5.先生、面白い話が書きたいです(「ああ読んで良かった」と言ってもらえる工夫を)
ここは安藤の家の書斎。
会わせたい人が居る、と編集長が紹介してきた。
その人物を見た瞬間、安藤は顔をしかめた。
「やあやあこれは。
安藤先生、いや、先生なんて言葉ももったいない。
安藤君で十分か」
文学界の癌と呼ばれたこの男、評論家の増井十五郎である。
『小説なんて時代遅れ』という本を出し、それがベストセラーとなった。
その後も、小説がいかに表現技法として古いか、という文章ばかり書いている。
安藤でなくても、小説家ならば不愉快に思うのは当然である。
「今回の企画は、増井さんと安藤先生で、小説の未来を語っていただきたいのです」
編集長がそう言うが、冗談じゃない。
この増井という男のせいで、将来が潰れた小説家が何人居ると思っているんだ。
この男に感化された親に「小説家にだけはなるな」と言われて、泣く泣く夢をあきらめた有望な若者が。
安藤は口には出さないものの、不快感を隠さず顔に表す。
「おお怖い怖い。安藤君、僕は小説の将来を案じて、こうして君と会話しに来たというのに」
「……今すぐ帰りたまえ」
「んん? 聞こえなかったなぁ」
「今すぐ帰れと言ったんだ!! 二人ともだ!!
二度と私の前に現れるなッ、このクソッたれども!!」
安藤は増井と編集長を家から閉め出した。
もうあの編集長とは話さない。
4年ぶりに、他の出版社に移るぞ。
そう決意した瞬間だった。
イライラを紛らわそうと、メールボックスを覗くと、悩める若者からメールが届いていた。
『安藤先生こんばんは。突然のメール、失礼します。
私、小説家にニャろうで小説家をしております、ハンドルネーム、海辺のテトラポットと猫、と申します。
拙著『猫と乗る潜水艦の異世界旅行』は、私の処女作の連載作で、初心者なりに固定読者が付いて満足しております。
ですが、小説を書いている時、ふと思うのです。
私の小説は面白いのだろうか、と。
もちろん毎回全力で書いていますし、読者の嗜好に応じた内容を心がけているつもりです。
ですが、時々思うのです。
私が書くまでも無く、世の中には私以上に面白い話を書く作者様が居るから、彼らに任せていれば良いのではないか、と。
弱音を吐きましたが、励まして欲しいわけではないのです。
私が知りたいのは、先生が考える、面白い話の書き方です。
差し支え無ければ、どうかご指導お願い申しあげます』
安藤は安心した。
まだ小説界の未来は明るい。
増井のクソッたれの心配なぞ、余計なお世話だ。
いつも通り、メールの主の小説を検索する。
海辺のテトラポットと猫著『猫と乗る潜水艦の異世界旅行』を見つけ、読む。
まだ20話、80000字程度しか無い小説。
技法も書き方もまるで素人。
これがもし新人賞の選考なら、即座にはじかれるような文章。
だが。そこには作者の世界が有った。
他のどこにも無い、作者だけが見せることが出来る世界が。
読んでいて、気付いたことをメモする。
そして、よし、と掛け声とともに文章作成ソフトを立ち上げ、カタカタと文章を打つ。
『海辺のテトラポットと猫さんへ。メールありがとう。
面白い話の書き方が知りたい。
君はそう言うがね、とりあえず文章力を磨きなさい。
小説には基本的な書き方のルールがある。
意図的にそのルールを崩すならともかく、それを知らずに書くのはよろしくない。
第一、読みづらい。読みづらいということは、ブラウザバックされる確率が高まる。
どんな小説だって、読まれなければ価値は無い。
文学小説が読まれなくなったと嘆く輩が居るが、私に言わせればそれは当たり前の話だ。
現代人にとってそれらは非常に読みづらいからだ。
偉大な小説家達の小説すらそんな有様だ、いわんや無名に近い君ならなおさら。
まずは大衆が読めるような文章が書けるようになる、これは大前提だ。
さて、脱線したが、面白いという言葉は英語で訳すと数種類あることはご存じか。
Funny、Interesting、Entertaining、Excitingなどなど。
Funnyはユーモアがあり笑いをさそう面白さ、おかしさとも言える。
Interestingは知的好奇心を刺激するような面白さ、興味深さとも言える。
Entertainingは踊りやコンサートなどの面白さ、感動的とも言える。
Excitingはハラハラドキドキするような面白さ、刺激的とも言える。
ところで君が言う面白さはどれだろう?
