レオン・ヴァンドリック
レオンは馬上で動かなかった。
彼の目は開いていた。
しかし、その中は空っぽだった。
怒りでも、恐怖でもない。
もっと深いもの。
人が、いちばん戻りたくない場所へ引きずり戻されたときの顔だった。
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彼は、七歳の自分を見ていた。
当時の彼は、生まれつき暴力的な性格も、虫を潰すのが好きだという趣味も、まだ自分で抑えようとはしていなかった。
帝都。
盛夏の宴。
ヴァンドリック家は六大領主家の後ろ、一般貴族の前に配置されていた。
皇帝から与えられた体面だった。
しかし、大領主家の子どもたちが寄ってきた。
「お前が竜を飼ってるってやつか?」
「父が言ってた。お前んちは竜誓王国から逃げてきた残りカスで、帝国が哀れんで帝都に置いてやってるんだって」
「お前の母さん、お前に妹を近づけさせないんだって? 虫を潰すのが好きで、移るからだろ?」
「お前んち、土地も兵もないくせに、皇帝の番犬ってか?」
レオンは相手にしなかった。
うつむいて、横へ歩いた。
だが、やつらはついてきた。
増えていく。
子どもだけじゃない。
少し年上の侍従も混ざっていた。
「見ろよ、歩き方がガチョウみたいだ」
「おい、虫男。兄貴はなんでお前を連れて飛ばないんだ? あいつもお前が汚いからか?」
レオンは足を止めた。
振り返り、いちばん近くにいたやつの顔を、拳で思い切り殴った。
鼻骨の折れる音が、冬の枝が折れるように響いた。
血が手に飛んだ。
あたりが、一瞬、静かになった。
レオンはその瞬間、比類のない爽快感を覚えた。
母の顔が見えた。
宴会場の隅で、表情がなかった。
母は背を向け、他の貴婦人たちの後を追った。
それから、母が自分の前に立っていた。
宴会ではない。
家だ。
あの広い広間だ。
「なぜ人を殴ったの」
母が言った。
そして、彼を平手打ちした。
「家のことを悪く言ったからです」
「言わせておけばよかった」
母は言った。
「何ができる? あんたが人を殴れば、家が謝りに行く。わかってる? うちは何なの? ヴァンドリックに領地はない。実権もない。皇帝からもらった顔がひとつだけ。あんたのその拳が、その顔まで引き裂いたのよ」
「でも、向こうが先に……」
「黙りなさい!」
母の声は鋭く、鉄板を刃物で擦るようだった。
母の目には嫌悪と、深い疲れがあった。
「前から思ってた。あんたはそういう子。その手と同じで、人を休ませない」
レオンは自分の手を見た。
血はもう洗い流してあった。
指の節に、まだ薄く赤みが残っている。
殴ったとき、怖かった。
自分の中のあの感覚が嫌だった。
そう言いたかった。
でも、母は聞かなかった。
母は行ってしまった。
レオンは祖父の書斎に連れて行かれた。
祖父は古い革の椅子に座り、目の前に開封済みの手紙を広げていた。
先方の家からの詰問状だった。
祖父は読み終えても怒らなかった。
ただ顔を上げて、レオンを見た。
「先に手を出したのはお前だそうだな」
「向こうが先に悪口を」
「何を言われた?」
「残りカス。竜種。親の顔が見たい、と」
祖父はしばらく黙った。
「あの者たちが、なぜそんなことを言えるかわかるか」
レオンは黙っていた。
「ここが帝国だからだ」
祖父は言った。
「我々は竜誓王国から出た。ドラコファルの血を引いている。帝国から見れば、俺たちは招かれた犬であり、網をすり抜けた魚だ。お前が賢ければ賢いほど、奴らはお前を軽んじる。お前が狂えば狂うほど、やはり竜種だと言う。兄を見ろ。妹を見ろ。お前も、いつになったら家を安心させてくれるんだ」
レオンは口を開けかけて、閉じた。
父は戸口に立っていた。
中には入ってこなかった。
祖父は手を振った。
「謝りに行け」
老人は言った。
「いやです」
「行け」
祖父の声は大きくない。
だが、重かった。
レオンには、もう意味がわかっていた。
自分に選ぶ道はない。
「お前のためじゃない。家のためだ」
祖父は言った。
「俺たちのような家は、骨を持てない。骨を持てば死ぬ」
レオンは結局、行った。
広間の中央に立った。
十数人が彼を囲んでいる。
先方の家長が上座に座り、護衛が二人、左右に立っている。
記録官が冊子を開いた。
使用人たちは戸口にひしめき、首を伸ばして見ていた。
「言え。お前が悪かったと」
先方の家長が言った。
レオンは床を見た。
「私が悪うございました」
「聞こえん。もっと大きな声だ」
「私が悪うございました」
「お前は躾のなっていない畜生だと言え」
レオンは顔を上げた。
母は戸口でうつむいている。
父は遠くに立っている。
壁に打ちつけられた木のように。
祖父はいない。
レオンはもう一度うつむいた。
「私は……躾のなっていない畜生です」
そう言ったとき、戸口のあたりで誰かが笑った。
その笑いは小さく、喉の奥から漏れたようだった。
自分の体のどこかが、その瞬間に割れた。
骨じゃない。
骨よりずっと内側のものが。
その夜、彼は馬小屋に隠れた。
