主婦、買い物へ行く①
5月の下旬をすぎたとはいえ、日が沈む頃にはまだまだ上着が手放せない。野木崎律子はベージュ色の上着を羽織り、息子を連れて果杷駅へときていた。駅前ということもあるが、帰宅時間と重なってしまったのだろう。結構な数の人が行き来していた。律子は、その流れに逆らいながら目的地である東知へと向かう。4階建の東知は、婦人服から家電製品まで多種多様な商品が揃っている。地下1階の食品売り場などは、近所のスーパーよりも安いので重宝している。何より魅力的なのは入口付近に花屋があることだ。律子は今日も、地下へ向かう途中で足を止めた。買い物についてきた翔が、こちらの行動を見越していたかのように口を開く。
「お母さん、また苗買うの?」
呆れたような息子の表情は、一昨日も買ったじゃない、というセリフが見え隠れしていた。それでも律子は気にすることなく、翔を引きずりながら花屋へと進行方向を変える。
「今日は翔の好きな花にするから」
「オレの好きな花なんてないよ。それに一昨日だってそんなこと言ってたじゃん」
「お母さん、かー君の選んだ花を植えたいなー」
興味がなさそうな翔に、愛想を振ってみる。息子の反応を探っていると、顔見知りの店員が店から出てきた。
「いらっしゃいませ。いつもありがとうございます」
「こんばんは、今日のオススメとかある?」
「一昨日はペチュニアを買ってくれましたよね。じゃあ、これは? この花だったらこの間のペチュニアにも合うと思いますよ」
店員が店の中からマリーゴールドを持ってくる。黄色にオレンジ、そして白。色鮮やかなマリーゴールドが箱の中にいくつも入っていた。
「わぁ、キレイね。翔、どの色がいい?」
「え? オレが決めるの? んー、そうだなー」
あれだけ文句を言っていたくせに、真剣に悩み始める。そんな息子の姿に律子は自然と頬が緩んだ。
(ほんと真面目よねー。誰に似たのかしら?)
自分でないことだけは確かだ。きっと夫の誠に似たのだろう。最近残業続きで帰りが遅い夫を思い浮かべ肩を竦める。
(変なところにこだわりを持つところも似てるわよね)
店員が地面に置いたマリーゴールドをしゃがみこんで吟味している翔を見てしみじみ思う。
(毎日ジャージばっかり着て飽きないのかしら?)
息子の箪笥の中には、スポーツメーカーが販売しているジャージしか入っていない。季節ごとに発売されるジャージを色違いで買い揃えるほどのこだわりようだ。自分には同じ色合いの同じデザインにしか見えないのだが、ところどころ違うらしい。たまには普通の服を着てみては、と勧めてみるのだが今のところ首を縦に振る気配はない。
(まぁ、洗濯に気を使わないから楽なんだけどね)
6年生にあがってから、急激に背が伸び始めた息子にはジャージの方が動きやすさを重視している分、楽なのかもしれない。翔の背中をぼんやりと眺めていると、ふいに振り返ってきた。
「これがいい、このオレンジのやつ」
翔が選んだものは、赤く縁取られた花びらが中央にいくにしたがってオレンジになっているマリーゴールドだった。その選別に律子は満面の笑みを向ける。やはり息子に選んでもらって良かった。どうしても自分が選ぶと、無難な色合いばかりを選んでしまい、面白みに欠けてしまうのだ。
「じゃあ、これにするわ。あと、これとこれも」
店の中に入っていた店員を呼び戻し、翔が選んだ苗とその他に目をつけておいた黄色と橙色のマリーゴールドを指差す。
「毎度ありがとうございます」
店員は、嬉しそうに微笑みながら、3つのマリーゴールドを丁寧取り出した。
「それじゃ、これはお取り置きしておきますね」
こちらが言おうとしていた言葉を予測していたのだろうか。お願いする前に言われてしまった。律子は内心で苦笑する。
「いつもありがとう。お願いします」
軽く会釈をしてから、今度こそ地下の食品売り場へと降りて行った。
カゴをカートに乗せ、食品売り場をゆっくりとした速度で歩く。1円でも安く。律子は、広告の品や、低価格になっている野菜を見つけては、カゴの中へ入れて行く。その間に、隣を歩く翔が今日あった出来事を話し始めた。
「今日ね、学校で漢字のテストがあってね」
律子は適当に相槌を打ちながら野菜を手に取り、鮮度を念入りに調べた。
(あら、このピーマン昨日の方が安かったわ。失敗したわ)
店側の狙いにまんまと引っかかってしまった。勝負をしているわけではないのだが、自分が買った値段よりも安い値段を見つけてしまうと、負けたように思えて切なくなる。それでも、たまにはこんな日もあるわよね、と自分を慰めながら掘りだし物がないか目を凝らす。
(昨日は、生姜焼きだったから今日は魚がいいかしらねぇ)
つけ合せは何にしようかと考えていると、翔の不貞腐れた顔が目に入った。
「なーに、そんな顔して。お腹すいたの?」
的外れな質問をしてしまったらしい。息子の目が釣りあがるのがわかった。
「もう、お母さん。またオレの話聞いてなかったでしょう?」
図星だった。しかし素直に認めてしまうのは教育上良くないだろう。その上、親の沽券にも関わりそうだ。律子は、動揺しつつもそれを見せないように反論した。
「そ、そんなことないわよ。ちゃんと聞いてたわ」
こちらをじっと見つめてくる子供の澄んだ瞳を見ていると、若干心苦しくなる。律子はゆっくりと息子から目を逸らした。しかし、そんな大人の狡さを見破ったかのように、翔が問い詰めてくる。
「じゃぁ、なんて言ったか言ってみてよ」
律子は嫌な汗をかきながら、うろ覚えの記憶を頼りに言葉を紡ぎ出した。