別にギャグを書きたいわけではないのだろうね。
知的な小説が書きたいわけでもなさそうだ。
とすると、人を感動させたり、ハラハラドキドキさせる、そんな面白さのことかな。
人を感動させるのはどうすればいいか分かるかい?
君がどんな時に感動するのか考えれば良い。
面白い映画とつまらない映画の違いは何?
面白い小説とつまらない小説の違いは何だろう?
答えはこうだ。
「ああ見て(読んで)良かった」と言ってもらえるかどうか、その違いだ。
そう言ってもらえるように、物語に入ってもらえるように工夫しているか。
その違いだ。
具体的に言えば、まずカメラワーク。
映画でこれが悪いと壊滅的だが、小説でも同じ。
何に焦点を当てて書くか、何を目立たせると良いのか悪いのか。
それを理解していない小説は、まずつまらない。
次に五感に訴える。
映画だと視覚と聴覚に訴える。
小説だと文字だけだけれども、読者に想像してもらうことで想像上の五感に訴えることが出来るのだ。
どんな姿形か色か、どんな香りか、どんな音か、どんな感触か、どんな味か。
我々小説家は、読者の五感に訴えるために、それらを書く。
あるいは、それらをイメージしやすいように書く。
読者がイメージ出来なければ、まず没頭してくれない、よってつまらなくなる。
最後に緩急。
車の運転でも、直線でスピードを出し、カーブでスピードを落とすね?
小説でも同じ。
それほど重要でない部分には少量の分量を。
じっくり読んで欲しい場所にはしっかり分量を充てる。
これが出来てないと、つまらない場所で足踏みする小説になり、読者がイライラする。
私のアドバイスは以上だ。
ん? 面白い話のネタ作りのコツ?
読者の潜在的な願望を満たすのが良いだろう。
それだけだと物足りないから、目新しさも少し盛り込むのがベターだ。
私は、ドラマや小説などを見た時、自分ならこのような話にする、というネタを普段から少しずつ溜めている。
読者によって何が面白いと感じるかは、年代や性別、職業によって微妙に違うから、それを自分で考察すると良いだろう。
……正直に言うと、これそれをすれば絶対に面白くなる!という方法は知らない。
他の小説家も各自持論を持っているが、全員バラバラだ。
君は君の価値観を大切にすると良い。
君の小説は、アイデアだけなら十分面白いのだから。
君が面白い話を書くことが出来るようになることを祈って。安藤将正』
この男、上から目線で独善的である。
安藤はメールを返信して満足し、退職届を出版社に提出しに出かけた。
出版社からは、この時代に小説家として再就職は出来ないぞ、止めておけと言われた。
自分を舐められていると思いカチンときた安藤は、周囲の反対を押し切り退職してしまう。
それから、原稿を色々と出版社に持ち込みするが、どこにも断られてしまう。
小説が受け入れられなかったわけではない。
安藤がわがままを言って、印税の話でもめたからだ。
仕方ないな、と安藤はとある友人に電話をかける。
「安藤だ。……ああ、あそこの出版社は辞めた。
うん、今は暇している……そう、君に相談があるんだが……一緒に出版社を立ちあげないか?」
この男、小説以外これといって趣味が無いので、無駄に金を持っていた。
元々、無駄遣いさえしなければ印税(弁護士に頼んで、出版社を辞めたり変えたりしても印税が入るような契約をしている)で食っていける身分である。
さらに知り合いに印刷所、編集経験者、広告、そしてフリーの小説家達など。
無駄にコネを持っていた。
知り合いの中で協力者を募り、自分のHPで職員募集を募り……出版社を立ちあげてしまう。
やがて彼の出版社の仲間に、稀代の天才なんか妖怪がしゃどくろうが加わり、彼の小説がベストセラーとなる。
それを契機に、出版社が目をつけなかった若い秀才たちが安藤の元へ集まり、思う存分創作活動を行うのだった。




