第12話 エレンと真奈美、風に乗る声
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苦手な方はご注意くださいませ。
決勝戦が始まった。
コートの周囲はほぼ満席で、遅れてきた生徒たちも息を潜めて席に着いている。話し声がぴたりと止み、ネットの向こうで二人の足音だけが小さく響いた。審判の声が場内に落ち、詩歩が先に打つ側になった。
真奈美がラケットを握り直す。詩歩も膝を軽く沈めて構える。空気が一段階張りつめた。
最初のポイントから、激しい打ち合いが始まった。
詩歩が力強くボールを打ち込む。真奈美は横に動いてラケットを合わせ、反対側のコートへ返す。それを詩歩がすぐに追いついて打ち返し、真奈美もまた動く。ボールがネットを越えるたびに、軽い音が響き渡っていた。お互いが相手の空いた場所を狙って打ち合い、コートを大きく使った展開になっていく。
二人が鋭く打つたびに観客席から拍手が起こる。エレンは、息を呑んでその一部始終を見ていた。真奈美の動きは、これまで以上にキレがあり、普段のゆるやかな空気感が完全に消え、集中しきった顔になっている。ラケットを握る手に力がこもり、足先が小刻みに動いていた。
秋も隣で、同じようにコートを見つめていた。腕を組んだまま、表情はあまり動かない。それでも、真奈美が動くたびに視線がしっかりついていくのがわかった。
詩歩も負けてはいなかった。次のポイントでは詩歩が前に出て短いボールを処理し、真奈美が後ろに下がって高いボールを打ち返す。お互いの息が徐々に荒くなり、ユニフォームに汗の染みが広がり始めていた。太陽が高く、コートの照り返しが強い。それでも二人は止まらない。
試合が進むにつれて、ポイントがなかなか決まらなくなってきた。
お互いが良いボールを打ち合い、どちらも簡単には終わらない。真奈美がネットの近くまで走ってボールを拾えば、詩歩が鋭いコースを突いてくる。そんな攻撃にも真奈美は食いついていく。観客席からは「すごい」「どちらも強い」という声が絶え間なく聞こえてきた。
エレンの胸が、熱く高鳴っていた。
真奈美がボールを追いかけて大きく踏み出すたび、白いシューズが地面を蹴る。ラケットが振られる瞬間、空気が動くような感覚がした。汗が頰を伝い、顎から落ちる。その一滴が陽光を受けて光った瞬間、エレンは思わず身を乗り出した。
「真奈美さん……!」
声が思ったより大きく出た。
隣で奏海が目を丸くする。普段ほとんど声を上げないエレンが、はっきりと名前を呼んだのだ。エレン自身も、その声に驚いて口を押さえた。でも、止めることはできなかった。次のポイントで真奈美が厳しいボールを追いつけたとき、再び声が出る。
「頑張れ……!」
奏海が「柚香ちゃん、すごい声出てる」と小さく笑う。エレンの頰が一気に熱くなった。それでも視線はコートから離せない。真奈美が詩歩の強いショットを体を沈めて拾い、反対側へ打ち返した瞬間、観客席が大きくどよめいた。エレンも手が熱くなるのを感じていた。秋は横で短く息を吐いた。何も言わなかったが、視線は真奈美から外れていなかった。
試合はさらに緊迫していった。
ポイントは一進一退で、どちらが勝ってもおかしくない展開になる。詩歩の肩が上下し、真奈美もタオルで何度も顔を拭く。それでも目の色は変わらない。最後までやり切る意思が、互いの視線に宿っていた。
最終盤。
お互いの足が重くなり始めている。詩歩が深く息を吸い、真奈美もラケットを握り直す。次のポイントが、大きく試合を左右しそうな気配がしていた。真奈美がボールを打ち込む。詩歩がぎりぎりで返す。真奈美が前に出て処理しようとするが、詩歩がそれを読んで高く打ち上げる。