荒布を口に詰めて、声を殺した。
外では使用人が歩きながら話していた。
「レオンは今度こそ、旦那様の顔を潰したな。広間で犬みたいに叱られて」
「あれで済むと思うな。どうせ、もっとでかいことをやらかす。あの子は小さいころからああだ」
「竜の血だもの。まともな種だと思うか」
レオンは布を噛みしめた。
息ができない。
死ぬと思った。
でも、死ねなかった。
彼はただ藁の上に横たわり、震えていた。
隅に蹴られた犬のように。
あの日から、彼は人前で争わなくなった。
何もかも押し込めた。
殴りたい。
叫びたい。
全部を壊したい。
その衝動を、舌の下に押さえつけた。
押さえれば押さえるほど、吐き気がした。
彼は隠れることを覚えた。
竜穴に。
赤疤のそばに。
あの目で彼を見ない竜の後ろに。
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「灰を踏む者――」
レオンの唇が動いた。
とても軽く。
夢のなかで、自分にだけ聞かせるように。
すぐ隣の衛兵が最初に気づいた。
彼は村人と押し合っていたが、ふと違和感を覚えて振り返った。
レオンが馬上で唇を動かしている。
彼は一歩近づき、顔色を変えた。
「レオン様? どうかなさいましたか?」
レオンには聞こえていなかった。
「火を飲む子――」
もうひとつ言葉が続いた。
衛兵は二歩後ろに下がり、別の兵にぶつかった。
「な、なにか唱えてる……」
ダミアンも見た。
彼はひとりの男に腰を抱かれて、必死に外へ押し出されていた。
首をひねると、レオンの口が見えた。
唇の動きは、この時代の言葉を吐いているようには見えなかった。
ダミアンは帝都で聞いたことがある。
あれは召喚呪文だ。
「撤収! 全員引け! 早く!」
兵たちは、もともと持ちこたえられなかった。
「撤収」と聞いて、隊形など構わない。
騎兵は馬も顧みず、歩兵は松明を捨てて村の外へ走った。
黒地に白い鹿の旗は泥に踏まれ、たちまち形を失った。
しかし、群れは彼らを逃がさなかった。
「あいつら、怖がってるぞ!」
「逃がすな!」
「ローワン家のやつを捕まえろ!」
「竜騎士を捕まえろ!」
ダミアンは馬首を返した瞬間、後ろから飛んできた石を背中に受けた。
彼は悲鳴を上げ、馬の尻をめちゃくちゃに打った。
戦馬は嘶き、群れのなかを突っ切って、何人も撥ね飛ばした。
兵たちは蜘蛛の子を散らすように逃げた。
追いすがる村人に地面へ引き倒される者。
村はずれの黒茨の柵を這い越える者。
レオンは動かなかった。
いや、動けなかった。
灰色の馬が暴れた。
前足を高く上げ、レオンを鞍から振り落とした。
彼は泥の地面に背中から落ち、後頭部を強く打った。
目の前の古い廊下が砕け、無数の灰葉村の顔に変わった。
誰かが彼が落ちたのを見て、一瞬止まり、叫んだ。
「捕まえたぞ! 竜騎士が落ちた!」
「竜騎士だ! この犬め!」
「殴れ!」
「踏まれる味を教えてやれ!」
群れがどっと押し寄せた。
誰かの足が腰を蹴り、別の足が腕を踏んだ。
ひとりの男が膝をつき、彼の胸ぐらを掴んで上半身を泥から引き起こした。
「飛んでみろ! 竜騎士なら飛べるんだろ! 飛べよ!」
拳が顔にめり込んだ。
レオンの頭が横に弾かれ、口の中が土と血でいっぱいになった。
後ろから誰かが後頭部を蹴った。
彼は倒れ、額を石にぶつけて血が噴き出し、まぶたを伝って落ちた。
外套は引き裂かれた。
黒い髪が泥に散らばった。
裸足や破れた長靴が、彼の周りを踏みにじる。
彼は口を開けた。
岸に打ち上げられた魚のように。
胸が波打ち、喉から「ヒューヒュー」という音が漏れる。
聞こえてくる。
今の声じゃない。
七歳の声だ。
宴会の。
広間の。
馬小屋の外の。
母の。
祖父の。
父の。
使用人の。
彼を囲むすべての者の。
「お前は病気だ」
「虫男」
「親の顔が見たい」
「お前は将来、大ごとをやらかす」
「謝りに行け」
「もっと大きな声で」
「畜生だと言え」
母が戸口でうつむいているのが見えた。
父が遠くで動かないのが見えた。
祖父がいないのが見えた。
使用人が笑っているのが見えた。
兄が飛んでいくのが見えた。
ルシアンが彼の前に立っていた。
竜騎士団の深い黒の礼装を着ている。
エレナは泣いている。
父は階段に立ち、唇を一文字に結んでいる。
母は出てこなかった。
いつだって、こういうときに出てこない。
ルシアンが振り返った。
「レオン」
「うん」
「家を、あまり困らせるな」
「あなたが竜騎士になったら、また私に会えます」
ルシアンは歩み寄り、彼の首の後ろを軽く叩いた。
昔と変わらない手つきだった。
レオンにとって、あれが最後の、あの感触だった。
ルシアンは竜に乗り、南の雲へ飛び立った。
竜が遠ざかり、黒い点になって、空に呑まれた。
エレナの泣き声が庭から聞こえた。
彼は出て行かなかった。
追っても無駄だ。
そう自分に言った。
それから泣いた。
その時も、今も泣いています。
「兄さん、きっとお前のもとへ辿り着く」
彼の首に、文字の赤い光がだんだんと上がってきた。




