お坊ちゃん、種を見つける
拙作を読んでくださりありがとうございます。
本日の更新はこの回にて終了です。
明日午前8時より23時まで更新を行いますので、
引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
ゆったりとした上り坂のカーブを曲がる。公園内にある樹木のように整然と生い茂る桜並木の向かい側に、緑色のフェンスに囲まれた初等部が見えてきた。やはり下校時刻はとうの昔に一段落してしまったのか、ランドセルを背にした児童の姿は見えない。
代わりに、校庭で制服のまま遊んでいる児童を見つけた。
桜色のブレザーを脱ぎ捨て、焦げ茶色をした吊りバンドの半ズボンと黒の革靴を白く汚しながら、楽しげにキャッチボールをしている少年たちだ。あずき色の蝶ネクタイが曲がろうが白いシャツが茶色に染まろうが、彼らにはまったく関係ないらしい。
(いいなあ)
涼介はフェンス越しに見えてきた微笑ましい光景を前に、しばし立ち止まった。
「あの頃はよかったなあ」
涼介はひとりごちる。
家に居場所がなかった自分にとっては、小学校が唯一心の拠り所だった。見よう見まねで覚えた手品も功を奏し、あの頃は我ながら人気者だったと思う。毎日が楽しくてしかたがなかった、というほど充実していたわけではなかったが。それでも今より少しは夢のある人生を歩んでいたような気がする。遊ぶ少年たちを眺めながら思い出に浸っていると、ふと今朝の夢を思い出した。
『ロクな大人にならないから』
涼介は込み上げる苦味に耐えて唇をへの字に曲げ、フェンスへ指をかける。
そうだ。
あの呪詛をかけられたのも、確かこれくらいの年ごろだった。せっかく一瞬前までは、いい時代だったと懐かしく思っていたのに。
「そうでもなかったか」
涼介は眉を限界まで顰めると、少年たちから目を逸らし先を急いだ。
新緑の生い茂る桜や欅のトンネルを抜けると、ふと視界が開ける。前方には大きな噴水が水を湛えており、その奥には図書館が見える。左手にはカフェテリアもあり、中学生や高校生たちが各々の放課後を満喫していた。ここならばあのお嬢様の姿も見つけられるかもしれない。涼介は不審がられぬ程度に女生徒たちの姿を追った。
確か桜色のブレザーに小豆色のネクタイを絞め、焦げ茶色のスカートを履いているのが高等部で。色はすべて同じだが、四つボタンのブレザーに紐リボンを身につけているのが中等部だったはずである。涼介はそれら女生徒たちを一通り眺めやると、ふと吐息した。
「ここにはいないみたいだな」
残念なようなほっとしたような複雑な気分のまま佇んでいると、横から黄色い声が上がった。
どうやら女子高生たちの集団がなにかの噂話に興じているらしい。耳を澄ますと、広場のあちこちから楽しげな笑い声が聞こえてくる。
「理想とか夢とかからは、ずいぶん遠いところにきちゃったよな」
涼介は意味もなくただ噴水前でじゃれ合う男子高校生の姿を眺めながら、己を振り返り自嘲した。はたして自分は高校時代に、何か一つのことへ夢中になったことが一度でもあっただろうか。歩き出しながらしばし黙考して、涼介はないな、とかぶりを振る。
「何しろ末端とはいえ、あの人が当主の一族に生まれちゃってるんだもんなあ」
涼介は噴水を横切ろうとして足を止めた。目に入ってきた二つの銅像を恨めしげに眺めやる。一体は一族の祖である梅宮太郎の彫像であり、もう一体は一族の当主でこの学園の理事長でもある、梅宮美都子の彫像だった。
『梅の実の恩恵に感謝する気持ちを持つにはまず教育から』をモットーに創立されたこの学園は、理事長の梅宮を筆頭に、彼女の夫、忠臣を含めた十人の梅八家によって運営されている。何を隠そうその内の1人は涼介の二番目の兄、雅仲であるため、中学へ上がる頃にはすっかり周囲から一線引かれてしまい、友人らしい友人もいなくなってしまった。先刻会った友永は大学に入って唯一できた友人であり、貴重な存在だ。教授でさえ一々気を遣ってくる現状において、自分の出自を知ってなお友人として接してくれる人物など、そうはいないのだから。
