第8話「帰宅と報告」
夜が完全に落ちたあと。
家の中から、子どもたちの気配がゆっくりと消えていく。
結翔の寝息。
陽葵と悠翔が同じリズムで寝返りを打つ小さな音。
それらが重なって、ようやく“静けさ”が完成する。
真希はそっとドアを閉めた。
鍵の音が、やけに小さく感じる夜だった。
⸻
リビングに戻ると、悠真はソファに座っていた。
ネクタイは外され、シャツの第一ボタンも開いている。
仕事の顔ではない。
完全に“家の顔”だった。
「寝た?」
悠真が小さく聞く。
真希は頷く。
「うん、今日は早かった」
そして少しだけ間を置いて、真希は隣に座った。
⸻
しばらく、何も言わない時間が流れる。
テレビはついていない。
音は時計の針だけ。
その静けさの中で、真希は小さく息を吐いた。
「今日さ」
「うん」
「ちょっとだけ、変な一日だった」
悠真は軽く笑う。
「二つの飲み会のやつ?」
「うん」
真希は少しだけ目を細める。
「見られてたね」
「見られてたな」
短い返事。
でも、それで十分だった。
⸻
真希は少しだけ体を寄せる。
肩が触れる距離。
それだけで、外の緊張が少しずつほどけていく。
悠真がぽつりと言う。
「最近さ」
「うん?」
「会社と家の境目、ちょっと曖昧になってきてる気がする」
真希は少しだけ黙る。
そして静かに答える。
「それ、悪いこと?」
悠真は首を振る。
「分からない。でも……悪くはない」
その言葉に、真希は小さく笑った。
⸻
真希はゆっくりと顔を上げる。
悠真と目が合う。
そのまま、自然に距離が近づく。
軽く触れるだけのキス。
言葉よりも短く、でも確かに“今日を終わらせる合図”のようなものだった。
そしてそのまま、真希は小さく息を吐く。
「……お疲れさま」
「そっちも」
悠真が答える。
⸻
そのあと、二人はしばらくソファで並んで座っていた。
肩が触れる距離のまま。
それ以上でも、それ以下でもない。
ただ“戻ってきた”という感覚だけがそこにあった。
⸻
やがて真希が立ち上がる。
「お風呂、入る?」
「先どうぞ」
「一緒じゃなくていいの?」
冗談混じりの声。
悠真は少しだけ笑う。
「今日は別々でいいだろ」
真希は軽く肩をすくめる。
「じゃあまた今度ね」
「約束」
⸻
風呂上がり。
髪を軽く乾かした真希がリビングに戻ると、悠真がソファに寄りかかっていた。
その姿を見て、真希は少しだけ歩み寄る。
何も言わず、隣に座る。
そして、自然に肩にもたれる。
それだけで、十分だった。
⸻
「今日さ」
悠真がぽつりと言う。
「村瀬さんたち、結構気づいてるっぽいな」
真希は目を閉じたまま答える。
「うん。でも、言わないでしょ」
「たぶんな」
「瀬川さん絡みだし」
悠真は軽く笑う。
「便利だよな、あの人」
真希も小さく笑う。
「ほんとにね」
⸻
しばらく沈黙。
ただ、時計の音だけが部屋にある。
真希は小さく呟く。
「この時間が一番好きかも」
悠真が聞き返す。
「どの時間?」
真希は少しだけ考えてから言う。
「誰にも見られてない時間」
悠真は静かに頷く。
「じゃあ、今だな」
真希は小さく笑う。
「うん」
⸻
そのまま、二人はしばらく動かなかった。
会話もない。
でも、距離は近い。
仕事でもなく、役職でもなく、誰かに見せるためでもない。
ただの“二人”としての時間。
⸻
やがて真希が小さく言う。
「明日も忙しいね」
「いつも通りだろ」
「うん」
短い返事。
それで十分だった。
⸻
電気が落ちる前。
悠真が最後に言う。
「でもさ」
「うん?」
「このままでいい気がする」
真希は少しだけ間を置いてから答える。
「……うん。私も」
濃厚なキスをする。
⸻
灯りが消える。
静かな夜。
外ではまだ世界が動いている。
誰にも知られない関係。
でも、確かにそこにある“家族の形”。
それだけが、この夜のすべてだった。
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