第74話 禁断の果実 ―六枚の光翼と書き換えられた勝機―
第74話
禁断の果実
―六枚の光翼と書き換えられた勝機―
時は、遥か昔…
―モディアス王国・聖樹の畔-
朝靄が湖面を優しく包み込み、黄金色の朝日が聖樹の大枝を照らしていた。
澄み切った風が草原を渡り、小鳥たちの囀りが静かな朝を彩る。
そんな穏やかな景色の中を、二頭の馬がゆっくりと歩いていた。
騎乗するのは、モディアス王国第一王子――ジャスパ・ハーティス。
そして、その弟――ジャクラム・ハーティス。
二人は兄弟であり、剣を競い、国を語り合い、誰よりも互いを理解してきた存在だった。
ジャクラムが静かに口を開く。
「……いよいよ明日だな。」
「ドラグカガンダ王国の王女との婚姻。」
ジャスパは柔らかく微笑む。
「ああ…」
「これで両国は真の同盟国となる。」
「民も安心して暮らせる国になるはずだ。」
その横顔には王となる者の器があった。
ジャクラムは静かに頷く。
「兄上なら必ず良い王になる。」
ジャスパはふっと笑う。
「…ありがとう」
突然の礼にジャクラムは目を丸くした。
「どうした⁉️」
「急に…?」
ジャスパは遠く聖樹を見上げる。
「ここまで来られたのは、お前が支えてくれたからだ。」
「父上から王位を託された時も、お前は一度も私を妬まなかった。」
「本当に感謝している。」
ジャクラムは視線を逸らした。
「……当然だ。」
「王に相応しいのは兄上だ。」
そう口では答えた。
しかし胸の奥では別の感情が静かに渦巻いていた。
(違う……。)
(本当にそうなのか。)
ジャスパは優しく微笑む。
「これからも私を支えてくれ。」
「この国のために…」
ジャクラムも笑顔を作る。
「…ああ」
「もちろんだ…」
しかし、その笑顔はどこかぎこちなかった。
そして、
ジャスパは城へ続く道に馬首を返した。
「私は先に戻る。」
「明日は忙しくなるからな。」
ジャクラムは頷いた。
「俺はもう少しここにいる。」
「そうか…」
「また後でな…」
「……ああ」
ジャスパは城へ向かって駆けていく。
その背中を見送ったジャクラムは、やがて一人、聖樹の畔へ視線を落とした。
静寂が訪れる。
そして心の奥底に押し込めていた感情が、ゆっくりと顔を出した。
(父上は兄上を選んだ。)
(王位も。)
(民も。)
(そして……。)
脳裏に一人の女性が浮かぶ。
ドラグカガンダ王国第一王女――ジュネイ。
初めて出会った時から恋心を抱いていた女性。
しかし彼女が選んだのは、自分ではなく兄だった。
(私は……。)
(何一つ選ばれなかった。)
拳が震える。
朝焼けの温かな光とは対照的に、心は冷え切っていた。
その時だった。
聖樹の根元で何かが朝日に反射し、黄金色に輝いた。
「……?」
ジャクラムはゆっくり歩み寄る。
草の上に落ちていたのは、一つの果実だった。
黄金に輝く果皮。
宝石のような透明感。
そして周囲へ漂う甘く芳醇な香り。
見ているだけで心が満たされていく。
「何だ……これは。」
思わず手を伸ばす。
その瞬間だった。
美しく輝き、妖艶な甘い香りに心を奪われていた。
黄金の果実は、まるで鼓動するように淡く脈打っている。
「これは……。」
理性が止めようとする。
だが身体は動かなかった。
まるで果実そのものに呼ばれているかのように。
ゆっくりと口元へ運ぶ。
そして一口。
シャクリ――。
「……!」
次の瞬間。
濃厚な甘味が全身を駆け抜けた。
「美味い……。」
理性が崩れる。
二口。
三口。
気付けば夢中で果実を貪っていた。
最後の一欠片まで食べ尽くした瞬間――
ドクン……
心臓が大きく脈打つ。
全身の血液が沸騰するような熱。
膨大な力が身体の奥底から溢れ出してくる。
「これは……!」
「力が……!」
「身体中から漲ってくる!!」
ジャクラムは両手を広げ、その場へ倒れ込む。
青空を見上げながら高らかに笑った。
「はは……。」
「ハハハハハ……!」
「ワァーーッハッハッハッハッ!!」
その笑い声は、どこか人間のものではなかった。
聖樹の枝葉がざわめき、朝風が不吉な音を運ぶ。
その日。
誰にも知られることなく、一人の王子の運命は大きく歪み始めた。
そして現在、
―モディアス王国・上空-
漆黒の瘴気が渦巻く天空。
雷鳴が轟く戦場で、エンプレスとシルヴィは静かに立っていた。
アイザックとアンジュは瞳を閉じ、互いの念導波を重ね合わせる。
翠と紅のオーラが共鳴し、やがて黄金色の光へと変わっていく。
二機は背中合わせとなり、静かに構えを取った。
――龍虎の構え。
それは龍の剛と虎の迅を融合させた、武漢の奥義。
その姿を見つめるジャクラムは、不敵な笑みを浮かべる。
「面白い……。」
「ならば、その覇気ごと喰らい尽くしてくれよう。」
後方ではヴァルガレオンが低く唸り声を上げる。
ルイスは操縦桿を強く握り締めた。
(…五秒。)
(その一瞬で決める……!)
