第86話 聖杯に託された想い ―因果を改める力、その始まり―
第86話
聖杯に託された想い
―因果を改める力、その始まり―
遥か昔…
―モディアス王国・王宮の間―
重厚な扉が、ゆっくりと開いた。
ギィィィ……
その向こうから姿を現したのは、
まだ若き日のジャクラムだった。
「身体の具合は、どうだ?」
静かな声
部屋の奥には、大きな寝台が置かれている。
そこには一人の女性が、上半身を起こして窓の外を眺めていた。
元ドラグカガンダ王国王女。
そして、
モディアス王国国王ジャスパの妃、
ジュネイ王妃。
その傍らには、二人の赤子が眠っていた。
「しぃー……」
ジュネイは人差し指を唇に当てる。
「今、やっと寝かしつけたところです……」
「……あっ」
ジャクラムは慌てて声を落とした。
「す、すまん……」
「ふふ……」
しかし、その笑顔の直後。
「コホッ……コホッ……」
ジュネイが小さく咳き込んだ。
「……!」
ジャクラムの表情が曇る。
「やはり横になった方がいい。身体に障るぞ」
「大丈夫です」
ジュネイは微笑んだ。
「今日は日差しが心地よくて……こうしている方が楽なんです」
そして、
眠る二人の赤子を見つめる。
「それに……この子たちの寝顔も見ていられますから」
「…………」
ジャクラムは、その姿をしばらく見つめていた。
やがて眉をひそめる。
「……兄上は、また“人形”の研究か?」
声に苛立ちが混じった。
「妻が病に伏しているというのに……」
ジャクラムは拳を握る。
「国を守る“人形”の研究ばかり……!」
「ジャクラム……」
「大切な妻や、子供たちよりも……“人形”が大事なのかッ!!」
「ふぇ……ふぇぇ……」
「……!」
ジャクラムの怒声に、二人の赤子が目を覚ました。
「ふぇぇぇ……!」
「おーよしよし……」
ジュネイは慌てて二人を抱き上げる。
「大丈夫ですよ……怖くありませんからね……」
優しく背中を撫でる。
やがて赤子達の泣き声が、少しずつ静かになっていった。
ジュネイは二人を見つめながら、穏やかに口を開く。
「私は……ジャスパの研究によって、この王国が明るい未来へ進めると思っています」
「…………」
「だから、信じているんです」
ジュネイはジャクラムを見る。
「ジャスパも……そして、あなたも」
「……俺も?」
「ええ」
微笑むジュネイ。
「あなたは、とても優しい人ですから」
「…………」
ジャクラムは返す言葉を失った。
そして…、
「……すまなかった」
それだけを残し、部屋を出ていった。
バタン……
扉が閉じる。
廊下を歩きながら、ジャクラムは拳を握り締めた。
(人形に守られる王国が……明るい未来だと?)
(違う……)
(身近な者すら守れぬ国に……未来など築けるものか……!)
その瞳には、強い決意が宿っていた。
―モディアス王国・王宮書庫―
大量の古書を机の上に積み上げ、ジャクラムは一心不乱にページをめくっていた。
「必ずある……」
ページをめくる。
「ジュネイの病を治す方法が……」
また一冊
また一冊
しかし、
「……ない」
どれだけ探しても、答えは見つからない。
その時だった…
ふと、ジャクラムの脳裏に一つの記憶が蘇った。
聖樹。
その根元に落ちていた、見知らぬ果実。
「……あの果実」
ジャクラムは立ち上がった。
「そうだ……」
あの日、
あの果実を口にした瞬間。
全身を駆け巡った、異様な力。
「身体中の力が……湧き上がった!あの“果実”を口にすれば、ジュネイの病も…!」
しかし、
聖樹に関する資料を探しても、それらしい記録は見つからない。
「……なぜだ?」
ジャクラムは眉をひそめる。
「聖樹は……ドラグカガンダ王国から友好の証として献上されたはず」
「ならば……ジュネイなら何か知っているかもしれん」
ジャクラムは書庫を飛び出した。
―モディアス王国・王宮寝室―
夕刻
「だぁー……」
ジャスパは、一人の赤子を抱き上げていた。
「おーよしよし……」
「この子は、きっと私の後を継ぐ立派な男になるぞ」
その隣では、ジュネイがもう一人の赤子を抱いている。
「この子も……兄を支える優しい子になりますね」
「もちろんだ」
ジャスパが笑った。
コンコン…
その時、扉が叩かれる。
