主婦、買い物へ行く②
「う、疑り深いわね。いいわよ。えーっと、太一君が盗塁に成功して、祐輔君が三振しちゃって」
「違う! オレが盗塁に成功して、太一が三振。祐輔はホームランを打ったの」
結構自信があったのだが、違っていたようだ。こちらの言葉を被せる勢いで否定されてしまった。
「あら、そうだった?」
それにしても惜しかった。登場した人物の名前は当たっていたのだから目くじらを立てなくてもいいのに、と内心でぼやく。しかしそれがいけなかったのか翔は背を向け、肩を落として溜息を吐いていた。
「もういいよ」
「ごめん、ごめん。 今日は翔の大好きなハンバーグにしてあげるから」
律子は、いじけた息子の機嫌を取るために最終兵器を口にした。
「本当?」
上目遣いで窺ってくる翔に頷いて見せる。
「やっりー」
さっきのしょぼくれていた姿は嘘だったのかと邪推したくなるほどの変わりようだ。律子は全身を使って喜んでいる息子の姿に肩を竦め、苦笑した。
(まっ、いっか。怒らせたままだと荷物持ちしくれなくなっちゃうものね)
よほど嬉しいのか、翔はスキップをしながらお菓子コーナーへと向かって行く。大人顔負けの言葉を言ったかと思えば、こんな風にまだまだ子供っぽい態度を取ってくる。そんな息子を愛おしく思いながら背中見つめていると、重要なことを思い出した。
「翔! 明日、太一君を連れて3時までに帰ってきてね」
翔が振り返って首をかしげた。
「なんで?」
「明日、太一君ち、お婆ちゃんのお見舞いに行くんだって。太一君の家より、うちの方が学校から近いでしょう。だからよ」
わかったのか、わかっていないのか。ふーん、と曖昧な返事をしてくる息子に釘を刺した。
「時間厳守よ! 破ったら、この間買った『すごタロ』没収だからね」
「え、なんでだよ! ヒドイよ!」
まさか、これほど効果があるとは思わなかった。律子は、驚きを隠しつつ、半泣きの翔に優しく微笑みかける。
「翔が守れば問題ないんだから、大丈夫よ。それじゃあ、ひき肉を買って家に帰りましょう」
こちらの言葉に固まったままでいる息子の腕を引っぱりながら、彼の好物を作るため肉コーナーへとカートを押した。
※ ※ ※ ※ ※
買い物を無事終え、律子はトイレットペーパーや取り置きしてもらった花を自転車の荷台にくくりつけていた。3つだったはずの花は、ピンクと紫のペチュニアを2つずつ買い足したため7つに増えている。
(さすがに買いすぎちゃったかしら?)
前のカゴだけには収まりきらず、バランスを取るようにサドルの両脇に買い物袋がかかっている。翔の方へ視線を向ければ、息子の自転車のカゴも袋に詰め込まれたお菓子やらパンがぎゅうぎゅうに入っていた。
(まぁ、必要なものだから仕方ないわよね)
翔が慣れた手つきで荷台に箱ティッシュをくくりつけている。もしかしたら自分がするよりもきれいかもしれない。
「お母さん、準備はできたよ」
「よし。じゃぁ、家に向かってレッツゴー」
忘れ物がないか脳内で確認しながら、ペダルに足を乗せる。最初のひとこぎが重要だ。先発の翔のあとを追うように、律子はバランスを取りながら自転車を進ませた。
気持ちよく順調に走らせていると、赤信号に当たってしまった。
(あぁ、今日は信号運がないわねー)
律子は幾分がっかりしながら自転車から降り、前方で立ち止まっている翔の隣へと自転車を押す。その横を併走するかのように、黒い車が止まった。日も落ちて暗くなっているにも関わらず、その車は目立たっていた。なぜなら、後部座席がスモークガラスになっていたからだ。
(あぁいう車って、絶対怪しい人が乗ってるのよね)
あまりジロジロ見て因縁をつけられてはたまったものではない。何気なさを装い視線を前方へ戻す。自分とは逆に感嘆する息子の声が聞こえてきた。
「かっけー、あの車」
油の切れたロボットのような動きで翔に顔を向ける。自分が怪しいと称した車のことを言っているのは一目瞭然だった。
「翔! 危ないからジロジロ見るんじゃありません」
車の中まで聞こえるとは思わないが、念には念を入れておいたほうがよいだろう。律子は、小声で息子を諌めた。しかし、翔はこちらの配慮など気にすることなく普通の音量で反論してくる。
「えー、なんで? 全部真っ黒で鴉みたいでカッコイイじゃん」
「ダメよ。近くで見たくても近よっちゃダメだからね!」
親の心子知らずとはよく言ったものだ。不思議そうな顔で、どうして、と聞いてくる子供の反応に頭を抱えたくなった。
(ああもう、早く青になってー)
息子の視線がずっと車へ向いている。それさえ運転手に気づかれてしまうのではないかとヒヤヒヤしてしまう。律子の願いが届いたのだろうか。信号が青へと変わった。黒の車も直進だったようで、その姿はすでにない。それでも律子は、この場所から早く去ろうと、急ぎ足で自転車を押して横断歩道を渡った。
「あぁいう車には怖い人が乗ってるんだからね。誘拐されたらどうするのよ」
「そうなの?」
翔が怯えるような眼差しを向けてきた。
「そうよ。だからむやみに近づいたらダメだからね」
律子はうん、と神妙な顔つきで頷く息子に満足した。
「さぁ、翔の好きなハンバーグを作るためにも早く帰りましょう」
横断歩道を渡り終えると、気を取り直すように明るい声を出し再び自転車をこぎ始めた。




