↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
26/30

もっと飛べ

「兄さん……」


エレーナは、灰羽の前に立っていた。


その声は震えている。


それでも、彼女は一歩も後ろへ下がらなかった。


レオンも、すぐには答えなかった。


赤疤の背に跨がったまま、ただ静かに妹を見つめている。


戦場の炎が、二人の顔を照らしていた。


灰羽は低く身を伏せ、エレーナの前を塞いでいる。


一方、赤疤は大きく翼を広げ、低い唸り声を上げていた。


二頭の竜が、互いを見つめる。


誰も、先に動かなかった。


俺はエレーナと灰羽の後方に立っていた。


アイリスも、俺のすぐ隣にいる。


彼女も何も言わなかった。


レオンの視線が、エレーナから離れる。


そして――灰羽へと向けられた。


「……」


何かを確かめるような目だった。


その時――


赤疤が突然、頭をもたげた。


「――グルルル……」


喉の奥から、低い唸り声が響く。


空気が、徐々に熱を帯びていく。


俺は察した。


「エレーナ!」


赤疤が口を開く。


次の瞬間――


竜炎が、噴き出した。


「っ!」


エレーナが反射的に目を見開く。


だが、彼女が動くよりも早く――


灰羽が、彼女の前へ飛び出した。


巨大な両翼が、一気に広がる。


エレーナの身体を、完全に覆い隠す。


同時に――


「ギャアアアアッ!」


灰羽の口から、雷光が弾け飛んだ。


轟!!!