アイザックが静かに目を開く。
「行くぞ。」
アンジュが力強く頷いた。
「合わせる!」
二機は同時に加速し、翠と紅の閃光となってエルゼイレへ飛び込んだ。
翠と紅の光が交差し、二機は螺旋を描きながらエルゼイレへ肉薄した。
龍節棍が唸る。
双剣が閃く。
ガガガガガガガガガッ!!
轟音と火花が嵐のように天空へ広がる。
エルゼイレは六本の触手と巨大な大鎌を自在に操り、嵐のような連撃を一つ残らず受け止めていく。
「ふふ……。」
ジャクラムは口元を歪めた。
「素晴らしい……。」
「これほど息の合った連携とは。」
「実に美しい…」
その声音には嘲笑ではなく、心からの歓喜が滲んでいた。
強者との戦いを愉しむように…。
魂の味を想像するように…。
しかし、その一瞬だった。
アイザックの瞳が鋭く光る。
「アンジュ!!」
「今だ!!」
「いくよっ!!」
二機は互いを蹴るように急上昇すると、エルゼイレを挟み込むように上下へ展開した。
翠と紅の念導力が共鳴し、巨大な黄金の魔法陣が天空へ描かれる。
「龍虎縛鎖封陣!!」
ゴォォォォォォッ!!
無数の黄金の光鎖が空間そのものを縫い止めるように走る。
ガシィィィン!!
エルゼイレの四肢。
六本の触手。
巨大な大鎌。
すべてが黄金の拘束鎖に絡め取られた。
初めて――
エルゼイレの動きが止まる。
ジャクラムの瞳が僅かに細められた。
「……ほう。」
アイザックが叫ぶ。
「今だッ!!」
「ルイス君!!」
その声を待っていた。
「ガアアアアアァァッ!!」
ヴァルガレオンが雄叫びを上げる。
蒼銀の鬣が目映い雷光を帯び、獅子王の牙が咆哮する。
ルイスは操縦桿を強く握り締めた。
脳裏に浮かぶのは、
燃え落ちる祖国。
仲間たちの亡骸。
そして最後に見た父バルガスの笑顔。
(父上……。)
(今、仇を討ちます。)
ヴァルガレオンは一直線に加速する。
黄金の爪が神々しく輝く。
あと五十メートル。
三十。
二十。
十――。
誰もが勝利を確信した、その瞬間だった。
ドクンッ❗❗
エルゼイレの胸に刻まれた黄金の聖杯が、不気味な鼓動を響かせる。
ドクン……。
ドクン……。
ジャクラムが静かに笑った。
「なるほど……。」
「この程度か。」
アイザックの表情が凍り付く。
「まさか……!!」
拘束は成功している。
それなのに。
エルゼイレを包む瘴気だけが、生き物のように脈動を始めた。
「何だ……これは!?」
アンジュが叫ぶ。
拘束術式の外側から、赤黒い瘴気が幾重にも重なり始める。
まるで巨大な繭が形成されるかのように。
アイザックは息を呑んだ。
「違う……!」
「拘束が破られるんじゃない!」
「術式そのものが――」
「書き換えられている!!」
ジャクラムは静かに目を閉じた。
「聖杯とは……。」
「想いを糧に“喰らう”だけの器ではない。」
「世界の理そのものを書き換える器…」
「ならば我は…」
「この世界の法則を塗り替える。」
バキィィィィィン!!
黄金の拘束陣を包んだ赤黒い繭に亀裂が走る。
一筋。
二筋。
そして無数に広がる。
「しまった!!」
ルイスが叫ぶ。
しかし、もう止められない。
拘束陣は砕け散り、赤黒い粒子となって天空へ消えた。
その瞬間――
六本の触手が光へ還元される。
赤黒い瘴気を纏いながら、一枚、また一枚と姿を変えていく。
純白の翼。
だが、その羽根の一枚一枚には禍々しい赤黒い紋様が刻まれ、神聖さと邪悪さが同居していた。
やがて――
六枚の光翼が静かに広がる。
ゴォォォォォォォォッ!!
翼が羽ばたいた瞬間、天地が震えた。
空気が裂ける。
黒雲が渦を巻く。
王都全体が、その威圧に震え上がる。
「美しい……」
アンジュが思わず呟く。
「でも……なんて禍々しいの……」
ジャクラムは歓喜に満ちた笑みを浮かべた。
「これが……。」
「神すら超えた姿。」
「《エルゼイレ・ジャネス》の完全体だ。」
六枚の光翼が一斉に輝く。
轟ッ!!
凄まじい衝撃波が放たれた。
「ぐああああぁぁっ!!」
ヴァルガレオンは目前で吹き飛ばされる。
あと一歩。
あと数センチで届くはずだった黄金の爪は、虚空を切った。
ルイスは必死に機体を立て直す。
「くっ……!」
「届かなかった……!」
アイザックは歯を食いしばる。
「拘束術式そのものを書き換えるとは……。」
「これでは、常識が通用しない……。」
ジャクラムは三機を見下ろし、静かに笑う。
「惜しかった。」
「実に惜しかったぞ。」
「あと一歩だったな。」
その言葉には嘲笑ではなく、本心からの賛辞が込められていた。
だからこそ残酷だった。
「さあ…」
「次は、」
「我の番だ…」
エルゼイレの六枚の光翼がゆっくりと広がる。
それに呼応するように、天空を覆う瘴気がさらに濃さを増し、赤黒い雷が世界を引き裂いた。
――つづく。




