↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
17/30

アズ・ファラの魔女

灰葉村が焼けた、と。


その知らせは、日が沈みきる前に古い粉挽き場へ届いた。


南から走ってきた男が戸を開き、叫んだ。


「灰葉村が焼けた。竜だ。竜だ……」


男の顔はすすで真っ黒だった。


息を切らし、その場に崩れ落ちた。


アイリスが立ち上がった。


彼女は何も言わず、俺を見た。


俺は麦わら帽子を手に取り、頭に載せた。


外へ出ると、粉挽き場にいた者たちが、もう後を追ってきていた。


十数人。


誰も口をきかなかった。


アイリスは先頭を歩いた。


走らない。


ただ、速い。


坂をひとつ越えたとき、空から重い音が降ってきた。


赤疤が西から来た。


低い。


暗赤色の翼が広がると、月がほとんど隠れた。


レオンは竜の背にいて、下を一度も見なかった。


「砦へ戻る」


アイリスが言った。


灰葉村へ下りたとき、空はすっかり暗かった。


けれど、灰葉村は黒くなかった。


赤かった。


東も西も、黒茨の林が燃えていた。


村の中央では、まだ火が燃えている。


どの家がどこにあったのか、もう区別がつかない。


焼け抜けた殻だけが並び、熱い風のなかで、かすかに軋んでいた。


アイリスは、マルサのことを人に訊き始めた。


最初に訊いたのは、赤子を抱えた女だった。


髪の半分が焼け落ちていた。


腕の中の子は、泣きもせず、動きもしない。


女は顔を上げず、子どもの上に額を押しつけたままだった。


「ない、ない……」


そればかりを繰り返していた。


次に、灰のなかに座っている老人に訊いた。


老人は口を開けた。


だが、「ああ」と、かすれた音が漏れるだけだった。


村の東を指さした。


それから涙が落ちて、激しく首を振った。


知らないのではない。


言えないのだ。


アイリスは、それ以上何も聞かなかった。


彼女は立ち上がり、東へ歩いた。


俺は後を追った。


村道はもう、道の形をしていなかった。


彼女が毎朝歩いていたはずの道も、今は灰だけだった。


村の入り口にある、あの傾いた木の柱の前を通った。


前は、そこに油灯が下がっていた。


今はない。


柱の上半分は炭になっていた。


空へ突き出た、折れた指のようだった。


老いた狩人の家の前を通った。


屋根はなく、扉の半分が灰の山に立てかけられていた。


家の前には青い石があって、その上にはいつも孫娘が座っていた。


石はまだあった。


火に焼かれて白くなり、一本ひびが入っていた。


粉挽き場の前を通った。


風車は骨組みが二本だけ残って、廃墟に斜めに突き立っていた。


薬草を届けに行くと、粉挽き場の主人はいつも半欠けの麺餅をくれた。


「お前さんみたいな小娘が、毎日山ん中歩いて、怖くないのか」


あの人は、そう言った。


「怖くない」


と、アイリスは答えていた。


その先が、マルサの家だった。


アイリスは立ち止まった。


小屋は、もうなかった。


壁が半分だけ残っていた。


火に舐められて、白っぽい土の殻だけになっていた。


梁は真ん中から折れ、片方は家の中に落ち、もう片方は外の石に引っかかっていた。


窓は黒い穴になっていた。


その周りでは、まだ小さな火が跳ねていた。


表のあの低い戸板は道に倒れ、端が黒く巻き上がっていた。


アイリスは、そこに立っていた。


五年前、この村に来たばかりの冬。


行く当てもなくて、村の入り口まで来たとき、マルサがこの低い戸から出てきた。


湯気の立つ椀を持っていた。


「入りな。戸が低いから、頭をぶつけるよ」


あの椀の汁を、アイリスは今でも覚えている。


薄くて、灰葉菜が浮いていた。


