お嬢さま、家庭教師に連行される(高木)
≪ 梅宮みのり視点 ≫
仲居を先頭に、文兎が続く。みのりがその後をついて行くと、背後から紅の急かす声が聞こえてきた。
「兄さん、早く」
「紅は恥ずかしがり屋さんだな」
碧が後ろから嬉しそうにクスクス笑ってついてくる。
「へたれだ……真正のへたれだ……」
前から聞こえてきた文兎の呟きに、みのりは激しく同意した。
(まぁ、碧がへたれなのは認めるけど、それよりも問題なのは紅の鈍さよね)
2人の噛み合っているようでまったく噛み合っていない会話を聞くたびに、みのりは碧が不憫に思えてならない。しかし碧の想いが成就したら、彼は今以上に一目をはばからず紅へちょっかいを出すだろう。
(それはそれでうざったいわね)
やはり当分の間紅には鈍いままでいてもらおう。みのりがそんなことを考えている間に、部屋へ到着してしまった。
「お客様、お連れの方がお見えしました」
「通してくれ」
仲居の声に反応して襖の奥からくぐもった男性の声が聞こえてくる。意外と若い声だ。この中に自分たちを呼んだ人物がいる。みのりは引き返したくなる気持ちを、ぎゅっと手を握り締めることで堪えた。
「みのりお嬢様をお連れいたしました」
「ああ、ご苦労」
ゆっくりと襖が開く。膝をつき頭を下げる文兎の向こう側に濃紺のスーツをきちんと身に纏った梅畑涼介の兄、雅秋が座っていた。
「あなたは……」
みのりは想像もしていなかった人物の登場に面を食らう。だが、そんなこちらの驚きなど雅秋は気にする素振りも見せず、深々と頭を垂れきた。
「お久しぶりでございます。みのり様」
「やはり君でしたか。梅畑雅秋市長殿」
碧にとっては予想通りの人物だったようだ。頭の回らなくなったみのりに代わり、平然と話しかけていた。
(わかっていたなら、さっき聞いたとき言っておきなさいよ!)
みのりは、紅と一緒に少し後ろで控えている碧を睨みつける。しかし碧は、こちらの感情を逆なでるかのように外向きの笑顔を向けてきた。
(後で覚えておきなさいよ)
今は目の前にいる男の方が重要だ。みのりは怒り出したい気持ちを必死で抑え、そっぽを向くように顔を前へ向けた。
「それで、なぜ、あなたがここに?」
気を取り直し、雅秋を見る。昼間見かけた涼介の顔が雅秋の顔と重なった。
(やっぱり兄弟なのね。鼻から下がそっくりだわ。ってそんなことどうでもいいじゃない)
脳裏に居座る涼介の顔を追い出そうと頭を振る。背後から質問の答えが返ってきた。
「お嬢様、それは愚問でしょう。彼がお嬢様を呼びだした張本人なのですから」
「久しいな。梅田碧くん。元気そうでなによりだ」
雅秋はみのりではなくその後ろに控える碧へ、親し気に話しかけていた。
(そういえば、この2人って同級生なのよね。そうは見えないけど)
市長という重責のせいか、それとも雅秋がただ端に老け顔なのか。はたまた碧が童顔だからか。2人が同い年には見えなかった。何よりも親し気にしゃべっている割に、彼らの醸し出す雰囲気が昔を懐かしむ幼なじみのそれとはまったく異なっていた。どちらかと言えば、一触即発な空気と言えるだろうか。
(もしかしてこれが犬猿の仲っていうやつ?)
さっきから雅秋と碧が会話をするたびに、部屋の気温が下がって行くような気がしてならない。
「こう見えて忙しい身なものでね。まぁ、君には負けると思いますが」
「謙遜か? まあいい。それよりみのり様、なにやら本家が騒がしいようですな」
(やっぱり市長って肩書きはダテじゃないのね)
碧の嫌味をなんなく聞き流し自分の言いたいことを言う雅秋を、みのりは感心しながら見ていた。しかし碧も負けてない。挑戦的な目を雅秋に向け、何か聞き出そうとする。
「おや、白々しい? 君は知った上でお嬢様を呼び出したのでしょう?」
碧に任せてことの成り行きを見守っていたが、その彼の言葉を聞いて我慢できなくなった。
「ちょっと、碧どういうことよそれ!」
「まあまあ。物事には順序というものが必要だろう、碧?」
「ずいぶんとまどろっこしいことを。権力を得るとそうなってしまうんですかねぇ?」
雅秋が嗜めるように言葉を紡ぐと、碧はそれを皮肉る。この男たちはこう言うふうにしか会話ができないのだろうか。
(いちいちケンカ腰にならないで、もう少し大人な対応を見せればいいのに……)
みのりは呆れながらも、再度彼らの会話へ割り込んだ。
「ちょっと、あなたたちで勝手に話を進めないでよ」
「権力? そんなもの持った覚えはないな。すべてはみのり様のためのもの」
こちらの言葉を無視して、雅秋がうやうやしくお辞儀をしてきた。貼りつけたような愛想笑いをする男に、虫唾が走った。この手の顔は昔から良く見ている。ご機嫌取りに近づいてくる大人たちはいつも感情を伴わない、雅秋のような笑みを向けてきた。それを向けられるたびにみのりは、自分の存在がなくなっていくような気がして恐怖を感じていた。この男も同じだ。何を動揺していたのだろう。
