主婦、お惣菜に感謝する
律子たちが、藤丘の駐輪場へ到着したときにはすでにナイトセールが始まる17時を回っていた。
「翔、あんたちょっと先に行って肉巻きロールとコロッケ取っておいて」
「わかった!」
翔は自転車の鍵もかけず一直線に走り出す。律子は、駆け出した息子の背中に向かって大きな声を出した。
「肉巻きロール15個とコロッケ4個だからねー」
翔は、立ち止まることなく手をあげて了承を教えてきた。これで大丈夫だろう。走り去る息子の後ろ姿に満足しながら、ゆっくりと自分の自転車を駐輪場へ停めた。
(間に合ったかしらあの子)
翔の自転車にも鍵をかけ店内へと向かう途中、ふいに律子の鼻をドーナツの甘い香りがくすぐった。匂いに釣られ店内を覗き込むと、ドーナツ屋には似つかわしくない全身黒ずくめの初老の男性が注文しているところだった。
(家族にお土産かしら?)
大の大人で、しかもいい年をした男がこの手の店に並んでいるのはやはり違和感があるものだと改めて実感する。夫の誠もこんなふうに周りに見られながら土産を買ってきてくれているのかと思うと、なんだかおかしかった。律子はそのまま老人を横目に店へと入る。
「やっぱり翔に先に行っておいてもらって良かったわ」
無事に目当て物を買うことができた。律子が翔の元へ到着したときには、肉巻きロールが残り5つとなっていた。翔を先発隊として先に行かせたことが正解だったようだ。萌に頼まれたシュークリームも家族全員分買いこみ、ホクホクとした気分で店を出る。
「お母さん、喉渇いた」
フードコートを横切ろうとするタイミングで息子がおねだりを言ってきた。言われてみれば、自分も喉が渇いていることに気がつく。
(そういえば、私お昼から何も飲んでないわ)
子供たちのおやつに便乗するつもりだったのが、制服のアイロンがけやら何やらですっかり忘れていた。
「そうね、萌には内緒で何か飲んで行こうか」
「やったー」
大げさなくらいに喜ぶ翔の後ろを歩いていると、黒いものが目に入った。
(あっ、さっきの小父さん!)
入り口近くの席に、先ほどドーナツ屋で注文していた初老の男が座っていた。
(やだ、この人。ドーナツ買ってないじゃない)
てっきり土産用に買って帰る人だと思い込んでいたのだが、違っていたらしい。テーブルにぽつりとコーヒーカップだけが置かれている。観察するようにその男を見ていると、翔の急かす声が聞こえてきた。
「お母さん、早く」
「はいはい」
あまりジロジロ見るのもよくないだろう。律子は、男性から視線を外し息子の元へ急いだ。
(こんな時間に一人なんて……)
最近よく聞く家に居場所がない可哀想な人なのかもしれない。そう思うと、座っている男性の後ろ姿がどことなく物悲しそうにも見えてきた。
(まこっちゃんもいつかあんな感じになっちゃうのかしら?)
