶏肉で巻いた一品だった。
「食べ比べてみるか」
ヴァルガが両方を一切れずつ手に取り、交互に口へ運んだ。
「……鰻の方は、脂の風味がごぼうの土くささを包み込んでる。鶏肉の方は、身があっさりしてる分、ごぼうの香りが前に出てくるな。刺激は足りないが、ここでは我慢するか」
「同じ具でも、巻く身が違うだけで、こんなに表情が変わるとはな」
カイルが感心したように、鶏肉の八幡巻きを一口かじった。
「そういえば」
シュトラーフが、ふとミルアーネへと視線を向けた。
「お前は今「世界聖女」だ」
「は? あたしが?」
ミルアーネが目を丸くする。
「いやいや、あたしは魔王を倒すまで、ずっと銅級だったんだから。称号なんて大層なもの、似合わないわよ」
「……銅級?」
ルチアが、思わず手を止めて微笑んだ。
「同じですね」
「え……!? あんたも!?」
ミルアーネが身を乗り出す。
「あの力、てっきり純白級というか、もっと上だとばかり」
「いいえ。着任した時から、ずっと銅級のままなんです」
「……嘘でしょ。あたしと、同じじゃない」
ミルアーネが、まじまじとルチアの顔を見つめた。
「あたしもね、成長がやたら早いってんで抜擢されたのよ。まじめに修行はしたつもりだったけど、なんでそこまで強くなったのか、自分でもよく分からなくて。……ただ、うなぎを食べてただけなんだけど」
「うなぎ、ですか?ルチア様も、うなぎが大好きなんです」
リタが真剣な顔で言うと、ミルアーネは目がを丸くして驚いた。
「あなたも?」
「はい。この街に来て、うなぎに出会ってから、毎日のように通っています」
「奇遇ねえ。ところで、どんな食べ方が好き?」
「うな重が好きなんですけど、丼もいいですよね」
「分かる。あたしも、どっちか選べなかったなあ」
「うな丼を、牛丼と合わせたことはありますか?」
「合わせる? 鰻と牛肉を、一緒に?」
「はい。とろろも乗せて、七味を効かせると……」
「へえ……! それは、食べたことないなあ。今度、食べさせてよ」
「はい、ぜひ!」
二人の会話は、それからしばらく止まらなかった。
鰻という食材は、古くから滋養強壮の食べ物として重宝されてきた。良質な脂と豊富な栄養を蓄え、体力の落ちやすい季節にこそ効くと言われている。二人の異様なまでの成長速度が、この食材と無縁だとは、この場にいる誰にも思えなかった。
「うーん。もしや」
少し離れた場所で話を聞いていたアイリスが、真剣な顔でつぶやいた。
「お二人とも、うなぎに対する熱量が、あまりに凄まじいように思います。もしや、そこに目を見張る成長の要因があるのでは」
「検証してみる価値はありますね」
リタも帳面を構え、目を輝かせる。
「もし理由が分かれば、聖女修行の一環に組み込めるかもしれません。純白級聖女の育成法として、確立できる可能性すらあります」
その傍らで、ルチアとミルアーネは、なおも食べ方談義に夢中になっていた。
◆◆◆
その後、九人と一柱の白銀竜は、崩れた城を後にした。セラフィナがカイルとダグ、ヴァルガの傷にそっと光を当てると、二人の顔色は見る間に戻っていった。
「これは……もう痛みが引いてる」
「無理はなさらないでくださいね」
セラフィナの背に乗り、来た道を戻。フォレステッジへ到着すると、防柵の前でベルナルドが涙ぐみながら出迎えた。
「聖女様、皆さん、ご無事で……!すさまじい光が走りましたもので、何かあったのかと心配しておりました」
「ご心配をおかけしました。様子を見に行くだけのつもりだったのですが……思いがけない出会いがありまして」
ルチアがどこか恐縮したように微笑みながら答えると、ベルナルドはきょとんとした顔をした後、深く息を吐いた。
「詳しいお話は、後ほどゆっくり伺いましょう。ひとまず今日はお休みください」
空の色が、少しずつ橙色へと変わり始めていた。防柵の向こうで、静けさを取り戻した森が、穏やかに風に揺れている。長い一日が、ようやく終わろうとしていた。




