第80話 マグノリア ―最後の壁と魔女の条件―
第80話
マグノリア ―最後の壁と魔女の条件―
―モディアス王国・上空-
暗雲に覆われた天空。
雷鳴すら遠のいた戦場で、三機のネンドールが赤黒い蜘蛛の巣状のエネルギー網に囚われていた。
《エンプレス》
《ヴァルテリオン》
そして、
《シルヴィ》。
無数の糸は三機の装甲へ絡みつき、内部へ侵入するように蠢いている。
ギュイィィィィィィン……。
吸い上げられている。
機体に宿る闘気。
パイロットの精気。
生命そのものを…。
その中心で、六枚の光翼を広げた《エルゼイレ・ジャネス》が悠然と浮かんでいた。
ジャクラムは、歓喜に顔を歪ませる。
「勝った……!」
「我の勝利だぁぁぁぁッ!!」
その咆哮に呼応するように、赤黒い蜘蛛の巣が激しく脈打った。
「ギ……ッ……」
エンプレスの中。
アイザックは操縦席に身体を預け、力なく俯いている。
「……ぁ……」
「……ぁ……」
《翠桔梗》
五体の翠影を生み出すほどの膨大な念導力を、幾度も使用した。
そこへ、精気吸収。
もはや指一本動かすことさえ困難だった。
「アイザックゥッ!!」
アンジュの悲鳴が通信に響く。
しかし、返事はない。
「アイザック……!」
「お願い……返事してよ……!」
アンジュの目に涙が浮かぶ。
隣では、ルイスが必死に操縦桿を動かしていた。
「くっ……!」
「このっ……!」
ヴァルテリオンの装甲が赤黒い網へ食い込む。
ガギギギギギ……!!
「くそぉぉぉッ!!」
「ヴァルガレオンの爪だったら……こんなもの……!」
力を込めれば込めるほど、網はルイスの精気を吸い上げていく。
「ぐ……あ……ッ!」
「ルイス!」
アンジュが叫ぶ。
そして、
「やめて……」
「お願い……」
アンジュは、モニター越しに弱っていく二人を見つめた。
涙が頬を伝う。
「もう……やめてよ……」
その時だった…
『ふふっ…』
どこからともなく…
いや、
アンジュの頭の中から、妖艶な女の声が響いた。
『なかなか……ピンチのようねぇ♡』
「……ッ!?」
アンジュの瞳が見開かれる。
「その声……」
「まさか……あの戦争の時の……?」
『う~ん♡』
『少しだけなら、助けてあげてもいいんだけどぉ……』
『条件があるのよねぇ♡』
アンジュは唇を噛んだ。
「……何よ⁉️」
『私の…』
『“娘”になりなさい♡』
「…………え?」
時間が止まったようだった。
『ただし……その条件を飲めば、あなたは今いる場所には戻れなくなるわ♡』
『今度は、』
『大切な仲間たちの“敵”になるのだから♡』
「……ッ!!」
アンジュの身体が震える。
視線の先には、力なく沈黙するアイザック。
そして、必死に抗い続けるルイス。
『さあ……どうする?』
『このまま仲良く三人とも、あいつに精気を貪り取られる?』
『それとも…』
『私の娘になって、彼らの敵になる?』
「…………」
アンジュは静かに目を閉じた。
そして、
「そう……」
涙を拭う。
「そうだったのね……」
「あなたが……」
「私に“呪印”を刻んで、利用していたのは……!」
『ふふっ♡』
「祠の封印を解かせたのも……」
「ジンクスの機体に細工させたのも……!」
『そうよ♡』
アンジュの拳が震える。
「何のために……!」
『決まっているでしょう…』
一拍。
そして女は、楽しそうに笑った。
『“禁断の果実”を…』
『手に入れる・たぁ・めっ♡』
「……禁断の……果実……?」
『さぁ、どうするの?』
『時間がないわよ♡』
『ほら……』
『仲間たちが、どんどん弱っていく……♡』
アンジュは二人を見る。
アイザックは動かない。
ルイスも、もはや満足に機体を動かせていない。
そして…、
アンジュは決断した。
「……条件を飲むわ…」
『……ふふ♡』
「私が貴女の“娘”になればいいんでしょう……?」
『そうこなくっちゃ♡』
「だから……!」
アンジュは顔を上げる。
「二人を助けて……!」
『いいわ♡』
『それじゃあ――』
女の声が脳裏に木霊する。
『『『マグノリア…♡』』』
…瞬間、
「ぐ……ッ!!」
アンジュの身体が大きく仰け反った。
「ぐあぁぁぁぁぁぁッ!!」
「アンジュさん!?」
ルイスが叫ぶ。
「アンジュさん!!大丈夫ですか!?」
「う……ぐ……!」
頭を抱え、苦しみ悶える。
「ル……イス……」
「いい……?」
「私が……呪縛を解く……」
「アイザックを連れて……逃げて……」
「……ッ!」
ルイスの表情が歪む。
「何を言ってるんですか!」
「貴女を置いて行けるわけないでしょうッ!!」
「お願い……!」
アンジュの声が震える。
「私は……、」
「アンジュ・ラストウォール……」
一瞬、
苦痛に歪んでいた顔に、決意が宿った。
「…最後の壁になっても……」
「あなた達を……必ず守ってみせる……!」
「う……ぁぁぁぁぁぁッ!!」
その時、
「……アン……ジュ……」
掠れた声。
アイザックだった。
「……だ……め……だ……」
「…ぃ、…行かないで……くれ……」
エンプレスの操縦席。
力の入らない手が、宙へ伸びる。
「……アイザック……」
アンジュの瞳が揺れる。
その瞬間、
「うぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
ドクンッ!!…
……。
シュオォーーーーッ!!
