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桜の刻   作者: Shellie May
19/19

終章


また春が巡って来た。

うららかな日差しが差し込む様になったある日、大鳥邸から使いの車がやって来た。

御前が、私と所長を邸に招きたいとの仰せだった。



私の胸は、チリチリと痛む。

御前とお会いするという事は、あの人の話になるという事。

御前はそれを、所長の前で話すというのか?



躊躇う私に、煙草をくゆらせ思案顔で聞いていた所長が声を掛ける。

「…わかった、伺おう。おい、出掛ける用意をして来い。」

「はっ、はい。」



車に乗り込んでも、所長は一言も話さず目を閉じていた。

ただ降りる間際、緊張する私の手を握り、

「俺は、大丈夫だ。お前が、気にする必要なんざねぇよ。」

そう言うと、少しはにかんだ様に笑ってくれた。



書斎に通された私達を、御前が歩み寄り包容する。

椅子を勧めながら、

「ここからが、一番の眺めなんだよ。」

そう言って、庭の桜に目を細める。

「立派な桜ですね。」

「山桜なんだよ。この季節は函館を思い出して、ここで散って逝った友と酒を酌み交わすんだ。彼は、あまり強くはなかったがね。」

「そうでしたね…。」

互いに、はらはらと散る花びらを見て、しばらく感慨に浸る。



「私は…」

沈黙を破ったのは、御前だった。

「…ずっと君に済まないと思っていたんだ…。」

固く握られ手に目を落とし、御前は続けた。

「あの時…彼が亡くなって、小芝君が五稜郭まで遺体を運んで来た時の…君の叫びが…忘れられんのだよ。」


その刹那、あの時の情景がありありと思いだされる。

飛び交う砲弾と銃弾。

硝煙と土煙の匂い。


私は参謀本部の片隅で、彼の被弾、戦死の報を聞いた。

頭が真っ白になって、その場に崩れ落ちた私は、そこから耳を塞いでしゃがみこんだ。

不意に肩を掴まれ、彼の遺体が運ばれて来たと大鳥さんが知らせに来て、転がる様に部屋から走り出した。

床に敷かれた白い布の上に横たえられた彼は、苦しまなかったのだろうか、寝ている様にしか見えなかった。

しかし、腹の銃痕からの出血は酷く…私は、既に動く事のなくなった彼の体に、傍目も気にせず取り縋って泣いた。



「あの時…君は『大鳥さん、私も撃ち殺して下さい!彼の元に、逝かせて!!』と彼に取り縋って泣いて…」



ああ、そうだ…この人を、実はとても寂しがり屋なこの人を、一人では逝かせられないと…あの時の私には、その思いしか無かった。



溢れる涙を拭いもせず、私は桜を見ていた。

いつしか私も、両手が白くなる程固く握り締めていた。

隣から、そっと添えてくれる手が温かい。



「私はあの朝、彼と約束していた。もしもの時には、君を必ず落ち延びさせると…あの時の私には、その約束を果たす事で頭が一杯で、君自身を思いやる余裕は無かったんだ…。」

「しかたがありません。そういう状況でしたから…。」

「…彼の…時計は、今も持っているのかね?」

御前が、顔の下で組んでいた手から、少し目を上げて私を見る。

私は、上着のボタンを外し、懐に入っている懐中時計を取り出した。

「やはり、持っていたんだね…」



「そんなことを言っちゃいけない!君は、ここから直ぐに脱出するんだ!」

「嫌です!!後生だから、彼と共に逝かせて下さい!!」

「だめだ!僕は、彼と約束したんだ!君を必ず落ち延びさせると!」

揉み合う私達の足元に、彼の懐にあった懐中時計が転がった。

合理的な一面を持つ、彼の愛用の品。

銃弾が掠めたのか、本体がへこんでいる時計を拾い上げて撫でる。

蓋を開けると、硝子にヒビが走り、時計は動かなくなっていた。

朝、彼は何時もの様に竜頭を巻いていた。

私は、食い入る様に文字盤を見る。

手が震え、涙で霞む…彼が、天に召された時間…。

「怨みますよ、大鳥さん!」

「なっ!!」

ピクリとも動かなくなった時計を握り締め、私は言い放った。

「あの人が居なくなったら、私の時間も止まったままなんですっ!!」



「あの時…君は、自分自身に趣を掛けたんだね…」

「…そんなつもりは毛頭ありませんが、確かにあの時から、私の中の時間は止まってしまいました。」

「それだけ、彼との結び付きが強かったんだな…深い所で…。」

表を、春の風が吹き抜ける音が聞こえ、一斉に花びらが舞い上がる。

「あの後、君が彼の時計だけを持って姿を消してしまい、直に我々も投降せざるを得なくなり、私はどうして君を…君の希望を聞き届けてやれなかったのかと、あれは私のエゴイズムでしか無かったのではないかと後悔したよ。自ら命を断つ様な事になったのではないか?官軍に捕らえられ酷い目に遭ったのではないか?彼との約束を果たせなかったから、余計に思いは募った…。」