それを、真奈美はまるでわかっていたかのように後ろに下がり、形よく構えたその腕を思い切り振り下ろした。
乾いた、高い音がコートに弾け、ボールが詩歩のコートの隅に落ちる。
イン。
審判の声が響き、試合終了の合図が出る。真奈美はその場に膝をつくようにして、大きく息を吐いた。詩歩はラケットを地面に突き、しばらく俯いてから、ゆっくりと顔を上げた。そして、ネットを越えて真奈美のところへ歩いていく。
二人が軽く握手を交わすのが見えた。詩歩が何か言って笑い、真奈美も小さく頷いている。そのやり取りに、観客席から温かい拍手が起こった。
エレンは、その拍手の中でただ真奈美を見ていた。
汗で髪が額に張り付き、頰が赤い。それでも、目元はクリアでどこか満足そうに緩んでいる。普段のマイペースな真奈美とは違う、戦い終えたあとの晴れやかな表情。その姿が、胸の奥に深く残った。秋もまた、拍手が止むまでその横顔を見続けていた。
表彰のあと、選手たちがコートを離れ始める。
真奈美がタオルで顔を拭きながら、ゆっくりと歩いてくる。その背中を見た瞬間、エレンの体が勝手に動いた。席を立ち、周囲の人をかき分けるようにして、真奈美のところへ駆け寄る。
「真奈美さん……!」
真奈美が振り返った瞬間、エレンは思わずその腕に手を伸ばしていた。指先が、汗で少し熱を帯びた真奈美の腕に触れる。柔らかな感触が掌に残った。
「勝ちましたね。最後まで、本当に……すごかったです」
声が少し上ずっている。真奈美は目を丸くしたあと、柔らかく笑った。
「ありがとう。声、聞こえてたよ」
「っ……」
その言葉に、エレンはようやく我に返った。自分が声を上げて応援していたこと、勢いのまま駆け寄ってしまったこと、そして今、真奈美の腕を掴んでしまっていることに、遅れて恥ずかしさが込み上げてくる。頰が一気に熱くなり、あわてて手を離した。赤いリボンを指で強く弄んでしまう。
「す、すみません。つい、浮かれてしまって……手まで……」
「いいよ。嬉しかった」
真奈美がそう言うと、エレンはさらに小さくなった。奏海が後ろから追いついてきて、「柚香ちゃん、あんなに走るの初めて見た」と優しく笑う。秋も少し遅れて近づいてきて、真奈美に「お疲れ。いい試合だったよ」と声をかけた。声は明るかったが、視線がわずかにエレンの方へ流れた気がした。エレンは俯いたまま、小さく「申し訳ありません」と繰り返すしかなかった。
それでも、胸の奥に残った熱は、なかなか冷めなかった。
コートに立つ真奈美のかっこいい姿。汗を飛ばしながらボールを追い続ける姿。そして、勝ち終えたあとの笑顔。それに加えて、今、自分の手が触れてしまった腕の感触。それらがすべて混ざり合って、エレンの中に強く残っている。
詩歩が遠くから手を振ってくる。真奈美も手を振り返し、再びエレンの方を見た。
「疲れた?」
「いいえ。真奈美さんの方が」
「私は大丈夫だよ。気持ちよかった。いい試合だったし」
真奈美はそう言って、空を見上げた。青く澄んだ空がどこまでも広がっている。風が吹き抜け、汗で湿った肌を冷やしていく。エレンは、その横顔をそっと見つめた。秋は少し離れた位置で同じ空を見上げていた。
声を上げて応援してしまったこと。勢いのまま駆け寄って腕を掴んでしまったこと。どちらも、あとから恥ずかしさでいっぱいになった。でも、後悔はしていなかった。
真奈美が輝いていたから。
その姿をちゃんと見ていられたから。
夕暮れが近づく校庭で、二人は並んで立ち、まだ熱の残るコートを見下ろしていた。