炎と雷が、真正面から激突する。


戦場全体が、一瞬にして白光と赤い炎に飲み込まれた。


爆発の衝撃が、周囲へと一気に広がる。


俺は腕を上げ、正面から叩きつけてくる熱風を防いだ。


地面の土埃が舞い上がる。


兵士たちが、次々と後退していく。


「……」


俺はゆっくりと腕を下ろした。


灰羽は、まだそこに立っていた。


その翼も、まだ広げられたままだ。


その後ろには――


エレーナがいる。


傷一つない。


「灰羽……」


エレーナが、灰羽を見つめる。


灰羽が振り返った。


その瞳と、彼女の瞳が重なる。


命令はない。


召喚もない。


ましてや、契約による指示すらない。


ただ――そこにいる。


自分の主人を守るために。


「……」


反対側では、レオンが何も言わずにその光景を見ていた。


その顔に、初めて変化が浮かぶ。


驚き。


そして――隠しきれない動揺。


彼は竜を知っている。


竜騎士も知っている。


そして、竜が本当に一人の人間を選ぶということが、何を意味するのかも知っている。


それは、帝国の竜契で手に入れられるものではない。


それなのに、今――


灰羽は、自らエレーナの前に立った。


レオンはゆっくりと視線を下げる。


自分の妹を見る。


幼い頃から、ずっと自分の後ろについてきた少女。


自分が守ってやらなければならないと思っていた妹。


竜に本当に認められることなどないと、どこかで思っていた妹。


自分の後ろにいるのが当たり前だった少女が――


今は、一頭の竜の隣に立っている。


「……そういうことか」


レオンが、小さく呟いた。


エレーナが顔を上げる。


「兄さん?」


レオンは答えなかった。


ただ灰羽を見つめる。


そして、もう一度エレーナを見る。


赤疤が、彼の下でゆっくりと動いた。


灰羽よりも大きい。


身体も、より厚く重い。


幾度もの戦いを経験してきた飛竜だ。


対して、灰羽は――


速度では上回り、動きもより軽い。


だが、その主人はまだ竜に乗ることを覚えたばかりだ。


レオンの中に、ふと一つの考えが浮かんだ。


確かめたい。


自分がこれまで守ってきた、この妹が――


「エレーナ」


「……はい」


レオンが手を上げる。


赤疤は、攻撃を続けなかった。


「乗れ」


エレーナが、目を見開く。


「……え?」


「灰羽に乗れ」


エレーナは動かなかった。


俺もレオンを見る。


その顔に笑みはない。


武器を下ろすつもりもない。


ただ、彼女を見ている。


「お前が本当に……」


レオンが、一度言葉を止める。


その視線が灰羽へ向かう。


「その竜に選ばれたっていうなら」


そして、再びエレーナを見る。


「俺に見せてみろ」


エレーナの瞳が、わずかに大きくなる。


「兄さん……」


「どうした?」


「……私が?」


「そうだ」


レオンの声は、静かだった。


「お前自身の目で見せろ」


エレーナは唇を噛みしめる。


そして振り返り、灰羽を見る。


灰羽が、ゆっくりと身を低くした。


巨大な翼が折り畳まれる。


拒む様子はない。


エレーナが手を伸ばす。


その手のひらが、灰羽の鱗に触れた。


「……灰羽」


「グルル……」


灰羽が低く応える。


エレーナは深く息を吸った。


そして鱗を掴む。


一歩。


また一歩。


やがて――


彼女は灰羽の背へと登った。


初めて。


本当に、竜の背に座った。


身体は、まだ震えている。


それでも――降りなかった。


レオンは、そんな彼女を見つめていた。


長い間。


「……」


その瞳が、ほんの少しだけ変わる。


おそらく、本人でさえ気づいていないほどの変化だった。


「赤疤」


レオンが、静かに呼ぶ。


赤疤が頭を上げた。


「行くぞ」


翼が、一気に広がる。


轟!


巨大な風圧が、地面を駆け抜けた。


赤疤が、空へ舞い上がる。


「灰羽!」


エレーナも声を上げた。


灰羽が翼を打つ。


その巨体が、一気に空へ駆け上がった。


二頭の飛竜が、前後して地面を離れていく。


「上がった……」


誰かが、呟いた。


俺も空を見上げる。


赤疤が、先に旋回した。


炎は吐かない。


ただ――


灰羽へ向かって、一直線に突っ込んでいく。


「灰羽!」


エレーナが慌てて叫ぶ。


灰羽が、急激に進路を変えた。


赤疤が、そのすぐ脇を通り過ぎる。


巨大な身体が、猛烈な風を巻き起こした。


だが次の瞬間――


赤疤はすでに反転していた。


竜尾が、横薙ぎに振られる。


灰羽が素早く高度を下げる。


竜尾が、その頭上を掠めていった。


「っ!」


エレーナの身体が、大きく揺れる。


「ぁ……!」


彼女は慌てて灰羽の鱗を掴んだ。


「大丈夫!」


灰羽が、再び翼を打つ。


一気に距離を取る。


レオンは、追いすぎなかった。


ただ見ている。


エレーナを。


そして、灰羽を。


「……遅い」


低い声が響いた。


次の瞬間――


赤疤が急降下する。


灰羽も同時に横へ移動した。


二頭の竜が、再び交差する。


今度は――


赤疤が完全には避けなかった。


その肩が、灰羽へと叩きつけられる。


轟!


