中編
線路の上を、星座が走ってきた。
オリオン座が先頭車両のように迫り、カシオペヤ座が吊り革みたいに揺れ、北斗七星が車掌の笛を吹いていた。銀河鉄道という言葉を知っている。しかしそれは文学の中の比喩であって、踏切の前で腹を押さえている高校生の前に実物として来るものではない。
片桐さんが僕の袖をつかんだ。
「何、あれ」
「たぶん、公共交通」
「乗れるの?」
「乗ったら、どこに着くのかわからない」
「駅前公園には?」
「停まってほしい」
星座列車は踏切の前で停まった。
扉が開いた。
中から車掌が現れた。
車掌は人間ではなかった。頭は満月、胴体は細長い時刻表、足元だけが新品のローファーだった。胸には名札がついていた。
車掌長 排泄星雲
「ご乗車ですか」
車掌が言った。
声は担任の山下先生に似ていた。
「駅前公園まで」
僕は必死で言った。
「当列車は、駅前公園には停まりません」
「じゃあどこに」
「限界の向こう側です」
「そこにトイレはありますか」
「トイレという概念を置いてきた者だけが到達できます」
「だめだ、会話の駅を乗り過ごしてる」
片桐さんが小声で言った。
僕もそう思った。
だが僕の腹部は、もう人間同士の会話を必要としていなかった。中で議会が解散し、軍部が実権を握っていた。憲法は停止された。非常事態宣言が発令された。市民は避難していた。僕だけが取り残されていた。
「片桐さん」
「何」
「先に行って」
「嫌だ」
「これは、もう僕一人の問題じゃない」
「じゃあなおさら嫌だよ」
「違う。これは、たぶん地球規模の」
言い終わる前に、地面が揺れた。
踏切のアスファルトに、亀裂が入った。
その亀裂から、光が漏れた。
黄金色の光だった。
そして、匂いはしなかった。
それが逆に怖かった。
人間が想像する災厄には、たいてい匂いがある。しかし本当の終わりは、匂いより先に意味を奪う。
線路がねじれた。
遮断機が祈るように下がった。
ラジオが勝手に鳴り出した。
『臨時ニュースです。先ほど午前二時五分ごろ、地方都市上空に未確認の青春反応が観測されました。専門家によりますと、これは恋愛感情と消化器系の危機が同時に臨界点を超えた際に発生する、きわめて珍しい現象です』
「何それ」
片桐さんが言った。
「僕にもわからない」
『周辺住民は、ただちに窓を閉め、思い出を低い姿勢で守ってください』
空にひびが入った。
本当に、空にひびが入った。
夜空がガラスみたいに割れ、その向こうから、巨大な目が覗いた。
目だった。
大きすぎる目。
瞳孔の中に、さらに星雲があり、その星雲の中に、無数の公衆トイレのマークが回転していた。
僕は理解した。
僕たちが星を観測していたのではない。
星が、僕の限界を観測していたのだ。
「三等星級の我慢です」
車掌長・排泄星雲が淡々と言った。
「まだ耐えられます」
「耐えられません」
「では、二等星へ移行します」
「移行しないでください」
腹が鳴った。
今度の音は、音ではなかった。
宣言だった。
世界に対する、僕の内部からの独立宣言。
僕は腰を落とした。いや、落ちた。人間の尊厳が、膝から先に崩れた。
片桐さんが僕の手を握った。
その手は温かかった。
信じられないくらい、温かかった。
「大丈夫」
片桐さんが言った。
「大丈夫じゃない」
「うん。大丈夫じゃないね」
「ごめん」
「うん」
「本当に、ごめん」
「うん」
「僕、片桐さんのこと」
「今それ言う?」
「今しかない」
「最低」
「そう」
「でも、聞く」
僕は息を吸った。
腹部は最終段階に入っていた。全身の血液が一点へ集まり、宇宙の膨張速度が僕の下半身で測定可能になっていた。遠くの家々の窓が震えた。犬が吠えた。町内放送がノイズを吐いた。校長先生の銅像が学校の方角でひとりでに涙を流した。
僕は言った。
「好きです」
片桐さんは泣きそうな顔で笑った。
「知ってた」
「知ってたの」
「たぶん」
その瞬間だった。
間に合わなかった。




