主婦、お世話をする③
「帰りの途中で見かけたの。高等部の生徒を捜しているみたいだったわ」
「高等部の生徒? なんでまた?」
一美の言葉に首をかしげる。
「わからないけど、制服姿の高校生が通るたんびに車を止めて話を聞いてたの。しかも1台とかじゃなくて、なん台もよ」
「なんだか物騒ね。あの学園のそばだから安全だと思ってたけど、そうじゃないのかしら」
もし子供たちが狙われているとしたらと、想像するだけで少し血の気が下がる思いがした。
「本当よね。だから私、しばらくの間車で送り迎えしようかと思って」
でも帰りがね、と苦笑する一美に、律子は提案した。
「それだったら今日みたいにカズちゃんが迎えに来るまでうちで預かってるわよ。学校からうちまで私が迎えに行くし、ね?」
「それはすごく嬉しいけど、悪いわ」
一美が申し訳なさそうに肩を竦める。
「気にしないで。お互い様だし。それに翔も太一君と一緒だったら嬉しいだろうしね」
「いいの? ありがとう。本当に助かる。それじゃお言葉に甘えちゃおうかな」
抱きつかんばかりの勢で喜ぶ一美に、自分も嬉しくなった。
「もちろんよ。それよりお婆ちゃんの具合はどう?」
太一の祖母は近所の総合病院に入院している。今日もこれからそちらへ向かうため、太一を迎えにきたのだ。
「おかげさまでお義母さんも随分と元気になってきたわ」
「じゃぁ、もうそろそろ退院できるの?」
「そうなのよ。回復も順調みたいで」
一美が安堵の表情を滲ませて微笑む。彼女にとって姑にあたる人なのだが、嫁姑問題はないらしい。彼女の口から出てくる姑の話題はいつも、実の母子のように仲が良い様子がうかがえた。
「良かったわねー」
一美と一緒になって喜んでいると、ようやく太一たちが部屋から出てきた。律子は、太一と一美を見送るためサンダルへ足を下ろす。一美たちの後をついて外へ出ようとする前に、彼女が手で制してきた。
「ここでいいから」
律子は彼女の気遣いに頬を緩ませ、それに応じる。そして扉を開けたまま二人を見送った。
「あ~あ、行っちゃった」
車が見えなくなり、隣にいる翔がぽつりと呟く。その寂しそうな声音に、息子の頭へ手を置いた。
「また明日会えるでしょう」
「そうなんだけどさ……」
まだ遊びたりないと口を尖らす翔を宥めるように、髪をくしゃりとなでる。
「何やってるの?」
突然聞こえてきた声の方へ視線を向ける。娘の萌が中等部の制服姿で門扉越しに立っていた。初等部のあずき色したワンタッチ式のリボンが紐リボンに変わっただけなのに、中等部の制服を着ているほうが大人っぽく見えるのだから不思議でしかたない。律子は後ろで一つに結んでいる夫譲りの黒髪を揺らす娘に微笑みかけた。
「おかえり。今、カズちゃんたちが帰ったところなの」
「そうなんだ。ってことは何かおやつある? お腹すいちゃった」
萌がお腹に手を当てながら話す。今にも力尽きてしまいそうな弱々しい娘の声に笑みがこぼれた。
「ホットケーキがあるよ」
「本当! やったー」
翔の言葉に声を弾ませながら、萌が勢いよく家の中へと入って行こうとする。その後ろ姿をぼんやりと眺めていると、彼女が振り返ってきた。
「あっそうだ、ママ! 今日の夕ご飯何作るか決めちゃった?」
突然の問いに目をまたたかせて、首を横に振る。萌の瞳が輝いたように見えた。
「今日、藤丘の肉巻きロールとコロッケが食べたい」
藤丘で売っている肉巻きロールとコロッケは野木崎家全員の大好物だ。人参やインゲンと言った彩り野菜を薄切りの豚肉で包んである肉巻きロールには、藤丘が独自に開発した甘辛いタレが満遍なく染み混ませてある。子供のこぶし1つ分はある肉巻きロールだけでご飯が何杯でもおかわりできてしまうほどだ。そしてもう1つがジャガイモとひき肉だけで作られているコロッケだ。昔ながらの素朴な味わいが好きで野木崎家では肉巻きロール同様によく食卓にあがる。しかしながら、その惣菜が店頭に並ぶのは大抵お客の出入りが多い日曜日だったはず。律子は首をかたむけて、萌の顔を見つめた。
「えっ、今日? 今日は平日だから売ってないんじゃない?」
「えー、でも昨日広告見たら、今日のナイトセールで売るって載ってたよ」
ちょっと待ってて、と家の中へ駆け出した長女を待つことしばし。広告を指差しながら満面の笑みで戻ってきた。
「やっぱり今日だよ。ここに載ってるの肉巻きロールでしょう」
萌が指差した部分を見る。目玉商品の下段くらいに小さくナイトセールの商品名が載っていた。
「本当だ! じゃぁ、今日はそれにしようかしら」
「やったあ! オレ、3個は肉巻きロール食べたい」
翔のおねだりに答えようとして、重大なことに気づく。
「あっ、やっぱりダメだわ」
『えー、どうして』
子供たちの非難の声が両側からあがる。
「だって、まだお花ちゃんたちにお水あげてないんだもの」
水やりを終えてから買い物へ行ったとしても、人気のある惣菜だ。売り切れになってしまっているだろう。だからと言って丹精込めて育てている花たちの水やりをしないわけにはいかない。
(肉巻きロールとコロッケが買えないのは本当に残念だけど、私の可愛いお花ちゃんたちのほうが大切だものね)
律子は断腸の思いでそう決断する。そこへ翔のあっけらかんとした声が聞こえときた。
「そんなの姉ちゃんに頼めばいいじゃん」
なるほどその手があったか。人に頼むことなど考えつきもしなかった。翔の言葉に感心していると、萌が不満の声を発する。
「えー、なんで私が」
眉をしかめた娘に、縋るような眼差しを向ける。だが、萌はそれをあっさりと躱した。同性同士だと効果がないのかもしれない。
(まこっちゃんと翔だったら、このやり方でお願い聞いてくれるのに……仕方がない。肉巻きロールとコロッケは次の機会にしよう)
気を取り直すように大きく息を吐き出す。しかし翔は諦めきれないのか、胡乱な目を長女へ向けた。
「肉巻きロールとコロッケが食べられなくてもいいのかよ」
その一言に萌が呻く。しばらく考え込んだ後、しぶしぶと言ったふうに口を開いた。
「……わ、わかったわよ。じゃあ、庭の水撒きしておくからついでに、シュークリームも買ってきて」
(さすがは女の子だ。ちゃっかりしてる)
お駄賃を強請る娘の態度に感心する。律子は転んでもただでは起きない娘のしたたかさに内心で苦笑しつつも、素直に礼を言った。
「ありがとう。それじゃあ、今から超特急で藤丘まで行ってくるわね」
急いで家の中へ入る。その後ろから翔がついてきた。
「翔も一緒に行く?」
「うん」
元気良く返事をする翔に急かされながら、律子は出かける用意を始めた。




