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Gold Plum ー 西多摩地区鎖国国家地帯 ー  作者: 宿り木
第一章 はじまりの種 ~小越麻里の場合~(朝川)
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ドジっ娘、出勤する

 紙っていうのはどうしてこんなにかさばるのだろう。

 小越麻里(こごしまり)は私立黄梅学園高等部のエントランスで、黒い革製のウォーキングシューズを脱ぎながらひとりごちた。

 教科書の本文から基本的な用語を抜き出し意味調べをしてくるように、と言ったのは自分だし、そのためのプリントを作ったのも己である。中間テストも無事終わり。今は全学年が新しい教科に入ったところだから中弛みしないようにしよう、などと思ったのが間違いの元だった。張り切って全学年分のプリントなど用意し、考えなしに配ってしまったものだから提出期限まで重なってしまったのである。

 提出されれば、採点しなければならない。麻里は山のようなプリントを泣く泣く黄梅学園の女子専用独身寮に持ち帰り、ほぼ徹夜で採点を終えた。だが、寝不足の身体に大量のプリントは予想以上に堪える。麻里は眠い目をこすることも、靴を下駄箱に入れることさえままならない状態で職員室へ向かう。顎でプリントが飛ばないよう固定しながら横開きの扉を開けようとしたところで、先に中から扉が開いた。


「おはよう、小越先生。大変そうね。今日一日保たもてる?」


 少しだけ目を見開き進路を譲ってくれたのは、隣の席に座る専任国語教師の相田由香里(あいだゆかり)だ。


「はあ、なんとか。飛ばしすぎたのは私ですし」


 自分の席にプリントを置きながらやっとのことで答えると、相田はくすりと笑んだ。


「まあ、最初は誰でもそんなものよ」

「はあ」

「念願叶って教師になったんでしょう? 頑張らないとね」


 ぽん、と肩を叩かれる。出ていく相田の後ろ姿を見つめながら、麻里は溜め息を吐いた。


「本当は、教師になるなんて夢にも思ってなかったんですけどね……」


 麻里が国から途絶したこの土地、黄梅(おうめ)の学校に臨時講師としてやってきたのは、教師になりたかったからでは決してなかった。


 自分は命令されたのだ。本当の上司に。

 麻里の本職は東郷都(とうきょうと)に勤める都の職員である。公務員試験をパスして無事都庁で働きだしたのは、つい先々月のこと。さあこれからだ、と気合いを入れていた矢先、ありえない人事を言い渡された。


『小越君、急で悪いんだけれど。これから私立黄梅学園に行ってもらうことになったから』


 最初はいったい何を言われているのかわからず、冗談ではないかとも思った。通常ならばこんな急な辞令が許されるはずもない。だが不幸なことに、上司の言っていることはすべて事実だった。


『私立黄梅学園に潜入し、黄梅市を束ねている梅宮の次期当主を監視し、黄梅市の発展の源となっているどんな願いをも叶えるという<黄金梅>の情報を探れ。またできることならその権利を移譲し、市を都に開放するよう懐柔せよ』


 そう命じられ、文句を言うこともできないままこの学園へとやってきたのである。


 あれから、約一ヶ月。麻里は教室の扉を開け、クラスを見渡す。起立、礼、の号令がかかる中、窓際の席に座る目的の人物の様子を窺った。

 麻里のターゲット、梅宮家次期当主の梅宮みのりは現在18歳。高校3年生である。麻里は教科書を開き、廊下側の列から音読をさせた。段落ごとに変わる生徒の声に耳をかたむけながら、物憂げな表情をしたみのりをそっと観察する。教科書に目を落としつつも心ここに在らずといった表情のみのり見て、こっそり溜め息を吐いた。


(私の授業って、そんなに面白くないのかしら……)


