あの音
あの音で
クラシックの曲は一時間ちょっとで終わってしまった。あっけなくコンサートは終わるのかなと思ったら、アンコールが始まる。一曲二曲のアンコールかと言うと、延々とポップミュージックが演奏し続けられる。
舞台袖に五人の奏者が消えると、すぐに「もう一曲聴いて、お願い、もう一曲」とずんずんと舞台に出て来てはまた一曲、また一曲。
テンションも高く楽しそうに演奏していた。あまりに楽し気に吹くから太ったホルン奏者の、ワイシャツのボタンがプチっと切れて客席まで飛んできた。
「やあ、久しぶりだな」
コンサートが終わった後、トロンボーンを持った人が会場で俺に声をかけた。途端にその人を見たまま。引きつった笑い顔で俺は頭を下げることも出来なかった。
伊達先輩だった。
生涯で唯一、俺にトロンボーンの吹き方を教えてくれたOBの伊達先輩は、小学生の頃みんなで入り浸っていた、おもちゃ屋「伊達商店」の御曹司だった。
伊達先輩もほどほどの音大を出て、小学校教師になり吹奏楽部の指導仕手いるという。
「でたー!」
うんこでも出たかのようにしゃがみ込んで、気持ちよさそうに伊達先輩は叫んだ。
どうしてもこうしても、トロンボーンからまともな音が出ない俺に、一生懸命になって先輩は楽器の吹き方を指導してくれた。
にこにこ笑ってマウスピースに当てる口の形を、俺の顔面に至近距離まで先輩の顔が近づいてきて、先輩が見本を見せる。
何度も伊達先輩と顔を見せ合って百面相をして、男と男が接吻するかのごとし。
唇の正しい力の入れ方を教わる。コツが次第に分かってきたときには、すでに日は暮れていた。限界まで高まっていた集中力は窓一面の黄昏の残光のみ、電気をつけない音楽室はすでに暗く、しかしそんなことも全く感じさせず、感覚は何もかもが見えて聴こえている。
そして突如「ぷー」と俺のトロンボーンからきれいな音が聴こえた。俺は自分の出した音に震撼した。これが本当のトロンボーンの音なのか。
それから二週間とたたないうちに、俺はオケラを辞めた。演奏レベルが爆発的に上昇していくはずの、まさに最も大切な時に、俺の全国への扉は閉ざされた。
伊達先輩の創った音で全国に勝負を挑みたかった。せっかくのあのトロンボーンの音で。




