家庭教師、懇願する(朝川)
≪ 梅森文兎視点 ≫
「なんで文兎先生が……」
みのりが呆然としたように見つめてくる。梅森文兎は募る焦りを堪え、手で車を指差した。
「ここでは本家に見つかってしまいますから、とにかく乗ってください!」
叫びながら、文兎はまずいことになった、と内心肝を冷やしていた。同じ黒塗りの車なら、本家の人間たちにすぐ怪しまれることもないだろう。そう言われてやってきたものの、とうの本人に怪しまれてしまっては意味がない。
「お嬢さま、逃げて!」
紅がみのりを庇って黒服の前に立ちはだかる。
「えっ、そんな、でも……」
「お嬢様、紅なら大丈夫ですからお早く!」
迷いを見せるみのりを碧が促した。みのりの腕をがっしりと掴み、車へ近づいてくる。
(ヤバい! それでは意味がない!)
文兎は碧の顔を見やり、急いで話を補足した。
「い、いや、できればみなさんで一緒に! とにかく早く!」
「ちょ、どういうこと? 文兎先生はお母様から言われてここへいらしたのではないのですか?」
みのりが碧の手を振り払い、仁王立ちしてくる。文兎は叫び出したい気持ちを抑えみのりをひたと見据えた。
「お母上様は関係ございません! どうか早く!」
「そんなこと、ハイそうですかって信じられるわけないですよね? ちょっと碧、ボサっと立ってないで何か言いなさいよ」
みのりが碧へ視線を向ける。いつの間やら側へやってきていた紅が碧を見上げ、小首をかしげた。
「兄さん、倒していい?」
「紅、私が許すわ」
みのりが容赦ない指示を出す。とんでもないことになった。こんな状態で何を言えば信じてもらえるのか。文兎は慌てて両手で上半身を庇う。すると、それまで沈黙を守っていた碧がおもむろに紅を制した。
「お待ちください、お嬢様。ここは1つ梅森の言葉を信じてみましょう」
「なぜ? もしお母様の指示だったら終わりなのよ」
碧の提案に対し、みのりが異議を唱える。文兎はここぞとばかりに碧の言葉へ便乗した。
「みのりお嬢様! 信じてください! 僕は真実無実です!」
拝むように片手を立てて懇願するも、みのりが警戒を解いてくれる気配はない。助けを求めて碧に視線を送ると、碧はにこりと口角を上げてみのりへ答えた。
「簡単に言ってしまえば、勘です」
この後に及んで勘はないだろう。それではみのりが納得してくれるはずがない。
(時間がないっていうのに!)
文兎は半ば絶望しつつ、今一度みのりに訴えかけた。
「あの方に会っていただければわかります! どうかここは、早く!」
座席から身を乗り出しみのりへ手を差し出す。だが、みのりは完全にこちらを無視して碧へ吠えた。
「なっ、何言ってるのよ碧! あなた気は確かなの?」
「お嬢さま問題ない。兄さんの勘、当たる」
紅がはっきりと言い切り、みのりの面に迷いの色が見えた。
(今だ!)
