第8話「会社にバレかける事件」
神奈川旅行から戻った翌週。
月曜日の朝は、いつも通り始まったはずだった。
ただ一つだけ違うのは——
二人の中にまだ“余韻”が残っていたことだった。
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オフィスの空気は、変わらない。
人の流れ。
電話の音。
キーボードのリズム。
その中で、春日井真希は課長席に座る。
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春日井真希
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悠真は少し離れた席で資料を開いている。
視線は交わさない。
言葉もない。
それが“いつものルール”だった。
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だが、その日——小さなズレが起きる。
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「春日井課長、この資料ちょっといいですか」
後輩が真希に声をかける。
「はい」
真希は振り向く。
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その瞬間だった。
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悠真がちょうどコピー機から戻ってくる。
手には資料。
そして、真希の後ろを通ろうとした。
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ほんの一瞬。
人の流れの中で交差するタイミング。
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資料が落ちる。
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「あっ」
ほぼ同時に二人の声が重なる。
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真希がしゃがみ、
悠真も反射的に手を伸ばす。
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その瞬間——
指が触れた。
ほんの一瞬。
でも確かに。
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周囲の時間が止まったように感じる。
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「……すみません」
真希がすぐに立ち上がる。
「いえ、大丈夫です」
悠真も何事もなかったように答える。
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だが、その“間”を見ていた社員がいた。
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「……あれ?」
小さな声。
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視線が一瞬だけ集まる。
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だが、すぐに逸れる。
偶然に見えなくもない。
その程度の違和感。
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それでも——
二人の背中には、わずかな緊張が残る。
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昼休み。
食堂。
席は離れている。
会話はない。
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だが、真希のスマホが震える。
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「後で会議室」
短いメッセージ。
送り主は——
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柳瀬部長
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真希は一瞬だけ息を止める。
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会議室。
午後。
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「さっきの件だが」
柳瀬部長は開口一番そう言った。
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「……はい」
真希と悠真は同時に返事をする。
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「お前ら、最近ちょっと距離近い時あるよな」
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一瞬、空気が凍る。
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しかし柳瀬は、怒ってはいない。
むしろ観察するような目。
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「まあ、仕事は問題ないが」
「ただな」
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少し間を置く。
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「“見られ方”は気をつけろ」
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その言葉に、二人は静かに頷く。
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「……はい」
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「それだけだ」
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会議室を出る。
廊下。
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「やばかったな」
悠真が小さく言う。
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「うん」
真希も短く答える。
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でも、その表情は意外と落ち着いていた。
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「バレてない……よね?」
「たぶん」
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少しだけ笑う。
でも、その笑いには緊張が混じる。
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午後の業務。
空気はいつも通りに戻る。
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ただ一つ違うのは——
二人が“より意識的に距離を取るようになった”ことだった。
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視線を合わせない。
同じタイミングで動かない。
必要以上に近づかない。
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それは防御ではなく、“習慣”になっていた。
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夕方。
終業時間。
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「お疲れさまでした」
いつもの挨拶。
だが、少しだけ硬い。
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会社を出るタイミングもずらす。
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少し離れた場所で合流。
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「……今日、ちょっと疲れた」
真希が言う。
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「俺も」
悠真が答える。
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「でもさ」
少しだけ間。
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「バレてないよな」
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「……多分な」
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小さく笑う。
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その笑いの中には、緊張と安心が混ざっていた。
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夜。
家。
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「ただいまー!」
「おかえりー!」
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子どもたちの声が、すべてを元に戻す。
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夕食。
風呂。
寝かしつけ。
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いつもの流れ。
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夜。
リビング。
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「今日さ」
悠真が言う。
「ちょっと危なかったな」
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「うん」
真希が頷く。
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「でも」
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少しだけ笑う。
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「大丈夫だった」
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その言葉に、悠真も頷く。
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「だな」
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肩が少しだけ触れる。
でも、それ以上はない。
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今はそれでいい。
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守るものが増えたからこそ、
慎重になる。
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でも、その中でも確かに——
二人は繋がっている。
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