第52話 契約 ― 奈落へ堕ちた“兄弟” ―
第52話
契約 ― 奈落へ堕ちた“兄弟” ―
――遥か宙域・巨大戦艦《黒帝》整備ドック――
赤黒い照明が、無機質な鋼鉄の壁を不気味に照らしていた。
空気は熱い。
だが、その熱は“生命”のものではない。
魔道の光。
蒸気。
駆動音。
まるで巨大な怪物の臓腑の中にいるようだった。
その中心に――
三体のネンドールが並び立っている。
《ヴァジェラ》
《ゲネル》
《マデュエリ》
どれも常識外れの威圧感を放つ異形。
その機体の最終調整を行っている男がいた。
ガガ。
無数のモニターを睨みながら、淡々と調整を続ける。
その背後から、足音が近づいた。
「……兄貴」
低い声。
振り返らずとも分かる。
ギギ――
ガガは、手を止めなかった。
静かな声。
「犾、次の戦闘で、俺達の状況は一変する」
整備アームが火花を散らす。
「モディアス王国……そして“創造主”」
低く呟く。
「あれが最後の壁になるだろう」
ギギは、黙って聞いていた。
ガガは、ようやく振り返る。
その目には、かつての“兄”の面影がまだ残っていた。
「お前はプロゲーマーだ…」
ギギの目が僅かに揺れる。
「チーム戦は得意だろ」
「……」
「次の戦い、陣頭指揮はお前が取れ」
静かな命令。
だが、その声には確かな信頼があった。
「頼むぞ」
短い沈黙。
そして――
ギギは、小さく笑った。
「ああ……分かったよ」
かつての呼び名を、口にする。
「嶽兄ぃ」
その言葉に、ガガはほんの僅かだけ目を細めた。
ガガは、巨大な《ヴァジェラ》を見上げる。
「そして――」
目の奥に、黒い執念が灯る。
「“聖杯”を手に入れて……」
拳を握る。
「世界を書き換える」
――その言葉を境に。
意識は、過去へ沈んでいく。
◇ ◇ ◇
――現代日本・半年前――
夜の山道を、一台の黒い高級スポーツカーが滑るように走っていた。
街灯は少ない。
あるのは、ヘッドライトが切り裂く細い道路と、深い闇だけ。
車内には、低く流れるエンジン音。
そして――
「犾、もうすぐ卒業だったな」
運転席の男が、前を見たまま口を開いた。
「進路は決めてるのか?」
助手席。
そこには、足を投げ出すように座り、小型ゲーム機を操作する少年がいた。
金髪の無造作な髪。
鋭い目付き。
落ち着きのない指。
石動 犾。
高校三年生。
だが、その名は既にゲーム業界では知られていた。
国内大会優勝。
世界ランカー。
天才プロゲーマー。
――ただし。
「はぁ?」
画面から目も離さず、犾は鼻を鳴らす。
「卒業してからもプロでやるに決まってんじゃん」
カチカチと高速でボタンを叩く。
「つーか、“嶽兄ぃ”の会社がスポンサーになってくれりゃ一番助かるんだけどなぁ」
次の瞬間。
「……あ゛ーーッ!!」
ゲーム機を叩きそうな勢いで叫んだ。
「クソッ!なんだコイツ!っんと使えねぇ!!」
舌打ち。
「こんなんだから負けんだよ……マジでチームから外してぇ……」
運転席の男――石動 嶽は、小さく息を吐いた。
「先の見えないものに投資する趣味はない」
低く、冷たい声。
犾が不満げに眉を吊り上げる。
「はぁ!? 今度の世界大会で優勝したら手のひら返すなよっ!」
「……言ってろ」
咢は、僅かに笑った。
だが、その笑みはどこか疲れていた。
石動 嶽。
父親から引き継いだ倒産寸前の企業を、たった数年で立て直した男。
強引な買収。
冷酷な人事。
利益最優先。
その苛烈さから、“氷血の帝王”とも呼ばれていた。
だが。
その裏には――
常人では耐えられないほどの重圧と責任があった。
プルルルル……
その時。
車内に、スマートフォンの着信音が響く。
嶽の眉が動いた。
「……誰だ」
ディスプレイを見る。
会社からだった。
舌打ちしながら通話ボタンを押す。
「どうした。今日は誰とも繋ぐなと言ったはずだが」
