第88話 果実と器 ―禁断の果実と聖杯、因果改竄へ至る道―
第88話 果実と器
―禁断の果実と聖杯、因果改竄へ至る道―
―遥か昔・宇宙宙域―
漆黒の闇。
上下もなく、音もない。
ただ無限に広がる宇宙の中を、一つの肉塊がゆっくりと漂っていた。
それは、かつて一人の男だった。
ジャクラム。
暴走したユグドラシルによって、宇宙の果てへと投げ飛ばされた男の成れの果て。
四肢は失われている。
全身には無数の裂傷が走り、
皮膚は焼け爛れていた。
普通の生命ならば、とっくに死んでいる。
それでも…、
トク……
トク……
極限まで遅くなった鼓動だけが、僅かに生命の存在を示していた。
ジャクラム
「…………う……」
僅かに瞼が開く。
視界に映るのは、どこまでも続く漆黒。
ジャクラム
「私は……まだ……生きているのか……?」
声を出すことすら苦しい。
肺は機能していない。
血液もまともに循環していない。
それなのに、死なない。
ジャクラム
「なぜ……まだ……」
その瞬間…
胸の奥で…。
ドクン…。
僅かな脈動が起こった。
かつて聖樹の下で口にした、あの果実。
その果実によって変質した生命基盤が、極限状態に陥った肉体を維持していた。
生命活動を単純に「維持」しているのではない。
まるで…
「死」という結果そのものを拒絶するように。
ジャクラム
「…………まだ……」
僅かに口元が動く。
ジャクラム
「まだ……死ねぬ……」
そして脳裏に浮かんだのは…、
一人の女性。
ジュネイ。
ジャクラム
「……ジュネイ……よ……」
トクン……
その鼓動だけが、暗黒の宇宙に刻まれ続けていた。
―遥か昔・モディアス王国―
時は遡る。
ジャスパとジュネイの間に二人の子供が生まれてから、五年。
王宮には、幼い兄妹の声が響いていた。
ジェイド。
そして、その妹…、ジゼル。
王国には穏やかな時間が流れていた。
しかし、その平穏は決して盤石なものではなかった。
周辺諸国による侵攻。
領土の略奪。
国境では、幾度となく戦火が上がっていた。
そして、その最前線に立っていた男がいる。
…ジャクラム。
―モディアス王国・国境付近―
ドォォォォンッ!!
轟音とともに土煙が舞う。
敵軍が押し寄せてくる。
兵士
「敵軍、正面から来ます!!」
近衛兵
「ジャクラム様! 数が多すぎます!」
ジャクラムは静かに剣を握った。
傷だらけの鎧。
血に染まった腕。
それでも、その瞳に迷いはない。
ジャクラム
「ならば…、」
剣を抜く。
ジャクラム
「私が先に道を開く」
兵士
「ジャクラム様ッ!?」
ジャクラムは、一人で敵陣へ駆け出した。
ズガァァァンッ!!
敵兵の攻撃が身体を直撃する。
普通ならば致命傷。
しかし…、
裂けた肉が、見る間に塞がっていく。
ジャクラム
「…………」
自分自身でも、その異常さに気付いていた。
ジャクラム
(まただ……)
敵兵を斬り伏せる。
肩を斬られる。
それでも、傷は消える。
痛みすら、ほとんどない。
ジャクラム
(確実に傷を負ったはず……)
(なのに……)
(私の身体は、一体どうなってしまったのだ……?)
だが…、
戦いが終わった直後。
ジャクラム
「……っ!」
膝が崩れた。
ドサッ…
兵士
「ジャクラム様!!」
兵士が駆け寄る。
ジャクラム
「……大丈夫だ」
兵士
「ですが、そのお身体では!!」
ジャクラム
「あとを……頼む……」
立ち上がろうとする。
しかし、身体が重い。
まるで全身から生命そのものを吸い取られたような、凄まじい疲労感だった。
ジャクラム
(傷は治る……)
(だが、その代償として……)
(私自身の生命力を消耗している……?)
この力は、祝福ではない。
少なくとも…
ジャクラムは、そう感じ始めていた。
―モディアス王国・王都―
帰還したジャクラムを、民衆が歓声で迎える。
王都の民
「ジャクラム様だ!」
王都の民
「戦神のジャクラムが帰ってきたぞ!」
王都の民
「我々を守ってくださった!」
兵士
「ジャクラム様のおかげで、民も安心して暮らせます!」
ジャクラムは、民衆を見つめる。
皆、笑っている。
安心している。
その光景は、本来ならば喜ばしいものだった。
だが…、
ジャクラムの胸には、一人の女性の姿が浮かんでいた。
ジュネイ…。
病に伏している彼女。
そして兄、ジャスパ。
ジャクラム
(私は……この国を守っている)
(だが……)
拳を握る。
ジャクラム
(目の前にいる、大切な者を守るのは……誰だ?)
―モディアス王国・宮殿廊下―
夜…
ジャクラムは壁に手をつきながら歩いていた。
一歩。
また一歩。
身体が重い。
その時…、
ジャスパ
「……ジャクラム!?」
ジャクラムが足を止める。
ジャスパ
「大丈夫か!」
ジャスパが駆け寄り、その肩を支えようとする。
しかし、
パシンッ!!
