EP 5
駅前居酒屋の格差同窓会と、会場を凍りつかせた「二人」
八月十二日、日曜日、午後十七時四十五分。
お盆の帰省客でごった返す駅前商店街の一角、大手チェーンの個室居酒屋の宴会場フロアには、すでに数十人の若者たちの喧騒とビールのジョッキがぶつかり合う音が響き渡っていた。
「おいおい拓海、飲んでるか〜!? 東京の私立大生はやっぱりノリが違うな!」
「凛ちゃんも久しぶり〜! 東京行ってすっかり垢抜けて、モデルさんみたいじゃん!」
高校卒業から一年と五ヶ月。
普通科3年2組の同窓会。
座敷の中央を陣取っていたのは、東京や関西の大学へ進学した「大学進学組」の男女十数人だった。
髪を明るく染め、ブランドロゴが目立つ服を着て、手には最新のスマートフォン。
彼らが交わす会話のテーマは、もっぱら大学三年生の夏を象徴する【就職活動のサマーインターン】と【東京でのキラキラ生活自慢】だった。
「俺さ、某大手ネット広告代理店のサマーインターン、書類選考突破して来週から参加なんだよね。倍率五十倍だったらしいけど、まあサークルの幹事長やってたエピソード話したら一発だったわw」
「すごーい! 私なんて、まだ大手損保のES出してる途中だよ〜。でも総合職なら初任給手取り二十五万超えるらしいし、やっぱり東京で就職しなきゃ人生始まらないよね!」
これ見よがしに大声でマウントを取り合う学生たち。
だが――その中心に座るはずの二人の顔色は、どこか異様だった。
金子拓海は、ファミレスでの悪徳マルチ事件以来、すっかりやつれ果てていた。
着ている服は通販の安物セットアップ。
目の下にはコンシーラーでも隠しきれない濃い隈が張り付き、ポケットの中で鳴るスマホのバイブレーションに、ビクッと怯えるように肩を震わせている。
消費者金融からの督促電話を恐れるあまり、生きた心地がしていないのだ。
そしてその隣で、愛想笑いを浮かべながらストローを噛んでいた佐伯凛もまた、限界を迎えていた。
ブランド物のバッグを膝の上に乗せて見栄を張っているが、インターン選考全落ちのショックと、周囲の「どこ受けてるの?」という質問の嵐から逃げるように、冷や汗を拭い続けていた。
そんな中、宴席の上座に座る元学級委員長の男子が、ビールジョッキを置いてニヤリと下品な笑みを浮かべた。
「そういえばさ、今日の同窓会……あいつは来ないわけ?
ほら、高校の卒業式であっさり就職決めて、地元の食品工場に入った……倉科湊だよw」
その名前が出た瞬間、座敷全体にドッと嘲笑が広がった。
「あー、倉科! いたねそんなやつ! まだあの段ボール工場で油まみれになってんのかな?w」
「手取り十四万だっけ? 毎日十七時まで同じ作業の繰り返しとか、俺なら三日で発狂するわw」
「今日の会費、飲み放題込みで五千円だぞ? 手取り十四万のライン工に五千円は痛すぎるだろ! 恥ずかしくて来れるわけないじゃんww」
就活という名の社会の審査に怯える学生たちが、自分より「下」だと信じ込んでいる工場勤務の同級生を笑い者にすることで、必死に自尊心を保とうとする醜い優越感。
拓海もその空気にすがるように、「あ、あいつは負け組だからな! 俺たちとは住む世界が違うんだよ!」と引きつった声で同調した。
――その時だった。
ガラガラガラ……。
宴会場の重い襖が、静かに開け放たれた。
「……すまない。少し遅れた」
低く、しかし驚くほど澄み渡った通る声が、居酒屋の喧騒をピシリと切り裂いた。
◇ ◇ ◇
その瞬間――宴会場にいた三十人余りの同級生全員の動きが、完全に停止した。
まるで時が凍りついたかのように、ジョッキを掲げた手も、笑い声を上げていた口も、そのままの形でピタリと固まる。
そこに立っていたのは、二人の男女だった。
一人は、倉科湊。
仕立ての良さが一目でわかる、上質なアイスグレーのバンドカラーシャツに、チャコールグレーのスラックス。
元バスケ部の引き締まった体躯は無駄がなく、背筋は真っ直ぐに伸びている。
かつての高校時代の影の薄さや、工場の作業着のくたびれた印象など微塵もない。
資本金三百万円の法人の代表として、何千万円ものビジネスを動かす者だけが纏う【圧倒的な静寂の覇気と知性】が、全身から溢れ出ていた。
だが――会場の全員の呼吸を完全に奪い去ったのは、その湊の半歩後ろに寄り添うように立っていた、一人の少女の姿だった。