「大鳥さん…。」

「一年前、あの頃のままの姿の君に再会して、その思いを新たにしたのだ。君の40年という月日に、私はどう報いからいい?その事を、ずっと考えていたのだ。」

「確かに、絶望した事もあります。正直、自害しようとした事も。でも、思い直したんです。私は彼と金打を打って約束しました。来世で必ず一緒になろうと。ならば、出会えない筈は無いと。」

「やはり君は、あの頃と少しも変わっていないのだな…一途で、たおやかで、とても強い。」

「ありがとうございます。」

「今は…幸せなのだね?」

「はい…やっと出会える事が出来ましたから。それだけで、十分です。」

肩越しに微笑みを向けると、当たり前だという様に見つめ返す瞳がある。

「そうか…。」

そう呟いて、御前は席を立ち、大きな机に向かった。

「今日は、君に渡したい物があるのだよ。」

そう言うと、机から小さな小箱を取り出した。

「ずっと迷っていたのだがね。やはり、これを君に渡さなければいけないと思い直したのだ。開けてみなさい。」

少し古ぼけた、掌に乗る程の箱を開けると、中から女性用の懐中時計が出て来た。

銀の透かし彫りになった蓋の柄には、桜があしらわれていた。

「これは…?」

「この時計は、彼から君への贈り物だよ。」

「!?」

「彼が懇意にしていたロシア商船の艦長が、生前彼から依頼されていた物だそうだ。あれから恩赦で放免され、仕事で北海道に赴任していた時、艦長が私を訪ねて来てね…。」

その時、隣の席から大きなため息があり

「やっと出来上がって来たのか…。」

「所長?」

懐中時計を手に取りながら眺めると、

「いい出来じゃねぇか。俺が図案を考えて、ザレコフに頼んだんだよ。ロシアの時計職人に作ってもらう様にってな。」

「き、君は本当に…?」

御前は、大きく目を見開いて、両手をかざす。

「あぁ、大鳥さん。苦労かけちまったな。」

彼等は、その手をしっかりと握り、友情を確かめ合った。

「彼女が認めだのだ、疑っていた訳ではないが…それでも、記憶も引き継がれているのかね?」

「あぁ、全てという訳では無いが、ふとした拍子に蘇る…特に、こいつと関わって以降の記憶は、鮮明にな。」

そう言うと、まるで悪戯っ子の様に肩をすくめて笑った。

「あぁ、私はこの歳で懐かしい友との再会を果たせたのだな。」

大鳥さんの頬に涙が光る。

「あぁ、浴びる程酒を酌み交わす約束も、果たしちゃいねぇしな。俺は、そんなに弱ぇ訳じゃ無いんだぜ。」

「そうだった、そうだった。善は急げだ、すぐに酒の用意をさせよう!」

大鳥さんは嬉しくて仕様がないという風に、顔を上気させて書斎を出て行った。



私は、掌に懐中時計を乗せてみる。

少し小振りで、繊細な作り。

「素敵ですね…。」

「だろ?色々考えたんだ。お前に似合った物を持たせてやりたくてな…。」

「ありがとうございます。」

「少し、外に出るか…。」

彼はそう言って、書斎から庭に出る扉を開いた。

いつの間にか陽が傾き、茜色の空に桜が溶ける。

「その時計をお前に贈ろうと考えた時、俺は未来を思い描いた。笑っちまうだろ?先のねぇ戦だと分かってはいたんだがな、あの戦が終わった後の、お前との未来を…希望を考えると、戦う勇気が湧いて来た。」

私は、時計を握り締めて聞いていた。

「全てが終わる頃、戦も仲間達の事も全てが終わる頃、その時計は出来上がって俺の元に届く筈だった。そして、お前に渡してやれる筈だった。」

戦の中で死ぬ事が侍としての本懐だと、公然と話すことをはばからなかった彼が、あの時その先の未来を考えていてくれていた。

私との未来を…。

私は、怖かった。

彼が私を残して死んでしまってもいいと考えている事が…。

私はずっと、その思いに捕らわれていた…この40年、ずっと…。

「貸してみな。」

私は、時計を彼に渡す。

「これからは、この時計が俺とお前の未来を刻むんだ。」

そう言うと、彼は時計の竜頭を巻いて、私の手に戻した。

ボタンを押すと、透かし彫りの蓋が跳ね上がり、文字盤に秒針が時を刻む。

彼の腕が柔らかく私に回され、その中に私は捕らえられる。

「待たせたな…。」

私は、彼の胸に顔をうずめ、被りを振った。

「俺が、二人分お前を幸せにしてやる。お前は、俺の腕の中にずっといろ。いいな?」

耳元で囁かれる声に、また熱い涙が溢れる。

彼の腕に力が込められ、彼の鼓動が、私の鼓動に重なる。


そして、時を刻む音が…私の刻が動き始める…。



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