「入るぞ……」
「……?」
扉が開く。
現れたのはジャクラムだった。
「先程は……すまなかった」
ジャクラムはジュネイへ頭を下げた。
「どうした?」
ジャスパが尋ねる。
「何かあったのか?」
「……いや」
ジャクラムはジュネイを見る。
聞こうとした…
聖樹のことを…
あの果実のことを…
だが、
「…………」
何故か、口に出せなかった。
「邪魔をした…」
「……?」
ジャスパとジュネイが顔を見合わせる。
ジャクラムはそのまま部屋を出た。
バタン……
廊下に出たジャクラムは、足を止める。
「……聞けなかった」
拳を握る。
そして再び書庫へ向かった。
―モディアス王国・王宮書庫―
「何か……」
書架を隈なく探す。
「何かあるはずだ……!」
そして、
ジャクラムの指が、一冊の古びた書物で止まった。
背表紙には、僅かに文字が残っている。
【聖杯について】
「……聖杯?」
ジャクラムはそれを手に取った。
革製の表紙には無数の傷。
何十年、いや何百年も前から存在していたと思われる古書だった。
ページを開く。
そこには、
『聖杯とは、モディアス王国の人々が抱く“想い”を糧として力へ変換し、王国の平和を支えてきた古代の聖なる器である』
ジャクラムの目が見開かれる。
「……想いを……力に?」
さらに読み進める。
『蓄えられた想いが極限まで高まった時、聖杯は現実へ干渉する力を得る』
そして、
ジャクラムの指が止まった。
『因果そのものを書き換える力を…』
「…………」
静寂
ジャクラムは、ゆっくりとその一文を読み返す。
「因果を……書き換える……?」
その瞬間、
ジュネイの姿が脳裏に浮かんだ。
病に苦しむ女性。
未来を望む二人の赤子。
そして、
「……これなら」
ジャクラムの瞳が揺れる。
「ジュネイを……救えるのか?」
だが、
次の一文がジャクラムの表情を変えた。
『ただし、聖杯には“想い”の善悪を判断する力はない』
「……?」
ページをめくる…
『平和への願いも、憎悪も、復讐も――すべて等しく力へ変える』
『そし…、聖…も万能…で…な…。“想い”の大…によって使…た者は…』
最後の一文が掠れて読めなくなっていた。
「…………」
つまり、
聖杯そのものに意思はない。
何を願うのか。
何を望むのか。
その“想い”こそが、聖杯を動かす。
「ならば……」
ジャクラムは書物を握り締めた。
「この私が……」
「強く願えば……」
「世界そのものを……変えられる」
その瞬間、
ジャクラムの身体から、
淡い金色の光が漏れ始めた。
「……」
しかし本人は気付かない。
ただ、書物に記された可能性だけを見つめていた。
ジュネイを救える可能性。
王国を変えられる可能性。
そして、
自分が信じる“正しい未来”を作れる可能性。
「聖杯……」
ジャクラムは静かに呟いた。
「もし本当に、この力が存在するのなら……」
その瞳に、決意が宿る。
「俺は……」
「この力を使う」
―現在・モディアス王国 バトル・スクエア―
ギィィィンッ!!
蒼き双剣と赤黒き大鎌が激突する。
火花が夜空を裂いた。
匠とジャクラム。
二人が、真正面から睨み合う。
その瞬間、
ジャクラムの脳裏に、遠い日の記憶が蘇った。
病床のジュネイ。
そして、
聖杯に記された言葉。
(あの時……願った)
(大切な者を守れる力を…)
ジャクラムの口元が、僅かに歪む。
「……ふっ」
匠が構える。
「何がおかしい?」
ジャクラムは答えた。
「思えば……あの日から、すべては始まっていたのだ」
「……?」
エルゼイレの六枚の翼が、大きく開く。
赤黒い瘴気が渦巻く。
「聖杯が与えた力…因果改竄も…」
「この“肉体”も……」
「すべては、“想い”から生まれた」
匠は双剣を握り直す。
「だったら……」
蒼い粒子が爆発的に噴き上がる。
「その“想い”が誰かを傷つけるなら…、」
メテオール・リンクスが踏み込む。
「俺が止める!!」
ジャクラムも大鎌を構えた。
「ならば証明してみろ!!」
「どちらの“想い”が強いのかをッ!!」
ドォォォォォォンッ!!
蒼き流星と赤黒き神魔が、再び激突する。
“力”ではなく…
“想い”そのものを懸けた戦いが始まった。
―つづく―




