第17R 「アスカキングス」
「アスカキングス!」
「そうです。アスカキングスです。ノーザンスザクの息子です」
アスカキングスと言う、二歳の牡馬。
入厩が遅れ、軽くソエをやったせいか調教も進まなかった馬。そのためか僕がアメリカに行く時期まで特に目立った所も見せず、デビュー戦も年内に出来るかどうか怪しいとか言われていた存在。
それが、あのノーザンスザクさんの子どもだと言う事を、もちろん忘れていたつもりはない。
「デビュー戦のめどは立ったの?」
「幸い、東京の最終日に出られる事になりました」
「仕上がりは」
「まだ八分…いや七分だそうです。別に新馬戦から勝てなくてもいいですし」
「そうだよね」
「ボク自身まだ何を目指しているのかもわかってません。でもココロノソニックさんになんかなれない事だけは分かってます」
「ハハハハハ」
アッパーグレードは笑う。
僕なんかにはなれないだと。
正直、心外だ。
確かに僕の父は元々ダートの超一流馬だったがココロノサケビを見るように芝で対応できない訳ではなかったはずだし、何よりGⅠ五勝の内一番短い距離が2200mの宝塚記念だってヒガシノゲンブもノーザンスザクさんのようにマイルのGⅠ馬を出している。1200mではまだGⅠは勝ててないけどGⅢの勝ち馬ならいたはずだ。
「どう転ぶかなんて最後まで分かんないよ」
「一般論で正論だな。そしてお前の地位が説得力を高めてやがる」
「説得力…」
「治極まる時乱を生じ乱極まる時また治に入る…お前による秩序の時代は終わる。アスカキングス、お前が生きるのはそういう時代だ」
「僕が秩序を築いて来たって」
「ああ。結局一番強い奴がどんな奴かで世の中は変わる。ま、もしアスカキングスが今のまんま天下を取ればまた折り目正しい時代が来るだろうな。少なくとも阪神ジュベナイルフィリーズを勝つ可能性はねえことだけは確実だけど」
「ハハハハ」
アッパーグレードの言葉に、なぜか同調する声が聞こえる気がする。
正直、ノーザンスザクさんの子どもだってフィルターがなければ僕のアスカキングスに対する印象はゼロだ。まだデビューしていない普通の二歳牡馬でしかなく、強いて言えば9500万円って値段ぐらいしか目立つ所はない。しかしそれも億一歩手前と言うどこか中途半端な値段であり、良血馬ですと言う感じはない。だがそれこそ僕の考えるどう転ぶか分からないと言う意味でありその点は本当に面白い。
「親子制覇ですか…」
「あーおいおい真剣に考えなくていいんだぞただのギャグなんだから」
「安田記念とか宝塚記念なら可能だよね」
「結果的にそうなるんならそれでいいと思います」
「真面目なこったね。っつーかあまりココロノソニックと関わらねえ方がいいぞ。
お前がアスタリスクガールに何を教えられるんだ」
「どんな時でも、あくまでも手を抜かずに最後まで走り抜くって」
「走ってアメリカに行け、そっちのが可能性がある」
しかし実際僕に何か他の馬にアドバイス出来る事があるのかと言うと、それがない。全くない。
僕はそれこそ四年半、自分が勝つために調教を受けることと目の前のレースのデータを追う事以外ほとんど何もやって来なかったかもしれない。他の馬と言葉をかわす事があっても競馬ありきであり、他の何の楽しみもなかった。
そしてアッパーグレードに言われたように敗北感を味わう事も僕には長い間なく、その敗北感もひと月で消えた。敗北感はともかく挫折を味わうことは一度もないまま、ついに今まで来てしまった。
そんな存在が言い出す正論など、説得力があるのか。
ましてやそれこそ前馬未踏の境地にまで達してしまった僕は、ある意味もっとも参考にならない存在。
「対戦相手を研究するといいと思うよ」
「んなもん誰でもやってる、お前の熱心さには負けるけど。あんだけやって頭でっかちにならないお前の才能を誰もが持ってると思うな」
「敵を知り己を知れば百戦危うからず…」
「だからそれはお前が天才だからだっての」
真っ当なはずの理屈さえも、天才の二文字で押し込められる。僕が恨めったらしげにアッパーグレードを睨んでやると、アッパーグレードは深々とため息を吐く。
「敵を知ってるくせに己は知らねえんだな。こんだけ勝っておいて天才じゃありませんからなんて理屈が通るわきゃねえだろ。俺だって泥をひっかぶってやるけどさ、GⅠ馬なんて天才しかいねえよ」
「でもそれじゃサラブレッドなんて天才の末裔しかいないじゃないか」
「まあそうだ。でも天才から生まれた天才が血を繋ぐ。ココロノダイチさんなんて努力家の大器晩成みたいに言われるけどよ、GⅠをあんだけ勝っといて天才じゃないとか言われる筋合いはない。覚悟があるかどうかはともかくさ」
「……………………」
お父さんが天才だと思った事は、一度もなかった。
確かに桁外れの名馬だけど努力と苦難を経て這い上がった存在であって根っからの天才と言う存在とは違っていた。そのはずだ。
「母は言ってました」
「何を?」
「ココロノダイチさんの事を」
「ムカつくオッサンだったって」
「何かやったの?」
「そして四歳になって、やっと意味が分かったって」
「古馬に、なって…」
「はい、あの馬は自分を目覚めさせようとしてくれたんだって」
「自分を……」
ムカつくオッサンと言う烙印を押されるのに構う事なく、ノーザンスザクさんの背中を押したのがお父さんらしい。
でもどうやってだろう。きっと寡黙な職人気質だろうお父さんが走り以外でどうやってノーザンスザクさんを目覚めさせたと言うのか。ヒガシノゲンブやワンダープログラムさんだって…………
「ものすごく威張りくさったことを言ったそうです」