「今度、なにか奢ろうかな」
涼介はふいに込みあげてきた気恥ずかしさを誤魔化すように、呟く。俯いて足元の微かな砂を小さく蹴ると、銅像の前を後にした。
なんだかんだと脇道に逸れながらも、どうにか高等部の周辺までやってくる。
「やっぱり広いなあ」
通い慣れた場所とはいえ、三年も経つとかなりな場所がうろ覚えである。大学が幼、初、中、高、より一段高い別の敷地にあるからかもしれない。そんなことをつらつらと思いながら無事に高等部の階段前まで辿り着く。そこへ、階上からグレーのパンツスーツ姿の女性が、ショートカットの髪を揺らしながら階段を駆け降りてきた。
見覚えのない顔だが、教師だろうか。涼介はかなり焦っている様子の女性を前に、一瞬声をかけるのをためらった。とはいえ、完全とは言えないまでも部外者となってしまった今の自分には、このままのこのこと高等部へ足を踏み入れていいものかどうか迷うところである。まあ、最悪自分の身分を明かせば楽勝なのだが、それだけは個人的になんとしても避けたかった。
(やっぱり訊いとこう)
涼介は意を決して女性へ近づき、声をかける。
「あの、すみません」
「え? あ、はい」
遠くを探るような目つきで眺めていた女性が、取り出していた携帯を下ろして見てきた。
「突然すみません。俺、この学園の卒業生なんですが、卒業以来高等部へ入ったことがなくて。 職員室へ行きたいんですが、どのように手続きを踏んだらいいんでしょうか」
なるべく丁寧な口調で尋ねると、女性が数回目を瞬いたあと小首をかしげてくる。
「あ、えーっと。アポイントメントをとっていらっしゃいますか?」
「いえ」
女性の問いにかぶりを振ると、女性が表情を改め口を開いてきた。
「では、階段を上がって正面に扉がありますから、その右側のインターホンを押して待っていてください。受付の方が開けて取り次いでくださいますから」
落ちついた口調で語るその声音に、涼介は少しだけ安堵する。
(こんな可愛らしい人に邪険にされたら傷つくもんな)
涼介は女性の茶色い瞳を見ながら、そうですか、と頷いた。
「ありが……」
礼を言おうと軽く腰を曲げかける。が、女性はいえ、と短く答えると携帯を耳にあてながら走り去ってしまった。
「なんだ?」
感謝の意を述べそこなった涼介は、女性の後ろ姿を見つめ肩を竦める。
「まあ、いいか」
一人軽く頷くと、改めて久しぶりに見る長い階段へと目をやった。テンポ良く階段を駆けあがる。せっかくなので段を数えながら上っていった。
「ろっくじゅっ、と!」
日頃の運動不足を痛感しながら最後まで上がりきり、荒くなった息を整える。深呼吸をしながら上体を起こすと、左側の自動販売機に目が止まった。
ふいに、喉の渇きを自覚した。
自動販売機の前に立ち、ジーパンの後ろポケットから二つ折りの財布を引っ張り出す。すると、財布の脇から何かが転がり落ちるのがわかった。
「ん?」
目をまたたき落ちた物を拾う。
「なんだ、これ?」
空に翳して良く見るとそれは梅によく似た形ながらも、少し変わった色の種だった。
言うなれば、玉虫色の梅の種。
「なんでこんなものがこんなところに?」
涼介は眉根を寄せる。自分はこの種の正体を朧げながら知っている。だが、なぜそれが今、自分のジーパンから転がり出てくるのだろう。
「どういうことだ?」
なんとなく、嫌な感じがする。涼介は財布の小銭入れの中に種をしまい込むと、どうかこれ以上面倒なことになりませんように、と心から願うのだった。