「……っ!?」
誰かが息を呑む音が、静寂の中に響いた。
淡いミントグリーンのシルクシフォンワンピースが、歩くたびに波打つように優雅に揺れている。
肩には上質なオフホワイトのサマーカーディガンを羽織り、華奢な鎖骨と透き通るような白い肌が、居酒屋の安っぽい暖色照明を浴びて神々しいまでに発光していた。
ショコラブラックの豊かな髪は後ろですっきりとハーフアップにまとめられ、歩くたびにサラサラと微かなシャンプーと柑橘のアロマを漂わせる。
かつての野暮ったい黒縁メガネは外され、長く濡れた睫毛の奥にある大きな茶褐色の瞳が、夜空の星のようにキラキラと輝いていた。
洗練された大人の気品と、汚れなき少女の透明感。
東京のどんなモデルや女子大生すらも足元に及ばない、次元の違う【本物の絶世の美女】。
その少女が、湊の腕に細い指先をそっと添え、控えめに頭を下げたのだ。
「皆さん、こんばんは。お久しぶりです」
鈴を転がすような、清らかな声。
「……え?」
「う、嘘だろ……?」
「だ、誰……!? モデル……!?」
男子生徒たちの目が点になり、女子生徒たちが口をあんぐりと開けて絶句する。
その中で、一番前列にいた女子が、震える指先で少女を指差して悲鳴のような声を上げた。
「……し、白石……詩織ちゃん……!? う、嘘でしょ!? 美術部の、あの白石さんなの……!?」
「ええっっっ!? 白石ぃぃぃぃっ!?」
宴会場が、爆発したような騒然とした空気に包まれた。
高校時代、教室の片隅でいつも背中を丸め、ジャージ姿でスケッチブックを抱えていた、あの地味で目立たなかった女子。
クラスの男子から「あんな陰キャ女子」と名前すら覚えられていなかったはずの白石詩織が――
誰もが振り返る最高峰の美少女へと完全覚醒し、あろうことか「負け組」と見下していた倉科湊の隣に、最も自然な仕草で寄り添っていたのだ。
「あ……あ……」
拓海が喉をヒクつかせ、目を剥いて座布団から転がり落ちそうになっていた。
そして佐伯凛は、持っていたお冷のグラスを取り落としそうになりながら、全身をガタガタと震わせていた。
(なんなの……? なんなのよ、あれは……っ!?
湊くんのあの服……安物なんかじゃない……! それに白石詩織……!
なんであんな地味子が、私なんかより何百倍も綺麗になって……湊くんの隣にいるのよぉぉぉっ!!)
◇ ◇ ◇
周囲の驚愕と動揺を完全に無視し、俺は詩織の手を取り、宴席の端にある空いた席へとエスコートした。
「白石、座れ。タバコの煙が来ない風上の席だ」
「うん、ありがとう、湊くん……!」
詩織は嬉しそうに目を細め、俺の隣へちょこんと腰を下ろした。
ふわりと広がる甘い石鹸の香り。
だが、店内の騒がしさと周囲からの突き刺さるような視線に、詩織が少し緊張したように指先をぎゅっと握りしめているのを、俺は見逃さなかった。
(……いかんな。また俺の経営者センサーが過敏に作動している)
俺はバッグから、あらかじめ用意しておいた小箱をスッと取り出し、詩織の前に差し出した。
銀座の老舗パティスリーから取り寄せた『最高級・完熟日向夏とアールグレイの特製マカロン』と、周囲の雑音による聴覚ストレスを緩和する最新のワイヤレススマート耳栓だ。
「ほら、白石。これを受け取れ」
「えっ……!? 湊くん、これ、すごく高そうなマカロン……! それに、耳栓……?
どうして同窓会の会場で、こんな素敵なものをくれるの……?」
「勘違いするなよ」
俺は腕を組み、冷徹な仮面を必死に張り直して早口でまくしたてた。
「中学生でもわかる組織財務と人的資本リスクマネジメントの講義だ。
我が合同会社ミナト・キャピタルの最高アートディレクター(お前)が、居酒屋特有のアルコール揮発臭や低知能な雑音(大声のマウント)によって聴覚神経を疲労させ、微小な頭痛によって次期自社メディアのUI図解検収を〇・三秒遅延させた場合、事業スケーラビリティに伴う機会損失は【試算で最低でも月額三百五十万円】に跳ね上がる!
日向夏の高純度クエン酸による疲労物質のキレート分解、ならびにスマート耳栓による選択的周波数カットは、組織の基幹クリエイターの【中長期的アジリティを死守するための戦略的BCP防衛および役員メンタル保護経費】だ!
お前への甘やかしなどではない!