ジャクラムは、その手を払い除けた。
ジャスパ
「……ジャクラム?」
ジャクラム
「心配は……無用だ」
ジャスパ
「だが、その身体で…、」
ジャクラム
「兄上は……」
ジャクラムは振り返った。
ジャクラム
「人形の研究でもしていればいい……」
ジャスパ
「…………」
そう言い残し、ジャクラムは歩き去った。
その背中を、ジャスパは何も言わず見つめていた。
―モディアス王国・王宮書庫―
深夜…
灯りは一つ。
その下で、ジャクラムは古書を読み漁っていた。
「聖樹」
「古代生命」
「治癒」
「再生」
「生命力」
バサッ…
また一冊。
ジャクラム
「違う……」
さらに一冊。
ジャクラム
「これも……違う」
そして…
ジャクラム
「……あの果実について記された記録はないのか……!」
脳裏に蘇る。
聖樹の下に落ちていた、あの果実。
一口食べただけで、身体の奥から力が溢れた。
ジャクラム
「もし……あの果実が私の身体を変えたのなら……」
視線を落とす。
ジュネイの姿が浮かぶ。
ジャクラム
「……ジュネイを救えるかもしれない」
その日からだった。
ジャクラムが、人知れず聖樹を調べ始めたのは。
―翌朝・聖樹の森―
まだ王都が眠っている時間。
聖樹の周囲を、一人の男が歩いていた。
ジャクラムだった。
木の根元。
枝。
落ち葉。
土の中。
一つずつ確認していく。
ジャクラム
「……ない」
さらに奥へ進む。
ジャクラム
「今日も……ない…か」
聖樹を見上げる。
巨大な枝葉の隙間から、朝日が差し込んでいた。
ジャクラム
「……どこにある……?」
拳を握る。
ジャクラム
「もう一度……」
「もう一度だけ……」
その瞳には、戦場とは違う執念が宿っていた。
国を守るためでもない。
名誉のためでもない。
ただ一人…、
ジュネイを救うために…
―現在・モディアス王国 バトル・スクエア―
ピピッ……
戦場を覆う雷鳴の中、カイザーの解析音だけが響いた。
カイザー
『匠。追加解析結果が出た』
匠
「どうした?」
メテオールのD.L.S.モニターに、エルゼイレの立体構造が映し出される。
カイザー
『異常な反応を示しているのは、聖杯でも、母体となったディアヴロでもない』
匠
「……何?」
カイザー
『エルゼイレ内部に、機体構造とは異なる生命反応が存在する』
匠
「…………機体じゃない?」
カイザー
『……ああ』
一拍。
カイザー
『ジャクラムだ』
匠の瞳が見開かれる。
匠
「……!」
ジャクラムは、静かに笑った。
その身体に刻まれた生命の因子。
それこそが、禁断の果実によって変質した、
彼自身の生命基盤だった。
そして聖杯。
モディアス王国の人々が抱いた「想い」を力へ変換する器。
ジャクラムは、その二つを結び付けた。
果実が与えたのは、「死を拒む力」。
聖杯が与えたのは、「想いを現実へ変える器」。
ならば…、
通常の生命では耐えられないほど巨大な力を、誰が受け止めるのか。
答えは一つだった。
…ジャクラム自身。
禁断の果実によって異常な生命力を得た肉体。
その生命基盤そのものが、聖杯の力を受け止める「器」となった。
そして、蓄積された想いが限界を超えた時…、
「因果」へ干渉する力が生まれた。
カイザー
『つまり……因果改竄の成立条件は、二つ』
匠
「…………」
カイザー
『聖杯による“想いの力”』
『そして、それを受け止めるジャクラムの生命基盤』
匠
「……」
ジャクラム
「ふ……」
ジャクラムが大鎌を構える。
ジャクラム
「ようやく理解したか……創造主」
「我が力の根源を」
赤黒い瘴気が、エルゼイレから噴き出す。
ジャクラム
「我は、あの時死ななかった」
「そして、あの力を得たからこそ…!」
その背後で、聖杯が妖しく輝く。
ジャクラム
「この力に耐えられる存在となったのだ!」
匠
「…………」
ジャクラム
「だからこそ……我は書き換える!」
「ジュネイを失った、あの時代を!」
「兄上が選んだ道も!」
「この国が辿った運命も!」
「すべてだッ!!」
ゴォォォォォン!!
バトル・スクエア全体が震えた。
空間が歪む。
時間の流れさえ、一瞬だけ揺らいだように見える。
ジャクラム
「貴様を倒し、」
「あの頃の世界を、我の手で書き換えてやるッ!!」
匠は、双剣を握り直した。
蒼い光が、黄金の輝きを包み込む。
匠
「……だったら」
メテオールの双眸が輝く。
匠
「その“想い”ごと、俺が受け止めてやる!」
カチン…カチンッ!!
ジュィーーーーーーンッ!!
そして、双剣を再びライジング・ビットに納め構えるメテオール。
ジャクラム
「さぁっ!来るが良い!創造主ゅぅッ!!」
赤黒い瘴気と蒼き光が激突する。
その声には、狂気にも似た歓喜が混じっていた。
ジャクラム
「見せてやろう……」
「我が三百年にも及ぶ…、」
「最後の“想い”をッ!!」
ズゴォォォォォォン!!
世界そのものが歪んだ。
―つづく―