『も、申し訳ありません社長……!』
電話越しの声は、明らかに動揺していた。
『緊急事案でして……』
「……話せ」
『ITS社買収の件ですが……白紙になりました』
――沈黙。
空気が凍る。
「……は?」
嶽の声が低くなる。
「何を言っている」
『そ、それが――』
電話の向こうがざわつく。
そして。
別の声が割って入った。
『……私だよ、石動社長』
嶽の目が見開かれる。
「……副社長?」
『買収は、こちらで止めた』
淡々とした声。
感情がない。
『それと――次回株主総会で、君の社長解任案が可決される予定だ』
犾の指が止まる。
車内の空気が、一瞬で変わった。
「……ふざけるな」
嶽の声が震える。
「誰のおかげで会社がここまで立ち直ったと思っている……!」
『君はやり過ぎたんだよ』
冷たい返答。
『無慈悲な“やり方”では、人はついて来ない』
「……っ!」
『もう君の居場所は無いと思ってくれ。』
ブツッ――
通話が切れる。
車内に、沈黙だけが残った。
「…………」
嶽は、何も言わなかった。
だが。
握り締めたハンドルが、ギシリと音を立てる。
血が滲むほど強く。
「……ふざけるな……!」
低く漏れる声。
「ここまで……どれだけ犠牲にして来たと思ってる……!
」
呼吸が荒い。
「俺が全部背負ったんだぞ……!」
犾が、初めて兄を見る。
そこにいたのは。
いつもの冷徹な兄ではなかった。
追い詰められた、一人の男。
その時だった。
前方。
闇の中に――
突如、巨大な“光”が現れた。
「――っ!?」
パァァァァァァァァッン!!
耳をつんざくクラクションの音。
視界を焼く閃光。
犾が叫ぶ。
「兄貴ッ!! 前ぇ!!」
嶽は反射的にハンドルを切った。
だが。
切りすぎた。
ガシャァァァァン!!
ガードレールを突き破る。
浮遊感。
そして――
車体が、崖下へ落ちていく。
世界が回転する。
犾の叫び。
金属の軋み。
砕けるガラス。
そして。
闇。
――――――
冷たい。
最初に感じたのは、それだった。
嶽は、ゆっくり目を開ける。
「……ここは……」
知らない場所だった。
赤黒い鋼鉄の巨大空間。
異様に冷えた空気。
鼻を刺す鉄と血の匂い。
身体を起こそうとした瞬間、激痛が走る。
「……ッ!」
だが。
動く。
「犾……!」
隣を見る。
そこには、倒れた弟の姿。
「おい!! 起きろ!!」
肩を掴む。
すると。
「……ん……」
犾が、ゆっくり目を開けた。
「……痛ってぇ……」
生きている。
嶽が安堵しかけた、その時だった。
――ゾクリ。
背後から、異様な気配。
咢は振り向く。
そこにいたのは。
杖を持つ、フード姿の老婆。
その奥。
巨大な玉座。
そして――
そこに座る、一人の男。
漆黒の外套。
鋭すぎる眼光。
王のように。
いや。
“支配者”のように。
男は、二人を見下ろしていた。
圧倒的な威圧感。
呼吸すら重い。
犾が、息を呑む。
「……なんだよ……こいつ……」
男が、ゆっくり口を開いた。
「――よく来た」
低く響く声。
空間そのものが震える。
「お前達の力を借りたい」
嶽が睨み返す。
「……誰だ」
男は、僅かに笑った。
「我が名は――ジャカランダ…」
その瞬間。
空気が、黒く染まった。
「我に忠誠を誓え」
玉座の奥。
無数の赤い光が灯る。
まるで、怪物達の眼。
「さすれば――」
ジャカランダの瞳が、妖しく輝く。
「お前達の“望み”を叶えてやろう」
沈黙。
その言葉が。
まるで悪魔の囁きのように、兄弟の胸へ染み込んでいく。
嶽の脳裏に浮かぶ。
裏切った会社。
奪われた地位。
積み上げた全て。
犾の脳裏に浮かぶ。
見下した連中。
認めない世界。
誰も理解しない才能。
そして。
ジャカランダは、静かに笑った。
まるで――
最初から全てを見透かしていたかのように。
――つづく――




