古い粉挽き場
俺たちが黒茨町を出たとき、空はすっかり暗くなっていた。
アイリスは、まっすぐ灰葉村へは向かわなかった。
「北から回る。今夜、大通りは駄目」
そう言った理由は聞かなかった。
五年もこの土地で生きてきた彼女のほうが、どの刻限に、どの道を通るべきか――俺よりずっとよく知っている。
俺たちは町の外れから、雨でぬかるんだ小道を北へ進んだ。
雲は厚く、月はその隙間から、わずかな光をこぼしているだけだった。
風が荒原の方から吹いてきて、湿気と灰の匂いを運んでくる。
アイリスは俺の前を歩いていた。
足音は重くない。
それでも、歩く速度は速かった。
低い坂を越えようとしたとき――
道端の黒茨の茂みが、突然揺れた。
黒外套の人物が、灯りも持たずに木陰から姿を現し、道の真ん中に立った。
アイリスはすぐに体を横にして、俺を後ろへかばった。
「灰葉村へは戻れない」
その者が言った。
「誰?」
アイリスが聞く。
「誰に言われたかは重要じゃない。明日の朝、砦の兵が灰葉村を囲む。今戻れば、自分から捕まりに行くだけだ」
アイリスは動かなかった。
俺は彼女の後ろに立ち、その黒外套の人物を見ていた。
背は高くない。
声は少し嗄れていた。
年齢はわからない。
悪意は感じなかった。
ただそこに立って、俺たちを待っていたようだった。
「どうしてあんたを信じられる?」
アイリスが言った。
「その麦わら帽子。それに、兄さんの髪。今夜、もうあんたたちに気づいている者はいる」
アイリスは少し黙った。
そして振り返り、俺の髪を見る。
俺は手で髪に触れた。
髪の間は、染め草と雨水が混ざって、ぐちゃぐちゃになっていた。
「ついて来るか、来ないかは、あんたたちが決めろ」
その者が言った。
「俺は道を案内するだけだ。お嬢様は言っていた。今夜、灰葉村で事を起こさなければ、他の場所までは手が回らない、と」
「どのお嬢様だ?」
アイリスが聞いた。
「今日、あんたたちが会った方だ」
アイリスは、それ以上何も言わなかった。
彼女は俺の手を引き、その者に従って、北側のほとんど見えない小径へと入っていった。
俺たちは、灰葉村へは戻らなかった。
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古い粉挽き場は、乾いた川床の西側にあった。
屋根は半分崩れ、壁は蔓に覆われている。
夜に見ると、斜面から転がり落ちた岩の塊のように見えた。
だが、南側へ回ると、扉の隙間からかすかな火の光が漏れていた。
案内人が五回、間を置いて二回、さらに三回、扉を叩いた。
内側から扉が開く。
髭面の男が俺たちを見て、低く言った。
「早く入れ」
粉挽き場の中は、外より暖かかった。
十数人の男女が、壁際に座っていた。
刃物を研いでいる者もいれば、黒い布を縫っている者もいる。
彼らは俺たちを見ても、じろじろとは見なかった。
年かさの女が一人、水を二杯差し出してきた。
アイリスは水を受け取った。
だが、自分では飲まず、俺に一杯を渡す。
俺は藁の上に座り、麦わら帽子を取った。
髪は乱れ、白と黒がまだらになっていた。
俺は気にしなかった。
奥の間では、数人が話していた。
粉挽き場の板壁は薄く、途切れ途切れに言葉が聞こえてくる。
税。
灰葉村。
領主。
竜騎士。
声は高くなったり、低くなったりしていた。
その中でも、一人の若い男が一番激しく言っていた。
「このまま待っていれば、灰葉村が先例になる! ダミアンは今日、税を取りに来た。明日には兵を入れて捜す。あと数日もすれば、俺たちの穴蔵も、ここにいる者も終わりだ!」
「なら、今すぐやるのか?」
別の男の声がした。
「お嬢様は、まだ頷いていない」
「お嬢様は頷かない。あの人は人を守りたいだけだ」
若い男が言った。
「それで守れるか? あの人は一時は守れても、この領は守れない」
俺は藁にもたれ、その後の言葉は聞かなかった。
アイリスが隣に座り、籠に残った最後の灰葉根を膝の上に並べた。
彼女の指は落ち着いていた。
まるで、外では何も起きていないかのように。
「ここの人たちは何者だ?」
俺は聞いた。
「生き延びたい人たち」
アイリスが言った。
「俺たちも、ここにいるのか?」
「今夜だけは」
彼女は灰葉根をまとめ直し、低く言った。
「少し寝て。私が見てるから」
俺は目を閉じた。
耳には、粉挽き場の外を吹く風の音と、奥で男たちが声を潜めて争う声が残っていた。
火の光が、まぶたの裏でゆらゆらと揺れる。
灰葉村は、もう俺たちの足元にはなかった。
ここはまた、別の道だった。
そして俺は――
マルサが眠りについたかどうかさえ、知らなかった。
ここまで読んでくれてありがとう。
この章では正面からの戦いはありませんでしたが、それぞれの思惑が、少しずつ同じ方角へと向かい始めています。
次章、夜明けが近づきます。