文兎はチャンスとばかりに碧へ呼びかける。
「碧先輩! お願いしますよ!」
だが、碧は相好を崩して紅ばかりを見ている。
「紅ー」
「紅まで……」
みのりが紅に抱きつかんばかりの碧を押し退け、溜め息を吐いた。文兎は好機を逃すまいと再度みのりに呼びかける。
「みのりお嬢様!」
「わかりました。碧の勘を信じます」
みのりが腰にあてていた腕をおろし、若干不服げに宣言した。途端に碧が姿勢を正し、みのりへ一礼する。真面目な表情で視線を向け、話を促してきた。
「それで梅森。お嬢様をどこへ連れて行くつもりだ?」
的確にポイントをついてくる碧に対し、文兎は一瞬言葉に迷う。
「……藤端の『黒塀』に。くわしい話はその後です」
ためらいがちに告げると、碧があっさりと頷いてきた。
「わかった。とりあえず、お前の言う通りにしよう。ただし、お嬢様は我々の車で連れて行く」
「そんなこと言ってる場合ですか!」
それではいざという時、こちらの立場がないではないか。碧の提案に文兎は異議を唱える。だが、碧も引いてはくれなかった。
「梅森、これは譲歩だ。それを認めないなら、お嬢様を行かせるわけにはいかない」
「碧……」
はっきりとした口調で答える碧を前に、みのりが瞳を潤ませる。感動的な主従愛とでも言いたいのだろうか。文兎は内心で鼻を鳴らし、しかたなく首肯した。
「……わかりました。ついてきてください」
宣言すると、みのりたちが一斉に車の後部座席へ乗り込む。文兎はアクセルを目一杯踏んで追手を振り切り、『黒塀』へと向かった。わざと迂回して細い道を走らせ、やがて見えてきた黒く高い塀沿いを左折する。砂利の敷き詰められた駐車場に車を停めると、みのりが外へ飛び出し伸びをした。
「文兎先生、ここに誰がいるんですか?」
文兎は答える代わりに車を降りて、みのりの前に立つ。
「ついてきてください」
振り返らず歩き出すと、後ろから不満げな声が飛んできた。
「ちょっと、聞いてますか先生」
抗議的な言い方に眉根を寄せつつ、歩みを進める。
「とにかく急ぎましょう。誰かに見られるわけにはいかないんです」
短く宣言すると、耳から小さな声が聞こえてきた。
「少しくらい教えくれたっていいじゃない」
気分を害しているらしいみのりの呟きを無視して進む。 腹立ちを抑えて拳を握っていると、代わりに碧が答えた。
「まぁまぁ、どうせこれから会うのですからいいじゃないですか」
「誰かわからなきゃ、心の準備ってものができないじゃない」
こそこそと文句を言い合う2人の会話を後ろ手に、文兎は咳払いをする。
「聞こえてますよ。お嬢様……」
極力平坦に声をかけちらりとみのりへ視線を送ると、手で口を塞ぐ彼女が見えた。
「心の準備なんて必要ないでしょう。お嬢様にとっては取るに足らない人物でしょうし」
碧がのんびりとした口調で憎らしい発言をする。 文兎は溜め息を吐き立ち止まった。
「今は言えません。ですが、みのり様も碧さんもよく知っているお方です」
振り返り答えると、みのりが瞳をまたたいた。
「よく知っている人?」
「はい。……特に碧さんは……」
言葉を濁して碧を見やると、碧が小さく目を細め頷いた。
「僕がですか……なるほど、そうですか……」
にやりと笑んだ碧に、みのりが眉間に皺を寄せる。
「ちょっと碧、一人で何納得してるのよ」
「兄さん、顔変」
紅に断言された碧が途端に情けない顔をした。
「紅ー、そんな冷たい言葉言わないでおくれ」
「ちょっと私の話を無視しないでよ」
不平を口にしながら、紅へ抱きつこうとする碧をみのりが抑え込む。
「女性に人気があるのも相変わらずのようですね……」
まったくいいご身分だ。文兎は心底白けた気分で碧を一瞥した。
「とにかく、ついてきてください」
踵を返して歩き出すと、紅の声が聞こえる。
「お嬢さま大丈夫。会えばわかる」
「紅まで碧の味方なんて」
みのりが不満そうに呟くと同時に、碧が嬉しげな声を上げた。
「紅ー」
ちらりと視線を送った先には、懲りずに紅へ抱きつこうとする碧の姿がある。
なんと情けない。小さくかぶりを振っていると、紅が碧を避けてみのりの手を握った。
「紅ー」
振り返りもせずこちらへ歩んでくる紅へ、碧が泣かんばかりの声音で叫ぶ。
(……なんか、気の毒になってきた)
これが本当にあの泣く子も黙る梅田碧なのだろうか。人も変われば変わるものだな、と文兎は内心でしみじみ思うのだった。




