第16R その名は有馬記念
「アッパーグレードと一緒に有馬記念だ」
有馬記念————————————————————。
芝2500mのレース。
皐月賞以来となる芝のレース。
「どう違うと思う」
「んな事聞かないで下さいよ」
「俺もダートなんか走った事ねえからわからねえぞ」
その皐月賞と同じ中山競馬場だけど、それこそ三年八か月ぶりとなる芝。
ココロノサケビやアッパーグレードに聞いてみたけど、二人ともごもっともな返事しか返して来ない。
「とりあえずは面子を研究するしかないね」
「まだひと月以上もあるんだぜ」
「他に出来る事もないよ」
何の言いようもない。他に何も思い付かないからだ。
いつも通り、レースの前にやるべき事をやる。
それだけのつもりだ。
中山競馬場、芝、2500m。
周回の関係で外枠はあまり有利ではないが最終週なのでそこまでか。
ってか年明けは金杯などがあるから本当整備の人たちは尊敬する。人間たちのおかげで走れるんだから本当尊敬の念を忘れちゃいけない…ああいけない話が逸れた。
2500mってのは当然未経験だ、ダートなんて基本最長でも2400mだし僕が走った最長距離はこの前のブリーダーズカップクラシックの10ハロン(=2000mではなく2010mぐらいらしい)である。仮にダートだとしても2010mまでは既知のそれだとしても残る490mは未知のそれだ。昔の帝王賞や東京大賞典とかは2800mとか2600mあるって聞いた事があるけどその場合僕はどうなっていただろうか。
いっそ少し控えるか。
昔はある程度控えてそこから差して行くやり方で勝てていた気がする。
だがそれはブリーダーズカップクラシックを勝った僕じゃないし、単純に若い時の様にうまく行くとは限らない。馬場が変わるのはしょうがないとしても、これまでのやり方を変えて何を得ようと言うのか。
(逃げ潰れてしまっても、悔しくない……っておい!)
そして抱こうとした気持ちが、皐月賞の時と全然変わってない事に気付いて呆れた。
あのな、あの時の僕は重賞ゼロ勝のお客様だ!
今の僕は三年連続最優秀ダートホースで四年連続もほぼ確定の、GⅠ級レース十四勝の存在だ!
重賞ゼロ勝の馬とでは、負ける重みが全く違う。
確かにもう、ピークは過ぎたのかもしれない。
全盛期から見れば僕は弱くなっていて、その時なら勝てたのにみすみすチャンスを逃していたのかもしれない。
あるいは東京大賞典とかならば、対戦相手には悪いけど今でも勝てるのかもしれない。
しかしその全てのかもしれないはかもしれないでしかなく、僕が今向き合わねばならないのは有馬記念ってレースの事だ。
「なあお前、皐月賞の事覚えてるか」
「皐月賞…」
「お前言ってたよな、大雨でも降らないかって」
「そう言えば、言ってたかな…」
「でも今のお前を思うと、大雨が降ってたら本当に勝ってたかもな」
その前の皐月賞の思い出を語れるのは、もうアッパーグレードしかいない。
あの時は降水確率10%の快晴、その上で次の日から雨ってなってどういうことだよって思ったのは事実だ。
「でもまあ、自分の本職はダートだしって軽く考えてたんだろ」
「うん、なぜ皐月賞を走る事になったのかもわからなかった。ああそれはスプリングステークスでたまたまうまく行ったからかなと」
「はっきり言うけどよ、先生はお前を恐れてたんだ」
「恐れてた?」
「ああ、お前が天狗になっちまうのがさ。だから一度敗北って奴を教えたかったらしい。だけどお前はスプリングステークスでも皐月賞でも一着こそ取れなかったけど敗北感を味わう事はなかった。そうだろ?」
「うん」
天狗になる。
自分こそ最強だと驕り高ぶり、相手を見下してしまう。
その結果強い相手に当たって挫折して立ち直れなくなり、また努力の大事さを忘れてしまうようになるのを浅野先生は恐れたと言うのか。
「そしてお前を三年前、東京大賞典をやめて有馬記念に使おうとしたのも同じ理由だった。あまりにも楽をして勝ち過ぎているお前に脅えたらしい。どうにかして道を正してやらなきゃいけねえって」
「でもなんで」
「シャットダウンを優先したらしい。あん時のお前はシャットダウンすら越えちまうかもしれねえと思われてたんだろうな、もしお前がシャットダウンに勝ってたらどうなってたと思う」
「わかんない」
「真っ正直なこったね。
でもまあおそらくお前は三冠馬を差し置いてその時点でスーパースター中のスーパースターになっていた、ブリーダーズカップどころか凱旋門賞も行ってたし勝ってたかもしれねえ」
「タラレバに過ぎないと思うけど」
「少なくともお前が驕り高ぶって天狗になるんじゃねえかって危惧だけは外れたけどな。最近やっと鼻が伸びたと思うぐらいだ、これまで積み上げて来た栄光の十分の一ほどぐらいにはな」
敗北感を味わう事。
それは確かに競走馬として大事な事であり決して自分は強いと威張りくさってしまわないために必要な行程なのだろう。でも僕がそれを味わったのは、五歳つまり去年のJBCクラシック。ラインラインラインを全く抜けなかったあの時。あの時から自分なりに心を入れ替え、さらにGⅠを積み上げて来た。
そのラインラインラインは今年かしわ記念を勝つも、JBCクラシックではフィールマイハートに勝ち星を譲ってしまった。チャンピオンズカップや東京大賞典でも両頭の戦いは確実であり、一歳差ながらいいライバルとして名勝負を重ねて行くと思うと面白いと同時にもう戦えないのが少し寂しい。
「あの、有馬記念って事はやっぱり…」
「ああ。本当の本当にダートとはお別れだよ」
「残念です…もう一回だけ戦ってみたかったのに」
「もうあの時の僕はいない。そっちこそ体を大事にしてね」
「名古屋でも頑張ります!」
名古屋こと中京競馬場でやるチャンピオンズカップに出るアスタリスクガールもどこか寂しそうだった。
そうだ、彼女と戦う事ももうない。
引退するまでのあと少しの間しか、一緒にいる事はない。何を教えてあげられるかは分からないけど、少しでも伝えたい。でも、何を教えればいいのかはわからない。
「ボクも応援していますよ、ココロノソニックさん」
そこに入り込む、ココロノサケビとも違う声。
それよりももっと幼いけど、そのくせ重みを持った声。
「アスカキングス!」
「そうです。アスカキングスです。
ノーザンスザクの、息子です」