今後生み出される何千万円もの自動化純利益から逆算すれば、このマカロン代などROI(投資対効果)は【実に一千万%】を超える!
極めて合理的でドライな財務上の防衛支出だから、一ミリも遠慮せず胃袋に収めて耳に詰めろ」
息をつかずに言い切った俺の、世界一長くて過保護な言い訳。
座敷中の全員が「……は? じ、事業スケーラビリティ……? ROI一千万%……? 何言ってんだこいつ……?」と完全に思考停止する中――。
詩織は小箱を胸にぎゅっと抱きしめ、その桃色の唇をふにゃりと綻ばせ、クスクスと愛おしそうに笑った。
「ふふっ……あはは! ちょうかくしんけいのひろう……? ROIがいっせんまんパーセント……?
湊くんの言い訳、本当に世界一長くて……世界一甘くて幸せだよ!」
「な、何がおかしい。純粋な企業防衛だぞ」
「うん、そうだね! じゃあ私、湊くんの『メンタル保護経費』で美味しく癒やされて、一千万パーセントのお返しができる世界一可愛いデザインを描き続けるね!
……あ、湊くん! マカロン、柑橘のクリームがすっごく香ってて美味しそう! はい、あーん!」
指先でつまんだ黄色いマカロンを、満面の笑顔で俺の口元へと差し出してくる詩織。
至近距離から漂う甘酸っぱい果実の香りと、彼女自身の透き通るような白い肌、潤んだ茶褐色の瞳。
「お、おい……人前だぞ……」
「ダメー! 同窓会に来てくれたお礼なんだから! ほら、あーん!」
逃げ場を失った俺は、観念して口を開けた。
「……あーん」
サクッとした極上の生地の食感とともに、濃厚で甘酸っぱい日向夏ガナッシュが口いっぱいに広がった。
めちゃくちゃうまい。
そして――心拍数が異常なスピードで跳ね上がり、俺の脳内プロセッサが完全に一時停止しかける。
(……ダメだ。この女の『あーん』の破壊力は、資本主義のどんなアルゴリズムをも一撃で融解させる……)
静まり返る宴会場。
男子生徒たちは、絶世の美女から白昼堂々と「あーん」をされる湊の姿を、信じられないものを見るように嫉妬と羨望の眼差しで見つめていた。
◇ ◇ ◇
その異様な空気に耐えかねたように、上座の元学級委員長がゴクリと唾を呑み込み、強張った声で口を開いた。
「お、おい……倉科……。お前、さっきから何の話をしてんだよ……?
合同会社とか……役員とか……。
お前、地元の食品工場で段ボール折ってるライン工だろ……?」
その言葉に、息を吹き返した拓海が、血走った目で身を乗り出してきた。
「そ、そうだぞ倉科! 白石さんをどっかで騙して連れてきたのか知らねえが、見栄張るのも大概にしろよ!
お前は手取り十四万の工場勤務だ! 東京の大学で就活やってる俺たちエリートとは、身分が違うんだよ!!」
必死に叫ぶ拓海。
だが――俺は冷え切った目で烏龍茶のグラスを静かにテーブルに置き、組んでいた手を解いた。
「手取り十四万の工場勤務……ああ、確かに平日の昼間は工場のラインに入っているよ。
だが拓海、そしてみんな」
俺の静かな、しかし寸分の揺らぎもない声が、座敷の空気を完全に支配した。
「中学生でもわかる、大人の資本主義の算数をしようか」
俺はジャケットの内ポケットから、漆黒のレザーケースに入った名刺入れをスッと取り出し、テーブルの中央へと滑らせた。
「工場で働くのは、生活費と社会保険を最小限の固定費で確保するための『属性の盾』に過ぎない。
……俺の本当の姿について、教えてやるよ」
名刺に刻まれていた金色の文字。
『合同会社ミナト・キャピタル 代表社員 倉科 湊』。
逃げ場を完全に失った東京の大学生たちに対する、俺の冷徹な現実の答え合わせ――
圧倒的な「格差の宣告」の幕が、今まさに上がろうとしていた。
【現在の倉科湊ステータス】
・年齢/肩書:19歳/食品工場ライン工・合同会社ミナト・キャピタル 代表社員
・総資産残高:16,239,720円(前話比:±0円 ※同窓会決戦突入)
・月間不労/事業キャッシュフロー:+3,300,000円(特化ブログ+自社教材自動販売純利益)
・【今日の源蔵のマネー格言】:「他人の評価に怯えて見栄を張る奴は、本物の虎の前に立った瞬間に腰を抜かす。1,600万円の資本の城を築いた男の静寂の前に、学生気分の安物のマウントなど一瞬で粉微塵なんだよ」
読んでいただきありがとうございます。
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