 ふう、と息を吐き出したところで、教科書を読み上げる声がやんだ。


「はい、ありがとう」


 麻里は声を張り、教壇へ戻ると教室を見回す。


「では、今日は主人公の『私』はどんな人物なのかを考えてみたいと思います。三十二ページを開いて……」


 黒板に板書をしながら生徒たちに設問を出し、粛々と授業を進めていく。一通りのノルマが終わったところで腕時計を確認すると、残りはあと6分ちょっととなっていた。


「では、明日は小テストを行うので」


 声を発した途端、生徒たちの非難が沸き起こる。


「やりたくなーい」


 駄々を捏ねる生徒たちをいなしながらプリントを配っていると、突然後方のみのりがガタリ、と音をたてて立ちあがった。


「梅宮さん? 質問なら手を挙げてほしいかな?」


 驚きながらも、これは何か話しかけるチャンスかもしれない、と期待を込めてみのりを見返す。だが、現実は上手くいかない。


「すみません。なんでもありません」


 静かに答え座り直したみのりを前に、麻里は何も言うことができなかった。

 陽が西に沈みかけた頃。麻里は学園を出て夕飯の食材の買い出しに、駅前のスーパーへ向かった。一人分に小分けされた野菜や肉を手にとり、ビールコーナーまでやってくる。


(どうしようかな?)


 別に飲みたい気分でもないが、発泡酒の特売には惹かれるものがある。麻里はしばらく迷った後、お気に入りの発泡酒を3本とってカゴに入れた。会計を済ませてバスに乗り込む。降りた最寄りのバス停から緩い坂を登りきると、やっと黄梅学園の独身寮へ辿り着いた。

 オートロックのエントランスを抜けて、玄関の鍵を開ける。中に入って荷物を置くと、ほっと息を吐いた。麻里はいまだダンボールの残る部屋を、何気なく見回す。一日中締め切った部屋には淀んだ空気が漂っていて、どことなく息苦しい。荷物とともに台所へ入ると、換気扇のスイッチを押す。買ってきた食材を入れるため冷蔵庫へ手をかけたところで、鞄に入れていた携帯が震えた。 着信の名前を確認するなり慌てて通話ボタンを押すと、怒鳴り声が耳をつんざく。


『学園を出たらすぐに連絡するようにとあれほど言っておいただろう!』


 がなりたてる上司に、麻里は即座に詫びた。


「申し訳ございません。どうしても、手の離せない用件があったものですから」


 テーブルの上に置かれた肉を手に取りながら言い訳を試みると、わざとらしい溜め息が聞こえてくる。


『言い訳はいい。君、まさかとは思うが、 自分のやるべきことを忘れているんじゃないだろうな?』


 上司の嫌味な問いに内心で冷や汗をかきつつ、もちろんです、と答える。


「今日もちゃんと会話しましたから」


 片手に肉を持ったまま直立不動で答えると、そうか、と上司が嬉しげな声を上げた。


『どんなことがわかった? 母親の情報は手に入れられたのかな?』

「はい。あの、いいえ、そこまでは……」


 言葉を濁す耳に、またしても重い溜め息が落とされる。


『小越君、俺が期待しているのは結果だ。そこのところ、今日一日よく考えておいてくれ』


 呆れかえったような上司の声音にはい、と力なく答えると、通話は切れた。また、叱られてしまった。それだけならまだしも、今日は心底呆れられてしまったみたいだし。


「どうしよう」


 もしこのまま結果が出せなかったら、どうなってしまうのだろうか。


「結果がすべて、かあ」


 自分なりに必死で頑張っているつもりだが、今のところすべて空振りで終わっている。麻里はテーブルに置かれたままの食材へ目をやった。ほとんど自動的に肉や野菜を冷蔵庫へ入れ始めると、ふと袋の中で冷たい物に手が触れる。発泡酒の缶だ。麻里はひんやりと汗をかいているそれを取り出し、缶を目の前に掲げる。冷たいアルコール入り炭酸飲料。今日は飲まないつもりだったし、明日の授業の準備もある。麻里は水滴のついた缶をしばらく無言で見つめた。


「かまうもんか!」


 缶の蓋を開け一気に煽ると、一瞬だけ今日一日の傷が和らいだような気がした。

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