シルヴィの周囲で、紅いオーラが爆発した。
いや、
違う…。
紅ではない。
紫。
濃紫色の禍々しいオーラが、シルヴィの全身を包み込む。
「……ッ!?」
ルイスが息を呑む。
ギチ……。
ギチギチ……。
三機を拘束していた赤黒い網が、紫のオーラに触れた瞬間、
シュゥゥゥ……。
まるで拒絶するように、ゆっくりとほどけ始めた。
「な、何をした……?」
ジャクラムの顔から、初めて笑みが消えた。
「……何っ!?」
そして、
バシュッ!!
シルヴィの身体を覆っていたエネルギー網が弾け飛ぶ。
紫の光が天空を染める。
「アンジュ……さん……?」
ルイスは言葉を失った。
モニターに映っていたのは、
確かにアンジュだった。
しかし、
…違う。
長く纏めていた髪はほどけ、
風に靡いている。
その髪色は――薄紫。
瞳は濃紫。
そして、その口元には、
妖艶な微笑。
『……ふぅ~っ♡』
アンジュがゆっくりと息を吐いた。
『久し振りねぇ……』
その声は、
アンジュではなかった。
『こうやって地上に降り立つのは……』
『貴方にハメられて以来かしらぁ♡』
ジャクラムの顔が強張る。
「まさか……⁉️」
紫の女は、クスリと笑った。
「貴様ぁ……!」
ジャクラムの怒気が膨れ上る。
しかし、
『ふふっ♡』
女は意に介さない。
そして、ルイスへ視線を向ける。
『さぁ、そこの坊や♡』
「……え?」
『武漢を連れてお逃げなさい』
『あなた達には、まだまだ“働いて”もらわなくちゃいけないんだから♡』
「で、でも……!」
『あら~?』
紫の瞳が細くなる。
『動けないの?』
「……ッ!」
ルイスは、自分の身体を確認する。
確かに精気を大量に吸われた。
満足に動ける状態ではない。
『仕方ないわねぇ……』
『なら、私が時間を稼いであげる♡』
『その間に…、』
『二人とも、そこで休んでなさい♡』
「……アンジュさん……?」
ルイスが呟く。
だが、返事はない。
代わりに、
アンジュから、とてつもない殺気が放たれた。
「……ッ!!」
ルイスの本能が警告する。
『うふ♡』
紫の女が笑う。
『いい子ね♡』
「……!」
ルイスは歯を食いしばった。
「アンジュさん……」
「必ず……”戻ってきて”ください……!」
そして、
ヴァルガレオンはエンプレスを庇いながら、その場に
伏せるしか無かった。
「アイザックさん!」
「……」
返事はない。
「くっ……!」
ルイスは振り返る。
そこには、
シルヴィがいた。
紫のオーラを全身から噴き上げながら、
その手には双剣。
そして、
バシュッ!!
双剣から紫のエネルギーが伸びる。
一本。
二本。
それは次第に細長い鞭へと変化した。
バシィィィンッ!!
紫の鞭が空間を打ち鳴らす。
バシィィィンッ!!
大気が震える。
ジャクラムの目が細くなる。
「そうか…」
「その娘が“呪印の子”か…」
紫の女は、ゆっくりと首を傾げる。
『そうよ♡』
『今の私は、』
『この娘の体を借り、裏切った“お前”に復讐する者…』
「……ッ!!」
ジャクラムの表情が歪む。
紫の女は、双剣を構え直す。
その姿は、美しく…
妖艶で…
そして、
恐ろしい。
『さぁ……』
紫の鞭が大地を叩く。
バシィィィンッ!!
『始めましょうか♡』
『貴方にハメられた分…、』
『たぁっぷり、お仕置きをしてあげる♡』
「良かろう……!」
ジャクラムが大鎌を構える。
赤黒い瘴気が爆発的に膨れ上がる。
「ならば、」
「貴様を再び、冥府の底へ送り返してやるッ!!」
六枚の光翼が開く。
紫と赤黒。
二つの異質な力が天空で対峙する。
ゴロゴロゴロゴロ……
雷鳴が轟く。
一瞬の静寂。
そして、
「来なさい♡」
「死ねぇぇぇぇッ!!」
ドォォォォォォォォン!!
二つの影が同時に消えた。
紫の鞭が唸る。
大鎌が閃く。
その瞬間、
《シルヴィ》と《エルゼイレ》
二体の異形が、激突した。
モディアス王国の天空を覆う暗雲が、
紫色に染まり始めていた。
-つづく-