一口飲んだとき、生き返ってから初めての、ちゃんとした食事だと思った。


今、その戸が目の前に倒れていた。


しばらくして、アイリスが言った。


「あの人は逃げなかった」


彼女はしゃがみ込み、黒く焼けた木片を拾った。


まだ熱かった。


端は焦げて赤い。


指にしばらく握って、それから置いた。


「行こう」


彼女は言った。


---


仮の救護所は、灰葉村の北の斜面の下にある古い羊小屋に設けられた。


アイリスは手当てをしていた。


動きは速い。


血を止め、傷を洗い、湿らせた布を当てる。


きれいな布がなくて、マルサが昔、彼女に縫ってくれた古いスカートを裂いた。


布を裂くとき、彼女の手が一瞬止まった。


俺は羊小屋の外で薪を割っていた。


力はまだ戻っていない。


黒茨の枝を何本か斜めに切ったが、切り口はひどく乱れていた。


そばにいたバルが見かねて、俺の手から斧を取った。


「そりゃ薪割りじゃねえ。薪と説教してる」


俺は何も言わず、焚き火のそばへ行って座った。


両手は灰まみれで、指の節は擦り切れていた。


しばらくして、アイリスが出てきた。


羊小屋の裏の黒茨の木の下へ行き、幹にもたれて、ゆっくり座った。


俺も後を追った。


南から風が吹いて、灰葉村の最後の煙を運んできた。


彼女の髪はほどけ、黒い髪のあちこちから銀色が覗いていた。


彼女は俺を見なかった。


斜面の下に広がる、暗赤色の廃墟を見ていた。


「アルド」


彼女は小さく呼んだ。


「ああ」


「私、生きすぎたのかな」


俺は答えなかった。


「私、とても老いてる。この土地の、いろんなものより、ずっと」


彼女は言葉を切った。


「でも、痛いものは、まだ痛い」


彼女は自分の手を見た。


血がついていた。


他人の血も、自分の血も。


「灰葉村がこうなったのは、私のせいかもしれない」


彼女は言った。


「お前が残ったから、助かった者もいる」


俺は言った。


「そうじゃない」


彼女は首を振った。


「もっと前のこと。あんたがまだ竜帝と呼ばれていたころ。ドラコファル。竜誓王国。私があそこで目を覚ましたから、あの国は滅んだのかもしれない」


「どうしてお前が地の底にいた?」


俺は訊いた。


アイリスは答えなかった。


顔を横に向け、風に前髪を払わせた。


「あとで話す」


彼女は言った。


俺は追わなかった。


彼女の隣に座った。


誰も何も言わなかった。


斜面の下では灰葉村がまだ燃えていて、風のたびに火の粉が舞い上がっていた。


そのとき、頭のなかに、ごく細い光が走った。


誰かが俺に言っている。


「魔女だ」


「アズ・ファラの魔女は殺さねばならぬ」


「お目覚めになったのは、不吉の兆し」


「我が王、聖恩帝国が聖戦を起こしました」


声はいくつも重なった。


松明と武器を掲げた、ぼやけた影がいくつも見えた。


言葉が一つずつ、釘のように頭へ打ち込まれた。


「あれは災い」


「現存するどの竜よりも古い存在」


最後に、ずっと深い場所から、とても低い声が浮かび上がった。


「古竜」


俺は目を見開いた。


背中が汗で冷えていた。


二度、息をして、それから言った。


「なんでもない。何か、思い出しかけた」


「誰かが、俺に言ってた」


俺は一度止めてから言った。


「お前は魔女だと」


アイリスは驚かなかった。


黙って俺を見ていた。


彼女はまた、山の下の暗い赤へ視線を戻した。


長い沈黙のあと、小さく言った。


「うん。たぶんね。ごめん」


風が灰燼荒原の方から吹いてきた。


火の粉が闇のなかを昇り、落ちた。


地の底で、何かとてつもなく大きなものが、ゆっくり寝返りを打つようだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。