蝋の羽根
「オケラが全国優勝を逃した?」
学校中ひと騒動になった。不敗神話が伝説化されてるN一中管弦楽部もやはり負けることがあるのか。にわかにはしんじられなかった。
「今年はコンクールには出ない」とゾンビが言うくらい、管弦楽部内の雰囲気がひどく険悪になっていたという。それは毎年のことだと思っていたけれど、今年度はコンクール直前に三年生が三人もオケラを辞めていくほどひどかったという。
そのまとまり切らない雰囲気で全国大会に挑んだところ、他校の華々しい演奏に完璧に負けた。
ゾンビの命令で男子はみんな頭を坊主に丸め、女子も髪を切った。そして管弦楽部は定期演奏会に臨むことになった。
そのブラームスの交響曲第一番をプログラムに入れた演奏会を井ノ原と二人で聴きに行った。優勝を逃したと言っても、成績は全国第位二位。やはり威圧的に強いN一中管弦楽部なのか。この後全国学校合奏コンクールでは一位を奪還する。
みんながゾンビを嫌いで、しかしみんなゾンビについていって、ゾンビが指揮棒を振り下ろすと全国で高い位の演奏をする。
あんまり嫌い嫌われと言う感情ばかりで部活をやっていてもどうなんだろう。そういう緊張感があってこそ、全国レベルに立ち続けるバケモノのような偉大さを保ち続ける部活なのかもしれないけれど。
文化ホールの客席に座って、久しぶりにオケラを見るとステージの上がやけにきらびやかに眩しい。中一の定演でステージに立ったときの、光の中へ消えていきそうな恍惚感は生きているというその意味からして覆されるような思いだった。まるで自分が天使になるようだった。
「凄いですよね、ステージの上の恍惚状態は」
里子がぼんやりディスプレーを見ているから、里子もキラキラ輝いて、華やかだったと俺は言った。
「華やかなイメージはトランペットみたいに、ずっと真正面を向いて大音量で音を鳴らしている一悟でしょ? 先生はずっと一悟を見続けて酔いしれていたんじゃないですか」
二十年も前の、ステージに座った七十人の中学生に照明の光量は上げられる。天井を見上げればライトがいくつも灯されて、演出という名の芸術が中学生たちを飾り立てる。
そしてナレーションが入る。里子がステージでマイクを持っている。
「オケラを辞めたいと思ったこともありました。でもバイオリンがあたしを待っていると思うとやはり練習に行かなければと思いました。
そうして音楽室へ入り、バイオリンのケースを空けると、待ってたよと淋しそうにバイオリンが言いました。
ごめんねと謝って、楽器を通り上げると、よし今日もがんばるぞと気持ちが強くなっていきます。三年間辞めなくて、このステージに立って本当に良かった」
俺は客席で両手をパーと挙げた。は、バカバカしいなあ、辞めたんだよ! 俺はオケラを辞めたんだ、後悔しきり、それだけの中学時代だったんだ。あーあ、下らない! そう叫んでるかのような俺だった。
ステージのライトを眩しく俺は見つめた。あのライトに向かって蝋の羽根を背中につけ、必死に空に舞った少年が光の熱に羽根を溶かして、イカロスのように落下した。
ブラームスの一番の一楽章、あのティンパニの鳴り響く曲の始まりで、不覚にも俺は涙をこぼしてステージを見つめていた。




