少女は父親との別れを経験する。
普段の勉強は自分にとっていくらか簡単なものだった。
少なくとも中学三年生までは子どもたちが無理なく授業についていけるようにと、小学校で教育されていた。確かにその成果は表れている。部活と勉強の両立にも悩むことがなかった。
そして、中学に入って定期テストを受けるようになる。試験教官は体育の先生。
「先生」
女子が手を挙げて先生を呼んだ。
「ん? どうした?」
鼻の下にひげをたくわえた、日焼けして顔に皺を寄せているこわもての先生は生徒に近づいた。生徒は試験に緊張して、一生懸命になって小声で質問している。
「例題の文法が間違っているんじゃないかと思うんです。What this is?じゃなくてWhat is this?の方が答えと会っているような気がして、だからここは……」
「分からない!」
突然、先生の大きな声が教室に響いた。生徒たちが鉛筆の手を止めて一斉に振り向く。
女子と先生は一瞬視線を合わせた。女子生徒はあっけに取られた顔をしていたが、先生は「私は体育教師だよ?」と慈悲深い瞳で穏やかに生徒を諭した。
五教科など中学生レベルも出来ない、こんな大人も中学教師の肩書を持つもの。
「……すいません」
女子生徒は小さな声で謝ったあと、また答案用紙に向かいだした。教室は何事もなかったかのように、試験の時間が続く。
数日後、答案用紙が返ってきた。俺はクラス四十二人中七番、学年三百十五人中でも三十八番。あ? 俺ってそんなに成績がいい? 偏差値64という数字が出た。悪い数字ではない。
朝のホームルームの後に、学級委員長の右文と副委員長の俺が担任の浅香先生に呼ばれた。
「じゃあ右文、ヨシ君、今から行くから。制服のままでいいな。他のみんなはちゃんと授業を受けていろよなあ」
呆然とした気分で、俺は右文と一緒に先生の後について教室を出て行った。校舎を出ると浅香先生の車の後部座席に二人で乗せられた。
連れて行かされた先は葬式の会場だった。
オケラでチェロを弾いていた、中島さんのお父さんが亡くなったのは中学一年生の春だった。実はこのように俺が葬式に参列している。棺を囲んで中島さんの家族が、ボロボロに泣いて座り込んでいる。
中島さんが真っ赤な目をして、放心状態でこっちを見た。家族を亡くす悲しさなど俺は知らない。生まれてこの方十二年、親族でも人が死ぬということがなかった。
だからこの日が人生初めて葬式に参列した日。
「これ何だろう?」
俺の横で右文が粉をつまんだ。右文も葬式というものが分からない。
「さあ、何だろう?」
俺は粉を煙の出ているところへひとつまみ入れた。右文は「そうするのか?」と、同じように煙の中に入れる。
「死んだ人ってあそこらへんにいるらしいよ」
右文が指を指す。つられて天井のパネル材を見た。
中島さんは四人兄弟の末っ子だった。一番上のお兄さんがすでに社会人で、葬儀の終わりに、一番下の妹が成人するまで残された家族は助け合って生きていくと誓っていた。
中学一年生というこの齢で、父親が死んだ。いつもあっけらかんとしている中島さんだったが、こうして肉親を亡くしてあれほどに泣いている中島さんに、不思議なものを感じる。チャイコフスキーの五番が頭の中で流れていた。俺は情に訴える切なさを感じるものだった。
二三日、俺はぼんやり考えていた。そしていきなり思い立った。
街がひとつ出来るかと言うほどの、大きなマンション群が出来て、そこへ引っ越してきた転校生の中島さん。小学時代の先生に中島さんのことを手紙に書いた。
小学六年生の時の担任の先生は転勤で引っ越していたが、わざわざ遠いところからお参りに来てくれた。先生は中島さんの家に訪問したあと、俺の家にも立ち寄った。
一週間、喪に服したあと、中島さんは学校へ登校してきた。もう笑顔が戻っている。オケラの朝練の時間、まだ開いていない昇降口の前で数人の女子と立ち話をしていた。
校舎の中庭の窓ガラスにまだ朝日が当たらない。その中庭のテニスコートには朝露の匂いが漂っている。
復活した中島さん。制服の長いスカートが妙に大人びてみえる。そんな中島さんを見ていると彼女も俺を見つけて首をくっと伸ばして、笑って手を振った。
「ヨシ君!」
声をかけられる。そんな義理もすでに忘れ去っていたので無反応でいると、中島さんは「ヨシ君、ありがとう!」とまた手を振った。俺は黙って無表情のまま頭を下げた。