思春期になった子供たちから煙たがれる夫の姿を想像し切なくなる。せめて今のうちだけでも子供たちから好かれていると思わせてあげた方がいいかもしれない。律子は、ちゃっかりドーナツをトレイに乗せている息子の肩へ手を置いた。
「翔、お父さんが帰ってきたらちゃんとお帰りって言ってあげてね」
「はあ?」
何を言いだすんだ、と言わんばかりに翔がすっとんきょうな声をあげる。律子は訝しげな顔を見せてくる息子を気にすることなく、言葉を続けた。
「わからなくてもいいから、お母さんの言う通りにしなさい! わかった? じゃないとドーナツ買わないからね」
腰に手を当てようとして、両腕にかけているビニール袋がガシャガシャと音を立てながら揺れる。
「うん、わかった。でもオレ、いつもお帰りって言ってるよ?」
「へ? あー、そういえばそうだったわね……あはははは」
我ながら自分の想像力に呆れる。今現在子供たちが誠を蔑ろにしている事実はない。それどころか夫が休みの日には、自分を置いて3人だけで遊びに行ってしまうほどの仲だ。そのことをすっかり忘れ、近い将来夫があそこに座っている寂しそうな初老の男性のようになってしまうと思い込んでしまった。
「お母さん、大丈夫?」
顔を引きつらせながら笑って誤魔化したが、逆に不自然に映ってしまったみたいだ。翔が心配そうにこちらを見てくる。
「だ、大丈夫よ。さあ、ドーナツ食べて早く帰りましょう」
購入したドーナツと飲み物を持って席へと促す。いつもの笑みを心がけるように微笑むと、安心したのか翔がはにかんだ。
※ ※ ※ ※ ※
「いってらっしゃーい」
誠が振り返って手をあげる。律子は、気をつけてと言う意味も込めつつそれに応えた。今日も朝から日差しが強い。まさしく五月晴れの天気だ。昨日、喉を潤したあと家へ帰ると、仕事が早く片付いたようで珍しく夫が先に帰ってきていた。誠の顔を見たとたん飛びついた翔がおもむろに振り返り言った言葉を思い出し、苦笑する。
『これじゃあ、父さんにお帰りって言えないね』
まさかあそこでそんなことを言われるとは思わなかった。誠になんのことだと、聞かれたときはさすがに焦った。
(面と向かってまこっちゃんに、将来家に居場所がなくなる姿を想像したら不憫に思えたから今のうちだけでも優しくしてあげようなんて考えてたのー、なんて言えないしね)
萌がお腹すいたと喚き出さなければ、誠からの追求を躱し切れなかったに違いない。
(持つべきものは、可愛い子供たちと、家族みんなが大好きな惣菜よね)
昨日萌に頼んだ水遣りを確認するため庭へ移動する。早く買い物へ行きたいからと水遣りを任せてしまったのだが、ちゃんとできているのか少し心配だった。自分が家にいるときに何度か頼んだことはある。それに水遣りくらい誰でもできるだろう。そうは思うものの、最初から最後まで任せたのは昨日が初めてのことだった。律子は、恐る恐る庭へと足を踏み入れる。
「私のお花ちゃんたち、おはよう。今日もキレイに咲いてるかな?」
夜露のおかげか、それとも萌の水遣りのおかげなのか、空気が湿っぽく感じた。心なしか昨日よりも花々がみずみずしく見える。後片付けもちゃんとしてくれたようだ。
(これなら、どうしてもダメなときは頼んじゃおうかしら)
今度娘と一緒に庭弄りをするのも楽しいかもしれない。律子はウキウキとした気分で昨日植え替えたばかりの鉢植えの方へと進む。太陽に照らされたマリーゴールドの黄色と赤色が眩しいほど色鮮やかに映った。
「おはよう、ペチュニアさんとマリーゴールドちゃん。今日は一段とキレイよ」
植え替えたばかりだから多少元気がなくなると思ったが、大丈夫だったようだ。マリーゴールドの周りに植えたペチュニアもしおれていない。
「あら? 何かしらこれ?」
マリーゴールドの葉に隠れるように、茶色い木の実のような物が土部分に置かれてあった。不思議に思い、しゃがみ込んでそれを手に取る。どんぐりのようなつるつるとした表面、それでいてどんぐりよりも一回り大きい実だった。
「カラスか何かが落としたのかしら? それにしてもなんの木の実なのかしら?」
手の平で転がしながら考えるが思いつかなかった。
「見たことない実だけど、可愛いから玄関に飾ろうかしら」
着ていたエプロンのポケットへ木の実を入れる。台所用のエプロンをそのまま着て外へ出てしまっていたことに気づいた。
「やだもう、このエプロンは洗濯機行きだわ」
まだ庭弄りをしたわけではないが、これを着て料理をするのはなんとなく嫌だった。それにこんな良い天気だ。洗濯してもすぐに乾くだろう。律子は今日もガーデニングに勤しむため、まずは家のことを片付けるべく部屋の中へ戻ることにした。




