プロローグ
光の差し込む書架の前に立ち、そっと一冊の本を手に取る。
装丁を撫で、表紙の感触を指先で確かめる。
硬質なもの。柔らかなもの。革の匂いがするもの。紙の香りが漂うもの。
どれも、大切に積み重ねられた時の証。
本を開く。
指がページを捲るたび、紙が擦れる音が静寂に響く。
書かれた文字のひとつひとつが、私の心へと流れ込んでいく。
物語の中へ沈んでいく。
登場人物の悲しみや喜び、希望や絶望に寄り添い、彼らとともに歩む。
台詞の一言に息を呑み、思わずページを閉じることもある。
感情が昂ぶり、目を伏せ、心の波が静まるのを待つ。
けれど、またページを開く。
物語の続きを求めて、ページを捲る手が止まらなくなっていく。
そうして最後の一文を読み終えたとき、私は本を閉じる。
読み終わった本を胸に抱く。
温もりを感じるように、そっと優しく。
余韻に浸りながら、感謝の気持ちを込めて。
書架に本を戻し、背表紙をそっと撫でる。
そのタイトルを目に焼き付ける。
そして、また新しい一冊を手に取る。
その行為はまるで、砂漠に一滴ずつ水を垂らしていくようだった。
ゆっくりと、じんわりと、心が潤っていく。
その繰り返しを、もう何度続けたか分からない。
数える暇さえ惜しむように、私は次の物語へと身を投じていく。
何百回目なのか。
何千回目なのか。
そんなことは、どうでもよかった。
ただ、本の世界に身を沈めていた。
ある日、ふと思う。
この書架に並ぶ数々の物語の隙間に、自らが生み出した本を飾ることはできないだろうか。
愛してやまない物語達と肩を並べる一冊を、自分の手で綴ることができるのではないか。
その考えの先に浮かんだのは、病に伏せる祖父の姿。
かつて、幼い私にたくさんの物語を語ってくれた祖父。
ページを捲るたびに楽しそうに笑い、時には目を細めて感慨に浸るその姿。
私は何度目かも分からない繰り返しの中で、本ではなく筆を取っていた。
それが正しい選択だったのか。
それとも間違いだったのか。
その答えは、まだ分からない。
ただ、今は言葉を紡ぐ。
指が止まるまで、心が尽きるまで。
愛する貴方に届ける為の、私だけの物語を生み出すために。




