第5話「すれ違いの休日」
土曜日、朝8時。
アラームは、鳴らなかった。
久しぶりに“設定していない朝”。
それだけで、少しだけ世界が柔らかく感じる。
「……ん……」
真希は、ゆっくりと目を開けた。
カーテンの隙間から差し込む光。
平日の慌ただしさとは違う、静かな空気。
——今日は、休みだ。
その事実が、体にじんわりと染みていく。
隣を見ると、悠真もまだ眠っていた。
規則正しい寝息。
こんな風に、同じ時間にゆっくり寝ているのは、いつぶりだろう。
——今日は、ちゃんと“家族の時間”にしよう。
そう思った。
思った、はずだった。
⸻
「ママぁー!!」
静寂は、長くは続かない。
リビングの方から、元気すぎる声が響いた。
「……起きたね」
真希は苦笑する。
時計を見ると、8時12分。
平日と比べれば遅い。
でも、子どもにとっては十分“朝”だ。
「きょうどこいくの!?」
勢いよくドアが開く。
結翔が飛び込んできた。
「えっとね……今日はお買い物行って——」
「やったー!!」
最後まで聞く前に、テンションが上がる。
「パパもいく!?」
「行くよ」
後ろから、悠真の声。
いつの間にか起きていたらしい。
「みんなでいくの!?」
「うん、みんなで」
その言葉に、結翔は満面の笑みを浮かべた。
——こういう時間を、ちゃんと作りたかった。
真希は、そう思った。
⸻
10時半。
出発直前。
「……あれ、熱くない?」
真希の手が、双子の一人の額に触れる。
違和感。
ほんの少しの、でも確かな“熱”。
「ちょっと待って……体温計……」
測る。
数秒が、やけに長く感じる。
——ピピッ。
「……38.1……」
「……出たな」
悠真が小さく呟く。
さっきまでの空気が、一瞬で変わる。
「どうする?」
「……今日は、外出は無理だな」
即答だった。
それが正しいと分かっているからこそ、誰も否定できない。
「……そっか……」
結翔が、ぽつりと呟く。
その声が、やけに小さく感じた。
「……ごめんね、今日はおうちにいよう」
真希が優しく言う。
「……うん……」
頷く。
でも、その顔は明らかにしょんぼりしていた。
楽しみにしていたのが、伝わってくる。
その表情に、胸が少し痛む。
⸻
12時過ぎ。
家の中は、静かだった。
熱を出した双子は眠っている。
もう一人も、それにつられるように大人しい。
結翔は、リビングでひとり遊びをしていた。
テレビもつけずに。
時々、ちらっとこちらを見る。
でも、何も言わない。
——気を遣ってる。
その事実が、余計に苦しい。
「……結翔」
「ん?」
「あとで、何かしようか」
「……うん」
短い返事。
でも、その“あとで”が来ないことを、どこかで分かっている顔だった。
⸻
14時。
ようやく双子の熱が少し落ち着いた頃。
真希のスマホが鳴る。
「……え」
画面を見る。
職場からの着信。
「……どうした?」
悠真が聞く。
「……トラブル……みたい」
嫌な予感がする。
電話に出る。
「はい……はい……え、それ今日中ですか……?」
表情が、どんどん曇っていく。
数分後。
「……ごめん」
通話を終えて、真希が言う。
「ちょっとだけ、仕事しないと……」
「……今から?」
「うん……急ぎみたいで……」
断れない内容だと、声で分かる。
悠真は少しだけ目を閉じて、考える。
そして——
「分かった。こっちは俺が見る」
「……ごめん、本当に」
「いいって。仕方ないだろ」
そう言うが、その声にはわずかな疲れが混ざっていた。
⸻
リビングの端。
ノートパソコンを開く真希。
キーボードを打つ音だけが響く。
そのすぐ横で、結翔が座っている。
何か言いたそうにしている。
でも、言えない。
「……ママ」
「ごめん、今ちょっとだけ……」
顔を上げずに返す。
「……うん」
その一言で、会話は終わる。
“今じゃない”という空気が、はっきりと伝わる。
⸻
夕方。
悠真はキッチンに立っていた。
簡単な夕食を作りながら、ふとリビングを見る。
真希はまだパソコンの前。
結翔は、その少し離れた場所で、静かに絵を描いている。
同じ空間にいる。
でも、誰も交わっていない。
「……一緒にいるのに……」
小さく呟く。
その言葉の続きを、自分でも言えなかった。
⸻
夜。
子どもたちを寝かしつけたあと。
ようやく、真希はパソコンを閉じた。
「……終わった……」
力が抜ける。
時計は、21時半を回っていた。
振り返ると、悠真がソファに座っている。
「……ごめん」
自然と、その言葉が出る。
「……大変だったな」
それだけ返す。
責めるでもなく、慰めるでもなく。
でも、その“何も言わない”が、逆に距離を感じさせる。
「……今日さ」
真希が言いかける。
でも、続かない。
何をどう言えばいいのか、分からない。
楽しいはずだった休日。
でも実際は、ほとんど会話もなく、
それぞれが別のことに追われて終わった。
「……結翔、ずっと我慢してたよな」
悠真がぽつりと呟く。
「……うん……」
「“あとで”って言ってたけど、結局何もできなかったし」
その言葉が、静かに刺さる。
「……ごめん」
また、謝る。
「……責めてるわけじゃない」
悠真は首を横に振る。
「俺も同じだし」
キッチンに立って、双子を見て、
結翔にちゃんと向き合えていたかと言われれば——
自信はなかった。
沈黙。
少しだけ、空気が冷える。
大きな喧嘩じゃない。
でも、小さなズレが、確実にそこにある。
⸻
同じ家にいて、同じ時間を過ごしているのに。
心は、少しずつ別の方向を向いている。
⸻
「……明日は」
真希が、小さく言う。
「ちゃんと、みんなで過ごしたい」
その言葉に、悠真は少しだけ間を置いてから頷いた。
「……だな」
⸻
壊れたわけじゃない。
でも、うまく繋がらなかった一日。
それが、何よりももどかしかった。
⸻
“家族で過ごす”ということは、
ただ同じ場所にいることじゃない。
同じ時間を、同じ気持ちで過ごすこと。
それがどれだけ難しいかを、
この一日は、静かに教えていた。
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