灰羽の身体が、大きく弾かれた。


「っ!」


エレーナの身体が、背から投げ出されそうになる。


彼女は必死に灰羽へしがみついた。


「灰羽!」


灰羽が怒りの咆哮を上げる。


そして、再び体勢を立て直した。


灰羽の方が速い。


距離さえ取れば、赤疤の正面からの突進を避けることができる。


だが――


レオンも、それを分かっている。


彼は赤疤に追わせ続けなかった。


何度も進路を変える。


灰羽の逃げ道を塞ぐ。


そして、徐々に低空へ追い込んでいく。


地面へ。


「……」


俺は眉を寄せた。


レオンは、ただ追撃しているわけじゃない。


灰羽の動きを制限している。


赤疤の方が大きい。


力も強い。


このまま低空で絡み続ければ、灰羽の方が不利になる。


アイリスが空を見上げた。


「彼は竜戦に慣れている」


「うん」


俺も頷く。


「エレーナは、まだ完全には慣れていない」


その時――


後方から声が響いた。


「――アルド!」


俺が振り返る。


煙の向こうから、見慣れた姿が駆けてくる。


バルだ。


後方の反抗者たちを率いて、ここまで来た。


「今だ!」


バルが叫ぶ。


「全員、要塞へ入るぞ!」


反抗者たちが、一斉に城門へ向かって走り出す。


守備兵たちの意識は、その大部分が空へ向いていた。


まさか、後方からこれほどの人数が現れるとは思っていなかったのだろう。


「ローワンを捕らえろ!」


「行け!」


「要塞へ!」


人々が次々と城門へ流れ込んでいく。


俺はもう一度、空を見た。


赤疤と灰羽が、再び激突している。


巨大な轟音が、空から響いてきた。


エレーナの声も聞こえる。


「灰羽!」


俺は視線を戻した。


「アイリス」


「うん」


「行こう」


俺とアイリスは、バルの後を追った。


要塞へ入る。


---


要塞の内部は、すでに完全な混乱に陥っていた。


兵士たちが、あちこちから駆けてくる。


反抗者と守備兵が、廊下で激突する。


怒号と剣戟の音が、絶え間なく響いていた。


俺は短剣を握り直す。


身体が、記憶よりも先に動いた。


一人の兵士が目の前へ迫る。


俺は身体を横へずらした。


そのまま剣を振り抜く。


兵士が倒れる。


別の兵士が、横から襲いかかってきた。


俺は振り返る。


攻撃を受け止める。


そして、突き出す。


「……」


身体は覚えている。


まだ、戦いを覚えている。


俺の記憶が壊れていても――


五百年という空白があっても。


身体に残されたものまでは、消えなかった。


「アルド」


アイリスの声が、隣から聞こえる。


「大丈夫だ」


俺は、そのまま前へ進んだ。


俺たちの目的は明確だった。


ローワン。


奴を捕らえれば――


この反乱には、初めて本当の意味が生まれる。


だが、その時――


轟!!!


要塞全体が、大きく揺れた。


俺は足を止める。


「……」


まただ。


竜の声。


空から響いた咆哮が、分厚い壁を突き抜けてくる。


俺は顔を上げた。


ここからでは、何も見えない。


それでも――感じる。


灰羽の気配。


さっきよりも、弱い。


「……」


アイリスが俺を見る。


彼女には、もう分かっていた。


「灰羽」


俺は答えない。


遠くから、再び巨大な衝撃音が響く。


轟!


続いて――


一筋の雷光が、空を走った。


そして、すぐに消える。


「エレーナは、まだ戦っている」


「うん」


アイリスが、静かに答える。


俺は拳を握った。


彼女は、まだ竜に乗ることすら完全には慣れていない。


それに対して、レオンは――


経験豊富な竜騎士だ。


赤疤も、灰羽より年長で、身体も大きい。


このまま続けば――


エレーナは負ける。


俺は振り返った。


「アイリス」


「分かってる」


彼女が俺を見る。


「戻るんでしょう?」


俺は頷いた。


「……うん」


これは、俺の戦いじゃない。


少なくとも――本来なら。


だが、何もしなければ。


あの子は死ぬ。


俺は深く息を吸う。


足元から、雷光が集まり始める。


「――龍雷」


轟!


地面が、一瞬で砕け散った。


俺の身体は、空へ向かって弾け飛んだ。


---


空の上。


灰羽が、再び赤疤の攻撃をかわしていた。


エレーナは、必死に灰羽へしがみついている。


それでも――


彼女は、少しずつ灰羽の動きを感じ取れるようになっていた。


もう、ただ声を出して命令しているだけではない。


灰羽が、どこへ飛ぼうとしているのか。


その動きを、少しずつ理解し始めている。


そして灰羽もまた――


彼女の意思に応えていた。


「灰羽!」


再び、雷光が集まる。


灰羽が急旋回する。


空から、雷が落ちた。


赤疤が身体を横へ逸らす。


雷光が、その身体を掠めていく。


レオンの目が、わずかに細くなる。


「……いいぞ」


それは、彼が初めて見せた――


明確な認めるような表情だった。


だが、次の瞬間。


赤疤が大きく翼を打った。


巨大な身体が、再び灰羽へ襲いかかる。


エレーナに息をつく暇すら与えない。


竜爪が伸びる。


灰羽が慌ててかわす。


だが――赤疤の方が大きい。


その爪は、完全には避けきれなかった。


灰羽の身体を掠める。


数枚の鱗が、空へ舞った。


「灰羽!」


エレーナの声に、わずかな動揺が混じる。


赤疤が、上空からさらに圧し掛かる。


灰羽の身体が、地面へ向かって落ちていく。


レオンは手綱を強く握った。


そして、妹を見る。


「まだ足りない」


レオンの声が、空に響く。


「エレーナ」


「……!」


「もっと飛べ。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。