第4話「同期の来訪」
企画部の午後は、独特の静けさがある。
キーボードの音と、紙をめくる音だけが淡く積み重なっていく空間。
高槻悠真は、その中で資料整理をしていた。
まだ“完全な戦力”とは言えない。
だが、確実に“任される側”から“任され始める側”へと変わりつつあった。
そのとき。
「高槻くん」
声がかかる。
顔を上げると、村瀬翼、赤井美波、進藤あかりの三人が立っていた。
「久しぶり」
村瀬が軽く手を振る。
「企画部、どう?慣れた?」
「まだ途中です」
悠真がそう答えると、赤井が小さく笑った。
「相変わらず真面目だね」
進藤は机の資料をちらっと見て言う。
「でもさ、ちゃんと仕事増えてるじゃん」
その言葉に、悠真は軽く頷く。
その瞬間だった。
村瀬が、少しだけ声のトーンを落とす。
「ねえ、高槻くん」
「はい」
「真希さんのことだけどさ」
一瞬、空気が止まる。
だが悠真は表情を変えない。
「……はい」
村瀬は少しだけ笑った。
「やっぱり、そういう反応になるよね」
赤井が小声で続ける。
「私たち、知ってるよ」
進藤も軽く頷いた。
「(同期の)瀬川から聞いた」
その名前に、悠真の視線が少しだけ動く。
瀬川陽翔。
悠真の一つ上の先輩でもあり、そして氷室結衣社長の夫でもある人物。
つまり、“社内の表と裏のバランス”を知っている側の人間。
村瀬が肩をすくめる。
「正確には“みんなには言うなよ”って感じでね」
赤井が続ける。
「奥さんの話、社内で出さないようにって」
進藤は少し笑う。
「でもさ、普通に考えてバレるよね」
悠真は少しだけ視線を落とす。
「……そうですね」
村瀬はその反応を見て、少しだけ声を柔らかくした。
「別に責めてるわけじゃないよ」
「むしろ納得してる」
赤井が言う。
「春日井真希さん、あの人なら“隠す理由”も分かるし」
進藤も頷く。
「社内で知られたら面倒なタイプの注目され方するもんね」
悠真は静かに息を吐いた。
(瀬川先輩……やっぱりそこまで見てるのか)
⸻
その頃、別フロア。
春日井真希は営業部の資料を整理していた。
柳瀬部長の業務補佐もあり、動きはいつもより細かい。
そのとき、通りかかった社員が小さく囁く。
「春日井さん、企画部も入ってるらしいですよね」
「すごいですよね、あの人」
だが真希は聞こえないふりをして歩き続ける。
(情報は“断片”でいい)
全部が知られる必要はない。
むしろ知られない方がいいことの方が多い。
その考えは、変わらないままだった。
⸻
夜。
家に帰ると、いつもの灯り。
「ただいま」
「おかえり」
その声だけで、世界が切り替わる。
夕食後、子どもたちが寝静まったあと。
リビングは静かになる。
悠真がソファに座ると、真希が隣に座った。
「今日さ」
悠真が言う。
「村瀬さんたち、知ってた」
真希の手が一瞬だけ止まる。
「……何を?」
「俺たちのこと」
沈黙。
しかし、それは驚きではなく“想定内”の沈黙だった。
真希は小さく息を吐く。
「瀬川さん経由?」
「うん」
真希は少しだけ目を細める。
「……あの人、やっぱりそういうところあるね」
悠真は軽く笑う。
「でも、悪意はない」
「分かってる」
短い会話。
だがそこには、信頼があった。
(実は3人がこの結婚の事を聞くのは数回である。)
⸻
真希は少しだけソファに寄りかかる。
「でも、広がるスピードは早いかもね」
「止める?」
悠真の問いに、真希は少し考えてから首を振る。
「今はいい」
「今は?」
「うん。まだ“必要ない”から」
その言葉に、悠真は納得したように頷いた。
⸻
夜は静かに進む。
リビングの灯りだけが柔らかく残る。
真希はぽつりと言った。
「でもさ」
「うん?」
「知ってる人が増えると、少しだけ楽になるね」
悠真は少しだけ驚いたように見る。
真希は小さく笑う。
「全部隠すの、結構疲れるから」
その言葉に、悠真も静かに笑った。
「じゃあ、少しずつでいいんじゃないか」
真希は頷く。
「うん。それでいい」
⸻
その夜。
外の都市は変わらず動き続けている。
知らない人間が、知らない関係のまま働く世界。
その中で、知っている人が少しずつ増えていく。
それはまだ“秘密”のままだったが、
確かに“変化の始まり”でもあった。
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