第11話 エレンと真奈美、コートの光
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苦手な方はご注意くださいませ。
スポーツフェスティバル二日目を迎えた朝は、昨日よりさらに晴れていた。
校庭の中央に、臨時のテニスコートが二面設けられている。ネットが張り直され、白いラインがくっきりと地面に引かれていた。テニスは今年のメインイベントのひとつで、ほとんどの生徒が観戦に訪れていた。もちろん強制ではない。教室に残る者や、別の場所で休憩する者もいる。それでも、コートの周囲はすでに人だかりができ始めていた。
エレンは観客席に座り、赤いリボンを指で触れていた。奏海が隣で「緊張してる?」と尋ねてくる。
「……大丈夫です。真奈美さんを、見ていたいので」
その言葉に、奏海は優しく目を細めた。それから少し遅れて秋がやってきた。ポニーテールを揺らしながら、奏海たちの姿を探して近くに座った。
「やっぱり来た。真奈美が出るって聞いたから」
秋は明るく言ったが、視線はすぐにコートの方へ向いている。エレンは小さく会釈をし、秋も短く頷き返した。どこかにぎこちなさが残っている気がするが、それでも、敵意のようなものは感じられなかった。
真奈美がコートに出てきた。
白いユニフォームに袖を通し、ラケットを軽く振っている。普段の教室で見せる、少し間の空いた穏やかな表情とは違っており、目が引き締まり、体全体に集中した空気がまとわりついている。エレンはその姿を見ただけで胸の奥が小さく跳ねた。
一回戦が始まる。
真奈美の相手は同じ学年の男子生徒だった。審判が合図を出し、相手がボールを高く投げ上げて打ち込む。真奈美は軽く横に動いてラケットを振り、ボールを向こう側のコートに返す。相手が走って打ち返してきても、真奈美は焦らずに位置を取り、今度は相手が届きにくい場所へボールを運ぶ。これを繰り返すうちに、相手の動きが徐々に乱れていった。
エレンは、その様子をじっと見つめていた。
真奈美の動きは、無駄がなかった。ボールが飛んでくる方向を早めに読んで、さっと移動する。ラケットを振るタイミングも自然で、力みがない。目がはっきりとボールを捉え、体全体が一つのリズムで動いている。
「……きれい」
小さな声が、自分の口から漏れた。真奈美が体をひねってボールを返す瞬間、白いユニフォームが風を孕んで揺れる。その姿が、まぶしく見えた。秋が横でちらりとこちらを見た気がしたが、エレンは気に留めなかった。今は、コートの真奈美だけが目に入っていた。
試合はあっさりと真奈美の勝利で終わり、隣のコートでも、ほぼ同時に詩歩が勝って終わっていた。詩歩は腕を振り上げて小さくガッツポーズをし、真奈美と目が合うと、遠くから親指を立てた。
二回戦、三回戦と進むにつれて、観客の熱は徐々に高くなっていく。
真奈美も詩歩も、他の選手を圧倒していた。ボールを打ち込む力、返す正確さ、コート全体をカバーする足の速さ。どちらも明らかに他の生徒より上手く、周囲が「この二人は別格だ」と認識し始めている。途中で「このまま決勝で当たるんじゃないか」という囁きが、観客席に広がった。
エレンは、そのたびに胸の奥が小さく高鳴るのを感じていた。
真奈美がボールを追いかけて横に大きく踏み込む姿。ラケットを振り切ったあとに流れる髪。息を整えながら次のポイントに備える、キリッとした目元。普段の柔らかい印象とは違う、鋭くて集中した顔。その違いが、エレンの視線を釘付けにする。
「柚香ちゃん、真奈美のこと、すごく見てるね」
奏海が小さく笑って言った。
「……はい。かっこよくて」
自分でも驚くほど素直に出てしまった言葉に、エレンは耳まで熱くなった。奏海は「わかる」とだけ言って、それ以上は突っ込まなかった。秋は腕を組んだまま、短い沈黙のあと「まあ、真奈美は昔から運動できるし」とだけ言った。声のトーンは平淡に。
準決勝。
真奈美の相手は、昨年も上位に残った三年生。初めて、試合に本格的な緊張感が生まれた。相手の打ち込むボールが速く、真奈美も一歩下がって慎重に受け止める。お互いがボールを打ち合い、コートを往復する時間が長くなっていく。真奈美の額に汗が光り始めた。それでも彼女の足は止まらない。相手が狙ったコースへ飛んできたボールを、ぎりぎりで追いついて返す。観客から小さな歓声が上がった。
エレンは、いつの間にか拳を握りしめていた。
「……頑張れ」
声にならない声が、喉の奥で震える。真奈美が厳しいボールを体を沈めて拾った瞬間、エレンは思わず身を乗り出した。胸の奥が熱くなり、視線を外すことができなかった。普段の自分なら、こんなに身を乗り出してまで見つめることはなかったはずだ。なのに今は、コートに立つ真奈美の一挙手一投足が、すべて気になって仕方がない。
そして準決勝も、真奈美は勝ち切った。詩歩も同じく勝利し、決勝の組み合わせが決まる。斉藤真奈美対佐藤詩歩。まさかの宣言通りの顔合わせに、観客席がどよめいた。
決勝までの休憩時間。
真奈美はベンチで水を飲みながら、タオルで顔を拭いた。詩歩が隣に来て肩を並べる。二人が何か話し、軽く拳を合わせるのが見えた。その様子を、エレンは遠くから見つめる。真奈美の横顔が陽光を受けて少し赤くなっていて、汗で張り付いた前髪が、額にかかっていて。その姿がひどくまぶしかった。
コートの整備が終わり、観客席の熱がさらに高まっていく。
真奈美がラケットを握り直し、軽く素振りをする。詩歩も反対側で肩を回している。二人の間に、はっきりとした緊張感が流れていた。周囲の生徒たちも「いよいよだ」「どっちが勝つんだろう」と囁き合っている。
エレンは、その光景を見つめていた。
真奈美のユニフォームが、すでに汗で背中に張りついて見えた。声には出さないまま、ただその背中を目で追いかけている。いつの間にか、指先が髪の赤いリボンの端に触れていた
決勝で真奈美がどんな顔をしてボールを追うのだろう。
そのことだけが、今は何よりも気になっていた。
秋もまた同じ方向を見ていた。腕を組んだまま、静かな横顔をしている。エレンはそれ以上深く考えなかった。今は、コートに立つ真奈美のことだけが胸を満たしていたから。
決勝が始まろうとしている。