(碧の幼なじみだから気が緩んでいたのかもしれないわね)
みのりは自嘲気味に笑い、自分を守るための仮面を貼りつけた。
「そんなことはどうでもいいのよ。なぜ私をここへ呼んだの?」
「みのり様は、本家から逃れたいと思っていらっしゃる。そうではないですか」
「なぜ、そうだと?」
雅秋の言葉に息を呑む。つけたばかりの仮面が外れそうになるのをなんとか食い止めながら、雅秋の変化を見逃すまいと彼を見据えた。
「我が家の三男坊から逃げていらっしゃるじゃあないですか」
「あれは!!」
みのりは勢いに任せて席を立とうと机に手を置く。その反動でところ狭しと置かれている食器がガチャと揺れた。雅秋の揺さぶりに簡単に引っかかってしまった自分が情けなくなる。みのりは奥歯を噛みしめた。
「なるほど、お嬢様のお見合いは君の差し金でしたか」
何も言えなくなっている自分に代わり、碧が時間稼ぎをするかのように口を開いた。しかし雅秋は、碧の挑発に乗ることはせず、視線のみを碧へ向ける。そしてすぐにこちらへ顔を戻し、話を進めた。
「涼介を嫌っていらっしゃるかどうかはさておき」
「さておかないでよ。それが一番重要じゃない」
「おや? そうでしたか。あははは」
「当たり前でしょう」
おかしそうに笑う雅秋の態度が面白くなくて、不貞腐れる。それと同時にみのりは心の底で焦っていた。他の大人にはできる対応が雅秋にはできない。彼の口から涼介という単語が出てくるたびに、どうしても取り乱してしまう。
(なんであいつはこんなにも私の邪魔ばかりしてくるのよ!)
涼介のことを頭から消しさろうと苦心していると、雅秋が真面目な顔つきでこちらを見ていた。みのり自身を見極めようとしている雅秋の瞳に、冷静さを取り戻す。
「あなたがなさろうとしていることには私にも理解できる。いや、むしろご協力申しあげたいのですよ。ついでに申しあげれば、見合いは正式に本家からの要望があったからです」
「どういうことですか?」
雅秋の言動が腑に落ちず、みのりは顔をしかめた。
「どちらに対してでしょう?」
「理解できるって、あなたがどう私を理解できるって言うの?」
軽々しく『理解できる』などという言葉を使ってほしくない。その言葉を口にできるのは、個人としての自分を見てくれる碧と紅だけだ。
(この人も所詮は他の人たちと同じってことね)
いつもそうだ。近づいてくる大人は皆口だけでこちらの本質など見ようともしない。次期当主としてだけの責務を押しつけてくる。雅秋は碧と渡り合えていた分、他の者たちとは違うのかもしれないと期待していたようだ。みのりは思いのほか落胆している自分に気づいた。だが、雅秋の返答はこちらの考えを良い意味で裏切った。
「あなた自身を理解できるとは申しておりません。ただ、あなたがなさろうとしていることは理解できると申しておるのですよ」
「どういう意味ですか?」
それでも雅秋の真意がわからず、みのりは首をかしげた。
「あなたが『黄金梅』を消滅させようとなさっていることに対してですよ」
雅秋の台詞に息を呑む。なぜこの男が碧と紅くらいしか知りようもないことを知っているのだろうか。みのりは内心の動揺を隠しながら、雅秋を見つめた。
「何を言っているのですか?」
「あなたの心の内をお話したつもりですが。間違っておりますかな?」
肯定することも否定することもできなかった。黙る自分を見越していたのか、碧が割り込んでくる。
「仮に君の言う通りだとして、君はお嬢様を使って何をする気だい?」
「何も。ただお助けしたいということだよ、碧。君にならわかってもらえると思っていたが……」
「君は本当に口が上手いね」
「君ほどではないよ」
碧と雅秋が嫌味の応酬をしている間にみのりは頭を切り替えることに成功した。
「協力って、例えば何をしてくれるのですか?」
雅秋の視線がこちらへと戻る。
「そうですな。では私の考えをお話しましょう。」
「お嬢様、彼の言い分を真に受けるのですか?」
碧が近づいてくる。珍しく心配そうな顔を見せてきた側近に、みのりは安心させるために微笑んだ。そして、強気な態度で雅秋を見る。
「いいのよ、碧。私は本家から逃れることができるのなら、何でもするわ」
「いいご覚悟です。だが、その前に。腹ごしらえでもいかがですかな?」
「そんな暇は……」
室内にグゥーと獣の鳴き声のような音が響く。みのりはとっさに自身の腹を押さえた。恥ずかしさに雅秋の顔が見ていられず下を向くと、笑いを堪えたような声が聞こえてくる。
「料理を運ばせましょう」
「そうですね。お嬢様のお腹も催促してますし」
(犬猿の仲のくせに、こんなときだけ意見を合わせることないじゃない)
みのりはデリカシーのない碧を三白眼で睨んだ。




